【第三部】第17話.飛翔
男が湖面に沈んだ余韻がしばらく残る。ひとまわり大きな波紋がゆっくりと広がり、やがて静寂が戻る。ベアは湖面を見つめたまま、額の血を拭った。すぐに浮かんできて反撃できるような力はないらしい。
明継は荒い呼吸のまま、銃を握って硬直していた。その視線は水面を彷徨っている。
「明継!……明継!」
いつの間にか、いつもの声に戻っていたトリィが声をかける。彼女は彼が拳銃を持つ手を、上から両の手で包んだ。
「もういいよ」
「トリィ……でも、俺は」
「大丈夫、行こう!」
そう言うと、明継に拳銃を納めさせてその手を引いて走り出した。桟橋の先に係留してあった飛行艇に辿り着く。二人は必死にロープを外し、プロペラを回す。鉄の心臓が力強く鼓動し、彼らの気持ちに応えた。低い震えが全身を揺らす。
ドドドドッ
滑り込むように、トリィに続けて明継も操縦席に滑り込む。本来は一人用の狭い席に、二人は無理をして身体を押し込んだ。
ドォン!
建物の方で爆発音。熱風が吹きつけて、空気にものの焦げた匂いが混じる。原動機の回転数を上げる。プロペラが風を巻き、水飛沫が弧を描いた。
「ウナさん……。みんな」
明継が押し殺したような声で呟く。トリィは計器の針を見ながら叫んだ。
「今は逃げて、助けを呼ぶの!」
その叫びは誰に向けてのものか。誰に助けを求めればいい、どこに向かって飛ぶ。どうしたら助かるのか。色んな感情がトリィに押し寄せる。それでも今、二人の命を空に上げられるのは彼女の細い腕だけだった。
「わかった、行こう。トリィ」
「しっかり掴まってて!」
飛行艇は湖面を滑り出し、悪意の満ちた空気を置き去りにする。プロペラの回転数が上がり、機体が大きく跳ねた。
「行ける……!!」
ついに飛行艇は水面を切り裂き、白い水飛沫を尾に残しながら空へ跳ね上がった。怒号が遠ざかって、煙に満ちた桟橋が小さくなっていく。二人の命を繋げるために鉄の翼は空へ向かって加速していった。




