【第二部】第62話.蛇尾
【第二部】第62話.蛇尾
時は、少しだけ巻き戻る。
穂高は身体に泥を塗り、植物を着けることで背景と同化していた。周囲に身体の輪郭を溶け込ませ、獲物を狙うカマキリのように擬態するのだ。
また、顔にも顔料を塗った。
人間という生き物は逆三角形に三点が配置されているだけで、自動的に脳が補正して顔を浮かび上がらせてしまう。何気ない黒い染みでも不気味な顔に見えてしまうのはそれだ。
我々は目で見ているようで、脳で物を見ていると言っても良い。
逆に言えば、その三点を認識しづらくするだけでその人間に備わっている機能を撹乱する事ができるのだ。
そうして完全に気配を消した穂高が、区役所の正面の丘で伏して待った。正面玄関まではおよそ八百メートルほどか。問題ない、この距離までは。
タカの眼と呼ばれる穂高の視力は、衰えるどころかさらに精度を上げていた。これだけの距離を保っていながらも、裸眼ではっきり顔を判別できるほどの遠目が効いた。
静かに、石や木のように静かにその時を待つ。
ある時クンネと思われる一団が現れ、ウナ達を連れて行った。ウナの無事を祈らずにはいられないが、ここで彼にできるのは祈ることだけだ。そうして、しばらく経った頃。
区役所の扉が、内側から静かに開かれた。中からニタイの人間だと思われる者達が二名、玄関先に出てきた。彼らが何かを待っているような所作をしていると、ほどなくして見たことのある男がそこに現れた。
ざわり、と髪の毛が逆立つ感じがした。
「……」
無言で小銃を握る手に力が入る。そこに、現れたのはあの男だ。ヘビ男、清国の男、そうだ、司馬伟と名乗ったあの男だ。彼らは何の抵抗もなく、自然に区役所の中に消えていった。
おそらくニタイの中に、司馬伟を手引きしたものが居る。ウナともクンネとも違う別の何者かが、留守中の天守閣に彼奴等を招き入れたのだ。
あのヘビ男がここまで絡んでいるとするならば、明継の誘拐が真実味を帯びてきた。願わくばただの狂言であって欲しかった。だが札幌で衝突し、姿をくらましたあの男がこの地にいるということは……。
腹の奥で赤黒く煮えたぎる溶岩のようなものが、胃を、内臓をぐるりと円を描いて渦を巻いた。
しばらくして、再び外に出てきた司馬伟の顔を見ると、怒りに任せ引き金を引いてしまいたいという欲求がおこった。この男が全ての根源だと断じて、この手で、この場で処罰を与えてしまいたかった。しかし、そうはいかない。
明継の姿を確認するまでは、彼奴等がどこで何を企んでいるのかを確認するまでは。
「……ふぅぅ」
誰にも聞かれることのない吐息が、吹く風にあわせて漏れ出した。腹の奥にとぐろを巻く黒い意識とは裏腹に、心の臓は一定の間隔で規則正しく時を刻んでいる。
「大丈夫だ、私は……わしは冷静だ」
ぎゅっと一瞬、目を閉じて心を整えた。
何事か工作を終えたのか、司馬伟たちはどこかへ歩いて向かい始めた。
穂高はそれを追跡する。
蛇を見つけても、下手に尾を掴んでは意図せぬ反撃を受けるかもしれん。その頭を抑えなければ。




