【第三部】第20話.着水
飛行艇はゆっくりと高度を下げはじめた。海面から噴き上げる湿った風が機体の腹を叩く。灯りの形が、さっきよりもはっきりと分かるようになってきた。
「港……?そんなに大きく無いのかな」
明継が小さい声で言った。近づくにつれて、灯りは街全体からではなく海に面したいくつかの建物に集中しているのがわかった。まばらで弱々しい光だったが、今の二人にとっては、受け入れてくれるものがある、それだけで十分だった。
トリィは計器を確かめながら、降下の姿勢に入る。風向きを読んで、ひとつ息を吐いた。港のはずれに、背の高い倉庫のような建物が見える。屋根の上には信号灯が一本だけ立っており、孤独に夜を照らしている。
「ん……」
風が強くなり、機体が揺れる。トリィは操縦桿を持つ手に力を込めた。
「どうかした?」
「ちょっと風が強くなってきた。でも、大丈夫」
それは優しい声だったが、少し緊張を含んでいた。明継は敏感にそれを感じ取って口を閉じる。そして、両手で身体を支えるように機体に掴まった。機体は少し左右に揺れながらも、旋回しながら高度を下げていく。港の灯りが間近に迫る。海面が黒い鏡のようの広がり、月の光を砕いて揺らめいている。
「着水に入るよ、しっかり掴まって!」
その声を受けて、明継の機体を掴む手に力が入る。原動機の音が一段変わった。機体は風を切って、水面が目の前まで近づいていく。無意識に奥歯に力が入った。
「ふ……っ!」
その時、倉庫らしい建物の影がゆらりと動いて見えた。誰かがいるのか、灯りの揺らぎに合わせて人の影らしきものが動く。一瞬気を取られた時に、横風が吹きつけ機体が傾いた。
「トリィ!」
明継は咄嗟に手を伸ばして、揺れる計器版にぶつからぬように身体を支えた。トリィは必死に操縦桿を傾けて機体を立て直す。ただでさえ難しい着水、夜間ともなれば尚更だ。
「わかってる、大丈夫、大丈夫。集中……!」
黒い海が迫る。風の音がやけに耳に刺さる。昼間と同じようにはいかない。波の高さも、うねりの向きもはっきりしないのだ。着水のタイミングを少しでも誤れば、機体は暗い夜の海に叩きつけられる。
額に汗が滲む。
海面が月の光を返した。その瞬間、トリィは僅かに操縦桿を引き機体を風に乗せる。次の瞬間、飛行艇の腹が、黒い海面に触れた。
ドンッ!!
衝撃に、機体が跳ねる。ついで波を切る音。
「う、うわあっ!!」
想像以上の衝撃に明継は必死に座席にしがみつく。ひとつ、ふたつ、波頭が叩きつけられる度に機体は軋んだ音を上げる。だが、しばらくすると海面を滑るような振動は、落ち着きを取り戻していった。飛行艇はゆっくりと速度を落とし、静かに止まった。
「はぁーっ……」
二人は大きく息を吐き、肩を落とした。彼らの着水を認めたかのように、飛行艇はゆっくりと波に揺れた。




