【第二部】第74話.日ノ丸
【第二部】第74話.日ノ丸
新しい日を告げる陽の光が、岩肌を照らし始めた。昨夜の雨の残り香が、あらゆる場所から感じられる。
昨日は、色々あった。今日という日を迎えられたことにまず感謝をして、手の中にある息子の顔を見た。静かに寝息を立てている。昨夜に比べれば顔色もずいぶん良くなった。
木の根の間から、外の様子を窺う。ここも十分に安全とはいえない。木の根の間に明継を寝かせて、外に出た。ただ静かな山の中で、雨水の滴る音だけが聞こえてくる。
いつまでも休んでいたいのは山々だが、そろそろ移動すべきだろう。
体温を奪っていった憎き雨だが、我々の足跡も匂いと共に流し去ってくれたと考えると、幸運であったのかもしれない。昨日の追跡者らの中には犬もいたが、こうなってしまえば鼻も効くまい。
ふっと気がつくと、明継が起きてきた。
「足元に気を付けろよ、雨に湿った木の根は滑るぞ」
「あっ、はい」
しっかりとした足取りで、隣に立つと彼は私の視線の先を一緒に見た。わずかに残した水筒の水を飲ませてやる。それを両手で持って飲み干したあと、明継はジッとこちらの顔をみた。
「どうした、何かあるか?」
「あの……」
言い出しにくいのか、言葉の切れが悪い。なにかを後ろに隠しているようだが。
「見せてみろ」
そう言って促すと、明継は足の間から何かを取り出した。取り出したというよりは、出てきたというのが正しいか。とにかく黒い塊が現れたのだ。
一瞬ギョッとしたが、それは昨晩も見たものだった。熊の子供だ。
「なに?」
つい口に出た。なぜ昨日明継とともに幽閉されていた熊の子が、こんなところにいるのか。
「父様、その。ついてきたみたいです」
「うん、いや。そうか」
最大限にアンテナを張って辺りを警戒するも、親熊の姿はない。しかし、この状況で羆なんぞに遭遇すればタダでは済まない。
明継は、ばつのわるそうな顔で次の言葉を探しているようだった。この熊飼っても良い?そんな言葉が続きそうだが、捨て犬じゃああるまいし、そんな簡単なものではない。
「この熊の子、お母さんがいないみたいなんだ」
「うん?」
どうしてそれがわかる。そんな言葉が表情に出ていたのだろう、明継は続けた。
「なんだかわかるんだ、こいつの言ってることが。信じてはもらえないと思うけど……」
「そうか。いや信じぬわけではないが、状況が状況だからな。単刀直入に聞くが、お前はそれをどうしたいのか」
「僕は」
子熊が明継の顔を見る、懐いているのか。
「連れて行く……って言っても、抱えて行くわけにもいかないし。ただ、ついてくることを許してやってほしいです」
「そうか」
少し考えたが、子熊を排除する労力も惜しい。勝手について来るのだと言うならば、関係のない話だ。
「許すもなにも、ただついて来るのを止める術もない。それができるなら好きにしたら良い」
緊張でこわばっていた明継の顔が、少し緩んだ。
「ただ、熊に手は貸してはやれんぞ。お前もそれは心しておけよ」
「はい」
それだけ伝えると、荷物を確認して背負った。予期せぬ拾い物があったが、やるべきことは変わらない。できることをやるだけだ。
出発の準備が終わった頃、にわかに山の中が騒がしくなった。鳥が一斉に飛び立ったのだ。
何か来る。そう思った時、空の向こうから大きなプロペラ音を響かせて、飛行艇が隊列を組んで飛び去っていった。
南から、北へ。
あれらは昨日見た飛行艇か。
我々を空から捜索している、というわけでもないらしい。ただ真っ直ぐに目的地を目指して飛んでいるようにみえた。そしてその翼には、白地に赤色で大きく日の丸が記されていたのだった。
「なんだと……!」
小さくつぶやいた。
清国の航空機が、なぜ日の丸を掲げるのか。




