【第二部】第59話.毒蛇
【第二部】第59話.毒蛇
ウナの額に脂汗が浮かぶ。ジンジンとした痛みは、もはや耐え難い激痛に変わっている。時間と共に患部は広がり、どす黒い色へ変貌しつつある。腫れ上がったそれは、普段の右手の倍ほどにまで膨れ上がってきた。
「どうした、具合が悪そうだが」
クンネがそう言った。悠長に片方の鼻を指で押しながら、息を吹き出して鼻血を飛ばして見せる。
「まず簡単な傷がそこまで膨れ上がるとは、神に見放されたのだろうなあ」
「お前が毒を盛ったのだろう」
「そんな記憶はないな。いや、短刀は蛇の解体にも使ったからな、ひょっとするとその時に誤って毒袋を破ったかもしれん」
クンネは取り落とした自分の短刀を拾い上げながら、その刃先を光にかざす。
「そういえば、大陸の蛇はずいぶん性質の悪いモノがいるらしい。人間の血を水あめの如く固めてしまうそうだ」
「言いようが……!」
ウナは短刀の鞘に巻きつけている紐をほどいて、それを右腕の付け根に巻きつけてきつく縛った。広がる毒を食い止めるためであるが、血流を止められた右腕がどうなるのかは想像に難くない。
「降参したらどうだ。俺からしても兄の子を殺めるのは心苦しい、我らもお互い協力して生き残ろうではないか」
「未来の見える真に優れた人間の下で、か。一体どこの国の旗が、この地に立つことになるのか。ニタイ省なんてごめんだね」
「さかしいな」
ウナは自分の右手を、開いたり握ったり動かしてみようと試みるが上手くいかない。もはや殆ど握力は失われてしまっている。
「ニタイの民が誇りを持って、それを名乗れる未来を作るべきだ。いくら益があろうが他国の人間に支配させるなんて、叔父さんは間違っている。俺たちは団結すべきなんだ」
「現実を見ろ。支配させるつもりはない、我々が支配し、その舵を大国に譲るだけだ。そうでなければ、この大国のせめぎ合う中に置いて、ニタイなど民族ごと土地を奪われて歴史に消えるだけだ」
「たとえそうだったとしても民を率いる人間が勝手に決めることか!それを選ぶかどうか、民が自ら決めるべきだ」
吐き出すようにウナが言う。
「馬鹿な。ものを知らぬ者達が、寄り集まって舵を取れば船は沈む。優秀な船頭に導かれてこそ、正しい選択ができうるのだ」
「理屈だけで!」
「もういい。ウナよ、決着をつけよう」
ウナの声は、クンネには届かない。
互いにニタイを思う者同士、その思いは同じであるが道が違う。クンネがぴゅうっと風を切る音を立てて、短刀を空に振るう。先程までとは技のキレが違っている、本気だと言うことだ。
「「クンネ!クンネ!クンネ!!」」
彼を支持する者たちが、大きな声で声援を送る。その声に抗うように、ウナ派の男たちが抗議の声を上げた。
「正気か、毒だぞ!卑怯な!誇りを失ったのか!」
「「クンネ!クンネ!クンネ!!」」
方々で上がるその声も、クンネの勝利を目前にした彼らの熱狂の中にかき消えた。業をにやしたウナ派の一人の若者が、観客をかき分けてウナとクンネの戦いの場に割って入ろうとする。
「卑怯者め、殺してやる!」
「やめろ、入るな!!」
今にも飛びかかろうとする若者を、ウナは声で制した。
「この方形は、聖域だ。俺とクンネの勝負が決まるまで誰も入ってはいけない。勝負はまだついていないのだから」
そう言って、残された左手で盾を構え直した。




