【第三部】第2話.鉄ノ夢
トリィは一つ息を吸い込み、ゆっくりと吐き出した。飛行艇の腹を撫でるように手を滑らせる。機体には細かな振動と共に、熱がまだ残っている。彼女の心の臓と同じだ。
そうしていると整備士たちが次々に集まって、機関部や翼下のリベットを覗き込んだ。
「どうだった?試作機の具合は」
「はい。やっぱり低速で揺れますね、エンジンの周期が不規則です。燃料の圧が落ちているのかも……」
「またか、燃料の精製が甘いのかね。上客じゃねえからって粗悪品を掴ませてんじゃないだろうな」
真っ黒なつなぎを着た男たちは、工具を抱えながら機体の各部へ潜り込んでいった。その後ろ姿を見送ったあとトリィは空を見上げる。雲の切れ間から、陽光が覗いていた。
何の因果か。あの日ホッカイドウに逃れて、そして今はこのニタイ自治区にいる。生まれてからこれまで、トリィを取り巻く大人たちはみんな腹に一物があった。穏やかな笑顔を顔に貼り付けている者も、大きな声を上げるような男も。皆一様に彼女の特異性を値踏みしていたのだ。
トリィは視線を落とす。そこにあるのは未だ試作段階の、空を夢見る鉄の塊だ。私もこれと同じように夢を見られるだろうか、夢を見ても良いのだろうか。
「おい、トリィ」
「はい」
整備主任が額についた油を袖で拭いながら、髭面に笑みを浮かべている。
「明日も飛ぶのか?」
「そうですね、そのつもりです。明日には風ももう少し落ち着くと思いますから」
「あぁそうか……なら」
そう言いながら、主任は煙草をくわえかけてやめた。燃料タンクがすぐそばだ。チェッと小さく言って、ポケットに煙草をしまう。その姿を見て、トリィはくすっと笑った。
「まぁいいや。とりあえず飯食ってこい。ウナの旦那も待っているからよ」
「わかりました。この子のこと、お願いしますね」
主任は返事のかわりに、手をひらひら振って機体の方へ戻っていった。彼らの作業の音を後ろに、トリィは一歩離れて手帳を開いた。飛行の記録、燃料圧、風向、そして操縦桿から伝わる感覚。飛行試験は順調だ、技術の進歩は目覚ましい。飛行艇は日々改良され、すぐに本格的な航行も可能になるだろう。空を征するのは誰になるのか……。
静かに手帳を閉じると、トリィはウナたちがいる食堂へと足を向けた。




