【第二部】第90話.衝突ノ時
【第二部】第90話.衝突ノ時
轟々と唸る水音が、眼下の谷底を濁流が走っている事を伝えている。上で降った雨がひとところに集まり、勢いづいて大蛇の如くうねっているのだ。道なき道を下っていく蛇男とその配下であるが、いずれ逃げ道を失い谷にぶち当たるのは明白だった。
闇雲に走って逃げればそうもなる。そうなる前に追手をまけば蛇男の、そうなる前に尻尾を捕らえられれば穂高の勝ちだ。当然そんなことは両者共に承知の上である。
実際どのくらい追跡劇を続けただろうか。ずいぶん時間がかかったようにも思えるし、僅かな時であったようにも感じる。穂高の眼と脚が、ついに逃げ惑う蛇の尻尾を捕まえた。
「司馬伟様!この先は……!」
先行する男の一人が、蛇男に報告する。生い茂る立木の開けた向こう側は、すぐに深い谷であったのだ。
「そろそろだろうねぇ。ハハッ、ここで決着をつけよう」
報告した男の青い顔とは裏腹に、唇の端を歪めてどこか楽しげに蛇男はそう言った。ぴたりと足を止めて、穂高が追って来るだろう方向をジッと見た。細い眼がより細くなる。
蛇の眼にはまだ鷹の姿は映っていないが、鷹の眼には蛇がとぐろを巻いて待ち構えている姿がはっきり見えている。不意に足を止めた蛇男たちの姿を確認して、穂高は身を屈めて慎重に近づいていく。
「……どんづまりか。あの先は谷川だな」
穂高の手元の小銃の残弾は二発。対する司馬伟は本人含めて三名。それぞれが拳銃を所持している。できれば狙撃して本人だけを討ち取りたいが、奴に残った部下もそれぞれ優秀なのだろう、上手く射線から隠れるように蛇男の盾になるように二人の男が位置取っている。
「接近せざるを得ないか、だが」
そう呟きながら、穂高は腰に吊るしたナイフを抜いてみる。雨粒に濡れて光る刃が静かに応えた。こんなものまで持ち出さずに終わってくれればと願いながら刃を腰に戻した。穂高は足の止まった蛇男たちを中心に、大きく周りこむように近づいていく。
「ほら、穂高さぁん!出てこいよぉ!決着だ、決着をつけましょうよぉ!!」
蛇男は大きな声を上げながら、手元の拳銃をクルクルと回している。二度三度と何度か手元の鉄の塊で遊んだと思うと、急に動きが止まる。
「ほらほら!早くしろよ、ライフル があるんだろうが!撃って来いよ!お得意の神の眼で!!」
顔色を急変させて、怒鳴り声を上げる。普通の精神状態ではないように思える。まだ彼奴等は穂高の姿を捉えられていないようだ。できるだけ静かに腰を下ろすと、穂高は小銃を構えた。きらりと蜘蛛の糸のようなものが走って、蛇男の隣にいる男を側面から捉えた。
コトン。
引き金が落ちて、ドン!と銃口が炎を上げる。回転しながら飛翔するライフルの弾丸が空気を切り裂いて真っ直ぐに男を撃ち抜いた。赤いものを散らして、蛇男の右を守っていた男が倒れる。銃声と発砲炎に気がついて、蛇男が完全にこちら側に身体を向けた。
手慣れた動作でボルトを操作して、次弾を装填する。この一瞬にかかっている。今度は蛇男の頭骨の真ん中に照準を合わせて、引き金を引いた。
カチン。
冷ややかな金属音が鳴り響く。が、飛び出すはずの銃弾は出てこない。不発である。眼前では司馬伟と部下の男が拳銃を持ってこちらを見た。発砲炎によって位置が特定された上に、頼みの綱の最後の一発が不発。
「ッ……!」
間を置かずに小銃を投げ出して腰からナイフを抜き放った。もはやこれしかない。一本の刃物を手に、穂高は獲物に飛びかかる肉食獣の如く飛び出した。
「ハハハハッ!ナイフだよ。最後は肉弾戦ってコトか、面白いなぁ!」
すると何を思ったのか、司馬伟は無表情で自分の隣にいる部下の頭を拳銃で撃ち抜いた。一言も発せず蛇男の部下だった男は地面に倒れ伏した。これでもはや蛇男を守る者は誰もいない。気が狂っているのか。何を考えているのかわからないが、有利になった事だけは確かである。
「ほぉら、これで五分だ。こいよぉ!俺が世界を変えてやる!!」
そう叫びながら、司馬伟は拳銃を捨てて二つの刃物を抜き放った。それはいつか見た棒手裏剣のような真っ黒な鉄の刃だ。両の手にそれを持って穂高を待ち構える。
「うおおおおぉぉおおっ!!」
ついに、司馬伟を半径二メートルに捉えた。腹の底から声を張り上げると、真っ直ぐにナイフを突き出した。




