【第二部】第54話.訪問ト訪問者「ウナ視点」
【第二部】第54話.訪問ト訪問者
「帰ってくれ。話はできない」
「モユク、まて。聞け俺の話を聞け」
ウナの言葉虚しく戸は閉められ、内からかんぬきがかけられた。ごとんと容赦ない音が、曇り空に響いて消えた。
「……聞け。聞いてくれよ、何も言わずに、何も言わせずに去るなんて。お前らしくないじゃないか……」
彼の拳が、木製の扉に軽くうちつけられた。ウナは体重を預けるように、戸にもたれかかる。モユクと呼んだ男は、ウナの遠い親戚に当たる男だった。
幼い頃は共に遊んだ仲である。山で、川で、今日のような天気の良くない日は、鹿の骨で装飾品などを削り出しもした。しかし今のモユクを見ると、そんな思い出の方が間違いではないのかと考えさせられる。ジッと地面を見つめた後、ゆっくりと顔を上げた。
「ウナ様」
「うん、大丈夫だ。次は誰かな」
付きの者がウナに声をかける。何でもなかったように彼はそう答えた。しかしその表情は晴れず、苦虫を噛み潰したような顔をしている。
「少し休みましょう」
「いや、そんな暇はないよ。今日中に回らないといけない場所がいくつもある」
そうだ。ウナは消えた部下を訪ねて回っているが、まだ三分の一を消化した程度である。今のモユクのように顔を見せてくれるものはまだ良い、ほとんどの人間は居留守を使って出てもこない。
どうにか説得できれば。彼らのクンネとの繋がりを明らかにし、それを正そうと思っているのだが難しい。クンネは彼らにずいぶん上手く取り入っているらしく、話を聞いて貰えもしないのだ。ウナは人知れず下唇を噛む。
ふと建物と建物の間、暗い路地の隙間。そこから小さな物音が聞こえた。ジッと目を凝らしてみると、べたりと塗られた暗闇の中に一つだけ、ほのかに光るものを見つけた。何かある、何者か。普段なら構いもしない、そんな僅かな気付き。そしてふっとその光が消える。気のせいでなければ、あれは人の目だ。
「ウナ様、どうかしましたか」
「いや。うん、いや。ちょっと気になる」
部下も何かを探すウナに従って同じ方向を見る。しかし、もはやそこには何もない。ただ、たしかに誰かこちらを見ていた。
「何か?」
「うん。誰か居た気がする。ちょっと行ってみよう」
どんな心の変化か、今日に限ってウナはそれを追ってみることにした。いまいち不審に思った様子の部下も、それに続く。路地は狭い、幅は人が一人通るのでいっぱいだ。それでも一列になって、ずんずん進んでいく。
何かしら黒い虫のようなモノを踏むし、吐瀉物のようなものが壁面にかかっている。どんなに言葉を選んでも、とても清潔だとは言えない空間である。
「臭いな」
「はい」
そんな光の当たらぬ通りの中途に、一つ木製の扉があった。いつのものなのか、上端と下端が腐ってずいぶんと弱々しい扉だ。そんな扉が、少しだけ隙間を開けている。ウナはその扉の前に立ち止まった。手で押し出すと、ギッと嫌な音を立てて扉は苦もなく開いて見せた。窓も何も閉め切っているのか、部屋の中はずいぶん暗い。
「危険です」
部下がそう言うが、ウナは右手の人差し指を立てて彼の前に持っていった。無論、静かにせよという意味である。
「誰か」
開け放った扉の前で、部屋の中に向かってウナはそう呼びかけた。しかし返事はない。
「誰かいないのか」
「危険です。この場を離れましょう」
「いや。大丈夫だ」
小声で危険を訴えてくる部下にそう制止しながら、ウナは少しだけ自分の不用心を後悔した。ここまで一本道の上に、この路地は人がすれ違うには狭すぎる。悪意を持った者に前後から挟まれたならば、どうしようも無いだろう。そして、この扉の中には誰ぞいる。
煤の匂いがするのだ、近日のうちにランプでも灯した証拠だ。ただ、それが敵であるのか、それとも……。
「入るぞー」
そう言いながら、ウナは暗闇の部屋の中に一歩踏み入った。砂のようなものを踏んで、足元がじゃりっと鳴った。