第34話.遭難
第34話.遭難
「穂高、来たか」
教諭らの雪洞の中は煙草の匂いがした。
狭いあなぐらの中では、匂いや煙はこもってしまう。まるで紫煙で燻されているかのようだ。全くこの状況下で人間の燻製でも作るつもりなのか。
ストレスや不安感の軽減には役に立つようだから止めろとも言わないが。ともかく返事をした。
「どうかしましたか」
「うん。高尾が戻らんのだ」
岩木教諭がそう言った、高尾教諭が戻らないと。一体どういう事か仔細を尋ねる。
「……要領を得ませんが」
「高尾は何人か連れて、野営予定地までの道を明瞭にすべく出発した。それが一時間前、しかし未だに帰ってこんのだ」
馬鹿な。
この暗闇を歩き出したと言うのか。足元も定かではない暗闇を。ましてや吹雪いている中をか。
「この吹雪の中を、手探りでですか」
「そうだ。風が収まった瞬間を見極めて出たが。折悪しく再び天候が悪化したのだ」
「自殺行為だ」
その言葉にピクリと眉を動かすと、彼はおもむろに「貴様っ!!」と叫んだ。
私の口から溢れた「自殺行為」と言う言葉に激昂したのだろう。岩木教諭から胸ぐらを掴まれる。
「高尾以下数名の学生等は、この合宿成功の為に危険を承知で志願して出たのだぞ!我々の為に道を拓くと!侮辱は許されん」
まくし立てるように怒鳴る。口から唾を飛ばしながら、目を見開いて。その勢いに呑まれぬよう、努めて冷静な口調で言い返す。
「覚悟は素晴らしい。しかし判断が間違っていると言っておるのです」
「なんだと!」
「日が出るまで待つべきでした。冷静な判断力を欠き、上官が行動力だけでは部下は犬死にで……!」
ガッ!
にわかに視界が揺れた。鉄拳が私の頬を打ったらしい。じわりと熱い感じが遅れてやってきた。つり上がった岩木教諭の目を正面から見据えて言った。
「夜明けまでおよそ一時間。それまでに高尾教諭らが戻らなければ、私が捜索に出ます。岩木教諭は学生をまとめ、ここを動かず待機して下さい」
「貴様一人で捜索に出ると言うのか」
「はい、一人で行きます。重ねるようですが、ここを動かず待機して頂きたい」
ここでやっと、私の胸ぐらを掴んでいる手を離した。
「貴様の働きを信じろと?」
「大人数で行っても、ミイラ取りがミイラになります。それにこれ以上迂闊に動くと、我々は全滅です。捜索は任せて下さい」
少し考えた後、岩木教諭が口を開いた。
「良いだろう」
教諭が続けて何か言おうとしたのを遮って、私が「そしてもう一つ」と言い出した。
「そしてもう一つ、お願いしたい事があります」
「何か。言ってみろ」
「私まで戻らなければ、直ちに天候を見て下山し、遭難を届け出て頂きたい」
「馬鹿な、そんな事ができるか!」
「見栄は捨てて下さい。こんなものは最早合宿でも何でもない、ただの遭難です」
彼はカッと目を見開いて拳を振り上げた。
しかしそれは私に振るわれる事はなく、そのまま静かに降ろされた。握りこぶしは小刻みに震えている。
「……必ず戻れ。以上」
……
自らの雪洞に帰って、捜索準備を整える。背嚢に荷物を詰め、手袋を二重にはめた。
「くそったれ!!」
思わず声が出る。
勝手な行動の尻拭いだ!
命令系統も指揮もなっちゃあいない!こんなだから混乱するんだ。
道を拓くために学生が志願しただと?そりゃするよ!若い者がそうならないように、それらを死人が出ないように、まとめて導くのがお前らの仕事じゃないのか!?
同期は死なせない。教諭も死なせない。全員で生きて帰るんだ。
こんなところで死ねるか!
「荒れてるな、どうした?」
「どうしたもこうしたもない。事の顛末は、あとで岩木教諭に聞いてくれ!」
結局、夜が明けても高尾教諭らは帰らなかった。他の学生と岩木教諭を残し、私は単独で捜索に向かうのであった。




