【第二部】第40話.昔話
【第二部】第40話.昔話
ウナの屋敷は、想像以上に立派なものだった。煉瓦作りの西洋式で、いく部屋もあるような大きな屋敷だ。南向きに窓もいくつもとってあり、日中はさぞ明るいことだろう。
穂高ら三名は大きな食堂に通されて食事を供された。
ウナは女中を雇っており、彼女は上品な白髪混じりのお婆さんといった風情である。甲斐甲斐しく料理を運んでは、茶を注いだりと気が利いている。
「婆や、もう下がって良いよ。部屋に戻ってな」
「ハイ」
女中は小さな体だが背筋は真っ直ぐだ。ウナがそのように声をかけると、彼女は素直な返事を残して立ち去った。
「ウナが人を雇うというのはなんだか不思議な感じがするな。それに彼女は日本人のように見えたが」
「ウン、婆やはそうだよ。維新の後こっちに入植らしいんだけど、雑居地もイロイロあったからね」
「よく気がつく人だ」
「感謝してる」
穂高は温かい茶に手を伸ばした。ゆらりと青草色の水面が揺れた。
「それにしても。役所もそうだが、この屋敷もな、以前のウナからは想像できんよ。栄進したな」
穂高のその言葉を聞いて、ふっと暗い影がウナの顔をよぎった。
「栄進かぁ。自分の中身はあんまり変わってないつもりなんだけどな。それを許して貰えなかったよ」
ウナは変わることを強いられた。それは誰にという事ではなく、もっと大きな何かに強制されたのだ。
そもそもが、ウナの願いは「ニタイの民としてニタイの民らしく生きたい」というところから出たものだ。
ウナは中将に直訴して皇国と交渉し、自治区としてのニタイの民としての自由を勝ち取った。そのはずだった。
「俺は、父やその父、先祖から受け継いだ土地で『それらしく生きたい』と思っただけなんだ」
今の姿をみて、戦争以前の暮らしぶりを想像するのは難しいだろう。
「ニタイの自由だ。そう自由だって、それが不自由なんだよな」
ウナは肺の中の息を全て吐き出すように、そう言った。
ニタイの民は大小いくつもの集落が、互助会のように集まった民族だ。北はルシヤ、南は日本人の血を混ぜつつ同じ風習でまとまっていた。それは国家という集まりよりも彼らの生き方そのものが『ニタイ』なのだ。
「先祖よりの土地を守り伝統を継ぐなんて声を出していたんだ。それなのにオレはルシヤ人の出ていった街で、こんな城みたいな家に住んで、砦みたいな役所に通っているんだよ。弓を引き絞る指は、いつのまにかペンを持っていて、獲物を追うための口は、日本人やルシヤ人のお偉いさんと話をするのに使ってる」
ウナは目線を外して、空を見た。伝統を一番大切に思う男が、伝統的な生き方から一番遠くなっていた。
「家族と一緒に狭い天幕に潜んでさ、寒い指を擦っていた生活。全部が良いとは言わないけど、俺はそれが好きだったし、それを守りたいと思ったんだ。なぁ、タカ。なんでかな?俺は間違っちゃったのかな」
ウナのその顔が、一瞬、五年前の彼とかぶさった。彼の真っ直ぐな瞳に呑み込まれそうになりながらも穂高は口を開いた。
「……どうだろうな私にもわからんよ。しかし皇国と帝国に挟まれてなお、ニタイの民の火が消えずに残っているのは、ウナ、お前の努力によるところがあると思う。それだけこの情勢は難しく残酷だ」
権利を訴えても、それを守るだけの力がなければ容赦なくすり潰される。過渡期にあるこの時代では、人命や人生は考えられぬほど安い。
「変わっていかなければ生きていけない。そういうことなのかな?」
ウナが言った。穂高はそれを真っ直ぐに受け止めて返す。
「ウン。世の全てのものは流動的だ。変わらずに残っていると見えても、細かには絶えず変化している。だがその根源にあるものは形が変わっても引き継がれて残っていくだろうし、引き継いで行くべきだ」
ウナは黙って穂高の話を聞く。
「今日は昨日になるし、今は過去になる。時を止めることなんてできないように、変化を止める事はできない。どう変化したかが重要だ。私は、ウナが仲間のために変化を受け入れた事はむしろ誇れる事だと思うがね」
「ふぅん」と納得いったのかわからぬような声を出して、ウナは椅子にもたれかかった。
「はぁー。タカはやっぱ、賢いな!」
「おいおい。さっきまで大層大人になったものだと思っていたが、存外子供のような事を言うのだな」
「なんか、タカと話していると五年前に戻ったみたいだ。あの時も俺がなんと話しかけても、必ず返してくれたんだ。小難しい話もあったけど、俺を子供だと馬鹿にせずに話してくれたのはタカだけだった」
「そうだったかな、あんまり覚えていないが」
「いや、そうだよ。そのおかげで俺の今があるんだ」
ウナが前のめりに体勢を変えた。ギッと木製の椅子が音を立てる。
「さあ、昔話も良い頃合いだし。タカたちがわざわざ自治区まできた理由を聞くよ」