【第二部】第82話.登山
【第二部】第82話.登山
「穂高、おい。穂高、少し」
「どうした」
私は振り返って吾妻を見た。急斜面の山道、露に濡れる草葉を踏み分けて吾妻以下十二名の男たちが、玉のような汗を額に浮かべながら一列になって連なっている。
「少し休憩せんか、落伍者が出る」
「うん」
近くの木の枝を掴んで足を止める。吾妻の言うように、隊列の後ろの者たちの間隔が広い。諜報部隊かなにか知らんが、練度が足りんのじゃないか。
「こんな場所で休憩はできんから、もう少し開けた場所に出るまで待て。少しペースは落とそう
「はぁ、ふぅ。わかった」
息を切らせながら、吾妻はそう返答した。
「穂高は汗もかかんのか、もはや化け物だな」
「馬鹿にするな、汗くらいかくぞ。見える場所にないだけだ」
「そうか。ずいぶん、涼しい顔をしているので人間を辞めたのかと思ったよ」
「はは。無駄口に使える体力があるなら、もう少し踏ん張ってくれ。五年前から体力が落ちたんじゃあないか」
「山歩きなんぞそれ以来だからな」
そういうと、少しペースを落として歩き始めた。後ろの者を気遣えなかったのは失敗だな。私らしくもない、どうしたものか。
「緊張してるのかネェ、穂高さん」
気がつけば隣まで登ってきていた金剛辰巳がそう言った。そう。この十二名の追撃隊に、もう一人名乗りを上げた物好きがいたのだ。ただの喧嘩好き、万年空手馬鹿の金剛辰巳である。
「緊張。私が緊張しているというのか」
「違うかい?筋肉が強張っているみたいだけどな」
「そうか、そうかな」
頭で気にしているつもりはない。しかしあの蛇男を追うという事に、身体が特別な圧迫感を感じているのだろうか。
「喧嘩するときぁ、もっと気楽にいかねェと。頭は冷やしても良いが身体は熱くねぇといけねぇ」
「喧嘩か、喧嘩。なるほどな。そうか」
歩きながら、金剛の顔を見る。ずいぶん明るい顔だ。全部説明したわけではないが、分の悪い殺し合いになるというのは理解しているはずだ。
「しかし本当に良かったのか。戦場になるぞ。なんの義理もないあなたが、こんなところで命を賭ける必要はないが」
「良いじゃねぇか。義理がねェのが良いんだよ。なんの遠慮もなく人間を壊して良いって瞬間は何度もねェからな」
「殺されるぞ」
「それが良いんだ。俺ぁそれが好きでやってるんだから、穂高さんらは気にせず俺を使ってくれりゃあ良いんだよ」
金剛は曇りのない笑顔を見せる。識者を含めて、いろんな人間を見てきたが、この男は圧倒的に世間様とはズレている。殺し合いが好きなんだと、本心で言っているのだ。
私はどうだろう。この男が異常だと断じるだけの常識は持っているつもりだが、ずいぶん長い間戦いの中にいたのだ、真っ当な神経を保っているという保証はない。
「いや常識など、そもそも普遍的なものではないのか」
「クク、そのとおりさァ。物差しはここにある」
そう言って、金剛は自分自身の胸を親指で突いて見せた。そうして我々はしばらく歩いて平坦な場所に出ると、小休止を取る事にした。




