【第二部】第36話.蛇ノ道ハ
【第二部】第36話.蛇ノ道ハ
道場で稽古を終えて静かに帰り支度をする中、すでに日は傾いて西の空を紅く染めはじめていた。師範が道場から姿を消すと、がやりがやりと門下生らの話し声が立ち上がってきた。そんな中、明継は憂鬱な顔をして突っ立っていた。
「帰りにもアイツら居たらどうしようかなあ」
ぼそりと力なくつぶやいた。乱暴そうな大男の二人組、はじめて見る男たちだったが、とにかく怖かった。ぶるりと小さく震えて、落としかけた竹刀を握り直した。道場の敷地から出ようとしても、勇気が出ない。他の門下生らは何事もないように、歩いて外に出ている。
彼らに混じって出てしまえば、きっと誰にも気が付かれないだろう。そうだわかっているが、足がすくんでしまう。その時、明継はふっと顔を正面の門から背けた。
「そうだ、裏門があったぞ」
一つの考えが彼の頭の中に浮かび上がった。道場には大通りに通ずる正門の他に、裏門がある。この時間には、ほとんど人はいないはずだ。さすがに赤鬼みたいなアイツらでも裏門には気が付かないだろう。妙案だ、そう思って明継は裏門に向かって走っていった。
予想通り人の気配はない。大通りの道が整備されてからこちらの道を使うのは、御用聞きの兄さんくらいなものだ。
恐る恐る外に出る。
やはり誰もいない。ホッと一つ息を吐く、竹刀を握る手に汗が滲んでいた。明継はきょろきょろと辺りを見回すが、視界には人間どころかネズミ一匹いない。どうやら作戦は成功したようだ。
意気揚々と足を踏み出した。いつも見ている景色と全く違う景色だ。一本道を隔てると、ここまで雰囲気が変わるのか。
「ほんとうは、別にあんなヤツら怖くはなかったんだけどな」
喉元過ぎればなんとやら、そうやって口に出してみると、先程出会った赤鬼たちもそんなに大した事がなかったように思えてくる。
今度あったらなんて言ってやろうか、そんな事を思っていると。
「こんにちは」
後ろから急に声をかけられた。飛び上がるほどびっくりして明継の動きが止まった。心臓が爆発しそうなほど、耳の横で大きな音を鳴らしている。
振り向け、振り向け、いや逃げろ、逃げろ。
二つの声が彼の頭の中に広がった。パニックになったまま固まっていると、グッと肩を掴まれた。
「こんにちは」
肩をそのまま引っ張られて、声の主と対面する。その正体は、黒縁眼鏡に細い目の優しそうな男だった。
「あ、こ、こんにちは」
「ふふ、はじめまして」
男は値踏みするように明継の姿を見る。足の先から頭の先まで、心までも見通すように眺めた後に言った。
「僕はあなたのお父様である、穂高進一さんの友達なんです」
「は、はい」
「なんですケド、ちょっと……今、進一さんと連絡が取れなくてですねぇ。今どちらにいらっしゃるのか、教えて貰えませんかぁ?」
男の口調はあくまでも優しいが、有無を言わせぬ迫力があった。その上、肩に置かれた手から異様な圧力を感じる。
「あの、痛いです。肩」
明継が細い声でそう言うと、男は少しの沈黙の後、右目を少しだけ大きく開いた。
「あぁ、すみませんねぇ。それで……」
男が何か言い終わる前に、明継は背を向けて走り出した。竹刀もほうりだして、全速力で駆けた。
父から、留守の間に彼を訪ねて来るものがあれば逃げろと。そう教えられていたからだ。
それにあの男は何かやばい、何かはわからないが優しげな顔はまるで仮面のようにのっぺりしている。
数秒か、数十秒か。
全速力で走って一つ角を曲がったところで、明継は地面に転がった。虚をついたと思ったが、あの男は瞬時に追いかけてきたらしい。
襟首を引っ掴まれて、そのまま前のめりに転ばされたのだ。地面をごろごろと、二、三度回ってやっと止まる。手のひらをいくらか擦りむいて、血が滲んだ。
「痛ててて……」
「大丈夫ですかぁ?危ないですよ、急に走り出すと」
倒れたままの明継に、細目の男は静かに近づいて彼の前髪を掴んで上に持ち上げた。容赦なく引っ張る力に、明継は成す術なく立ち上がらされた。
「痛い、痛い!」
「あー僕の質問、聞こえていますかぁ?はぁ子供の扱いは難しいナァ」
左手で髪の毛を引っ張ったまま、男はもう片方の手を胸元に突っ込んでなにかを取り出した。それはぎらりと光る、刃物であった。
「コレで、答えてくれるかなぁ」
ちろりと二股に分かれた舌が覗いた。