【第二部】第46話.手合わせ
【第二部】第46話.手合わせ
「もう始まってる」
その言葉と同時に、金剛辰巳が右足を蹴り出した。蹴り上げ、いや前蹴りか。穂高はそのまま後ろに下がって間合いをはな離す。
「チェイアアァァッ!!」
高身長、重体重から繰り出された蹴りは、想像以上に伸びた。紙一重で避けたところに異様な圧力を感じる。蹴り出された足親指の付け根の部分がまるで槍の先端のようだ。銃剣の刺突にも匹敵する。
金剛の蹴りが伸びきって、足が降りるタイミングに合わせて穂高は一歩踏み込もうとする。懐に飛び込んで捕まえてしまえば、柔術で組み伏せられる。体重差はあれど、穂高にはその技がある。そう判断したのだが、その一歩を踏み出すことが出来なかった。逆に、もう一歩飛び退いた結果となった。
「フゥッ」
穂高が一つ息を吐いた。
予想以上に間合いが遠いのだ、手足の長さがまるで違う。長柄の武器に対するように大きく間合いを開けて、再び対峙する。
気がつけば、金剛は構えをとっている。両の手を手刀の形にして右を後ろへ左手刀を正面に突き出した形である。
「空手……?」
誰にも聞こえぬ声で呟いた。穂高にも人並み程度には空手や柔道の覚えはある。さっきの蹴りの鋭さといい、この男はただの喧嘩屋なんぞではない。はっきりと武道を修めた人間だということがわかる。稽古をつけてやるなどと言うべきではなかったかな。少しだけ後悔しながら、じりじりとすり足で間合いを詰める。
「ツッアァ!!」
気合一閃。手刀だ、それも打ち下ろすように打ち込んできた。その手刀に合わせるように一歩前に踏み込む。上から来る刀を、自らの手刀で合わせるように受けて後方へ回る算段だ。身を入れてそのまま投げを狙う。
「取った」
そう思った瞬間、金剛は腰を捻って逆手でもって貫手を放った。合わせるはずの打ち下ろしの手刀は空かされて、穂高の開いた腹へ巨大な貫手が突き刺さった。
ズンッと背骨にまで響きそうな衝撃を受けて、思わず身体をくの字に曲げながら後ろに下がる。
「カアアアアッ!」
よろよろとよろめいて後退する穂高を見ても、金剛は表情を崩さずに裂帛の気合を吐いている。そのまま、その場で軽く跳躍しながら身を翻した。回し蹴りの体勢だ。苦悶の表情でもがいている穂高の顔面目掛けての飛び後ろ回し蹴りである。威力のある蹴りだ。こんな大男の一撃を脳天に受ければ、昏倒するだけではすまない。倒れ込むように地面に四つ這いになり、蹴りを回避する。頭上を剃刀のような蹴りが通過した後、跳ね上がるように飛び起きて距離を取った。
金剛は絶対に命中するとふんでいたのか、回し蹴りが空を切ったことに少々驚いたような表情で言った。
「良いねえ、穂高さん。あんた最高だよ」
「何が最高なものか、見ろ膝に土が着いてしまった」
「土?」
「ああ、私の負けだ。勝負あり」
ルールでは足の裏以外が地面に触れる事で敗北になると決めたのだ。両の手のひらを顔の高さに上げて、参ったのポーズを取る。
「……俺の勝ち」
「そうだ」
「そうか、終わりか」
金剛はつまらなそうにポツリとそう言った。どうやら本当に喧嘩が好きらしい。緊張した空気が溶けたのを察して、吉野とウナが近づいてくる。
「お疲れさん!おい、どうやった?」
「軽く遊ぶだけのつもりがコレだ。安心しろ、この男は本物だよ」
そう言ってやると、吉野はニッと笑った。やはりそうか、この金剛辰巳という男が本当に使えるのか試してみたかったのだろう。それで吉野は私をけしかけたというわけだ。使えるもなにも化け物だったがな。
「手合わせ感謝するぜ、穂高さん」
「こちらこそ。良い体験だった」
膝に着いた土を払いながら言った。
「ところで金剛さん。あれは空手だな」
「よくわかったね。いかにもカラテだ」
「指先足先の形が自由自在だ。握り拳を禁止としても一向に問題にならなかった。一朝一夕では、ああはいかないだろう。ずいぶん鍛錬を積まれたようだが」
金剛は一瞬、おっと何か勘づいたような顔をした。そしてゆっくりとした動作で、頭を人差し指で掻いて見せた。
「くく」
「だが空手道。この北海道の北の果てにまで浸透しているとは考えにくいが、どこで習得されたのかな」
諸説あるが空手はこの時代にもすでにある。沖縄にその原型となる技術があった。それが大正時代を経て形を変えながら本土へ、そして今日のように海外へと広まっていったのは昭和に入ってからのことである。
この地で金剛辰巳というこの男が、その技術を持っている、それも達人であるというのは有り得ない事でもないが、いささか不審な点がある。
「そうだなぁ、カラテとはどこで出会ったか、もう覚えてないなあ。それくらいは身を捧げたねえ」
「そうか。なるほどな」
ぴたりと動きを止めて、金剛の目を覗き込む。そうして穂高は言った。
「前世の記憶があるな、お前。識者だな」
ずばりそう問うと、金剛は下を向いて頭を掻いた。「ん〜〜〜」と言葉にならない声を出しながら、ただ唇は歪み上がっている。
「くく。よくわかったね、穂高さん」