【第二部】第93話.借リル八合、済ス一升
「決着だ!!ははははっ!!」
蛇男は嬉しそうにそう叫んだ。右手に暗器を、左手に穂高から奪い取ったナイフを持ち待ち構える。地面を蹴って飛ぶ穂高。大きな雨粒が、ゆっくりと彼の目に入る。瞬きもせず、見開いたままそれを受け入れた。世界の時間がゆっくりと流れていく。もはや蛇男の動きも手に取るようにわかる。未来が過去になった。雨粒の一つ一つの動きさえ見える。徒手空拳のまま蛇男のナイフを頭上にかわし、暗器を掻い潜ってその胸元にぶつかった。
ドンッ!
「ハッ!爪を失って、血迷って体当たりか!?あの鷹が落ちぶれた……」
すぶり。
蛇男に肋骨の間に、ボールペンほどの大きさの黒い鉄針が突き立った。細く鋭いそれは上手く骨の隙間を掻い潜り、みたことかと自身の存在を主張している。それは札幌の学校で蛇男自身が投擲し、穂高の身体に突き刺した武器だ。彼の手に渡り、幾人もの手を借りてついに持ち主の元に返ったのだ。
「ぐ……は……」
蛇男の身体が揺れる、両の手の武器を取り落とし穂高の背中にしがみついた。爪を立てて上着を握りしめる。
「何だ……?まだ武器を」
「貴様に借りていたものだ、返してやろう。利子付きでな」
「馬鹿なそんなことが」
突き立った鉄針を、そのままグッと引き上げる。蛇男の臓腑を傷つけたのか、口の端から赤いものが滴り落ちた。
「ぐぅ。はは、死ぬか」
「殺すものかよ、もはや貴様は一人だ。逃げ切れるものではない、生捕りだ。このふざけた騒動の責任を取って貰うぞ!」
「それは駄目だよ、駄目だ。くく……戦争が起こるのを見れないのは残念だけれどねぇ」
どこにそんな馬力があったのか、蛇男は穂高を掴む力を強めると自分の元へ引き寄せる。抵抗するも背中を刺された影響か、もはや足に力が入らない。
「な……!」
させるかと鉄針に更に力を込めるが、蛇男は意に介さない。口の端から赤い泡を拭きながらも穂高を引き摺り込んだ。彼奴の背後は谷である。その底では先からの大雨により溢れた河川が轟轟と水音を立てている。何事か言う前に、蛇男は穂高を抱えたまま背後の谷に身を投げた。
「司馬伟!」
「はははははは!殺し合いはお前の勝ちだよ!でもねぇ!!」
「貴様ァァァー!!!」
二人の男が空中を舞った。彼らは揉み合いながら崖の壁面に何度か衝突した後、谷底の増水した河川に吸い込まれて行った。彼らの武器や装備の一部だけがぽつんと残され、その声や消息は全て豪雨となった雨に流されてかき消されてしまった。




