【第三部】第21話.夜ト海
飛行艇は揺られながら、ゆっくりと港の方へ流れていく。海の上にいるという事実が、空とはまた違う緊張を与えていた。明継は、白くなるほど力を込めて握っていた指を離して、荒い呼吸を落ち着けようとする。
「死ぬかと思った……」
ぼそっと明継が呟いた。トリィはそれに言葉を返す。
「ふぅ、本当にね。助かってよかった」
彼女は無理に笑って見せたが、声がまだ震えている。額には細かな汗が滲んでおり、海の風がそれらを細い線に変えていった。先程、人影が見えた倉庫の方を見ると、そこには細い桟橋が突き出ており。何者かがひとり立っていた。揺れる灯りの下、ぼうっと影が伸びている。
「誰かいる?」
「うん、一人だけ。誰か立ってるね」
明継は目を細める。向こうもこちらを見ているようだが、暗くてよく見えない。何者なのか不安は残るが、彼らに頼る場所は他に無いのだ。ゆらりゆれる操縦席で、二人は覚悟を決める。
トリィはひとつ息を吸って、ゆっくりと機体を桟橋の方へ寄せて行く。波に揺られ、飛行艇の足が木製の桟橋に軽くぶつかった。コトンと軽い音がひとつ鳴る。
その時、立っていた影がゆっくりとこちらに歩いてきた。足音は波に消えて聞こえない。頭巾か帽子か、とにかく頭に被り物をしているようだ。
「あ……」
想像と違ったのか、トリィが思わず小さく声を上げた。顔を上げたそれは女性であった。明るい銅のような赤毛が風に揺れて、薄い色の瞳。ルシヤ人だろうか。鋭さを持った目は、どこか疲れているようにも見える。警戒した様子で女が口を開く。
「誰だ、どこから来た?」
女は被り物を外しながら値踏みするようにトリィと明継、そして飛行艇を上から下まで順に見る。
「ウナさんに言われて……私たちは襲われたんです!」
はっきりと両の手を見えるように上げながら、トリィが言った。明継にも同じように手のひらを見せるように目で促す。
「首長が?この飛行艇はお前が操縦したのか?」
「はい」
「武器は持っているか?」
明継が口を開いた。真っ直ぐに赤毛の女を見ながら、はっきりと応えた。
「俺が拳銃を持ってる。胸に入れてる」
「そうか」
「必要なら渡すよ」
「いや、いい。しかし……懐に手を入れるな。そのままの姿勢でいろ」
海からの風がひとつ、赤毛が揺れる。
「それで、ウナ首長本人はどこにいる?」
「彼は飛行試験場に残りました。私たちに逃げろと、逃げて助けを呼んでこいと」
それで、とトリィは続ける。
「私たちだけ、なんとか逃げ延びてきました。この場所に来たのは、以前ウナ首長から何かあったら頼れと聞かされていたから」
女は短く息を吸った。
「……そうなってしまったか」
そう呟いた。




