【第二部】第89話.戦争ト雨
【第二部】第89話.戦争ト雨
ボタボタボタ。
雨は勢いを増し雨粒の重みに耐えられなくなった天蓋が、そこかしこで荷物をおろしている。チラチラと光る若い緑色は、眼下で行われている人間の争いとはまるで対照的だ。
透き通った雨は地に落ち、集まり、三つが二つに二つが一つにと重なりあって、山肌の斜面を流れている。泥を巻き込み、火薬の煙と人間の血までもを取り込んで濁った流れが、そこで戦う兵士達の足をとる。ひっぱり、転ばせ、命を奪う。まるで怨霊の腕である。
両腕を開き、バランスを取りながら穂高は司馬伟を追う。背中に聞こえる喧騒が静まりつつあるのを感じる。それは距離が離れていくからか、もしくは争いに決着がつきつつあるかだ。混乱に乗じた奇襲も、煙が晴れればいつもの戦争だ。人数に大きく劣る穂高らの追撃隊が少数精鋭で圧勝しました、などと都合の良い事が起こりようもない。
タタッ!
小銃がうなり、銃弾が空間を切って飛び回る。二、三発が近くを通過したと思った時、隣を駆ける吾妻が足を絡ませて前につんのめって倒れた。受け身の知らない赤子のように、大の大人がぬかるんだ水溜りに顔面から落ちたのだ。
「吾妻!」
穂高はそう叫びながら銃声の方向へ視線を向けると、こちらを向いている小銃の持ち主に瞬時に撃ち返した。狙撃者は照準器を覗いている目玉とは別のもう一方の目玉に、大きな穴を開けて後ろに倒れた。それを見届けると、吾妻を水溜りから引き摺り出して仰向けにする。
「おい、吾妻!」
「……司馬伟を追ってくれ」
眉間に皺を寄せながら、絞るような声で吾妻はそう言った。胸から出血があるようで、赤い染みが広がっている。
「傷口をあらためる」
「やめろ。俺は良い。大丈夫だ。大丈夫。走れ、穂高。駆けてくれ蛇の尾を……捕まえてくれ」
「……」
「頼む」
雨粒が背を叩く中一瞬考えたが、穂高は静かに立ち上がった。吾妻はそれを視線だけで見上げる。
「私は行く。すぐに戻るつもりだが、はぐれるかもしれん。そうなったらまた札幌で会おう。美味いカステラを出す店があるんだ」
「……そうか。アァ、楽しみだ」
吾妻の言葉を受け取ると、再び穂高は駆け出した。一度も振り返る事なく、真っ直ぐに蛇の後を追いかけた。




