【第二部】第29話.野宿ト暗器
【第二部】第29話.野宿ト暗器
日が傾き、山の闇が深くなる前に我々は野営地を決めて腰を落ち着ける事にした。適当に開けている場所に天幕を貼り、簡単な寝床とする。同時に暗く寒い夜を凌ぐために焚き火を起こした。戦時中ではないので、火の光が洩れるのを気にする必要もなく気楽なものである。
質素な夕食を終えて、三人はそれぞれ思い思いの格好で自由時間をくつろいでいた。ともかく一日中歩き通しでいたために、両足のメンテナンスは欠かせない。
トリィは靴を脱ぎ裸足を空に放り出して、自らのふくらはぎを揉んでいる。軍人として現役の穂高はともかく、吉野も少々くたびれているようだ。地べたに大の字になって転がっていた。
何の気無しに以前、司馬伟に打ち込まれた棒手裏剣のような武器を取り出してみる。焚き火の光に照らされて、ぬらりと濡れたようなシルエットが浮かび上がる。
「あの時の暗器か、持ってきたんやな」
「ああ。何か掴めればと思ってな。司馬伟がどこの何と繋がっているものか、急所を得られるかと期待しているが」
「結局、札幌中の刃物屋にきいても収穫はなしやったな」
「うん」
この武器に関しては吉野が探りを入れたが、全て空振りに終わっていた。他のどこでも見かけない形状なので、何かの手掛かりにはなるものかと思っていたのだが。
「それ……」
ぼそりと、トリィが横から声を上げた。彼女が指を指す先は、この武器である。
「どこかでみたことがあるような」
「見たことがある?」
「はい。どこで、とは答えられないのですけれど」
「ふうん」
持ってみるか、と声をかけてその刃物をトリィに手渡した。
「指を切るなよ、気をつけてな」
「はい」
穂高からトリィが慎重に両手でそれを受け取った。初めて触るような手つきで、恐る恐る手首を返して両面をみる。
「思い出せるか?」
「いえ、思い出せないです。でもなんだか知っている感じがするんです。見たことがある。すごく嫌な感じがします」
嫌な感じか。ふっと司馬伟の蛇のような顔を思い出す、あれば確かに良い感じはしない。完全に嫌な顔だ。
「そうか。ベアにも聞いてみてもいいかな」
申し訳そうな顔をするトリィに、そう声をかけた。「はい」という素直な返事の後、トリィはスッと下を向く。再び顔を上げた時には、雰囲気がまるで違う人間になっていた。
「どうだ、ベア。何か知っている事はないか」
「……いや」
難しい顔で、ベア続けた。
「いや、無い。そも俺はこの武器を見たことがないな」
「見た事がない。トリィの記憶違いだと言うことか?」
「そうではない。俺とトリィは繋がっているが、視覚を共有しているわけではない。上手く伝えられないが、目には映っていても認識できなければ見えているとは言えないだろう?」
「つまり」
「そうだ。俺が現出しているときには、これを目にしていないという事になる」
ベアから静かに棒手裏剣を受け取る。ヒヤリとする感覚が指先に伝わった。
「トリィは見たが、ベアは見てないと。ではベアが表に出てくるというのは、どういう状況の時なのだ」
穂高はそう問うた。言葉を選ぶように、ゆっくりとベアがそれに回答する。
「俺の主はトリィだ。俺という存在は、識者としての知識が一つの人格としてまとまったものに過ぎない。トリィが必要と感じた時に呼び出される。それは意識している時もあれば、無意識でもある」
「となれば、ベアが必要無いとされるときにトリィがこれを見たという事になるか」
「そうだ。だが、まず身に危険が迫っているような時は、俺が出ている可能性が高い」
「身の危険を感じない時でこの武器を目撃したと?」
「……そうなるか。物騒な代物だが」
トリィは棒手裏剣のような見るからに物騒な武器を、身の危険を感じないタイミングで見たと。しかしこれを見た彼女は「嫌な感じがする」と答えた。
いつ、どこで見たと言うのか。
「思い違いやないんか?俺やってこんな武器見たら気持ち悪いって思うわ」
考えていると、話を聞いていた吉野がそう言った。
「そうか。その可能性もあるが」
「まぁ考えてもわからんからな。ともかく今日の見張りは交代やで」
「ああ」
さすがに山道で野宿である。二人とも寝てしまうほど安全とは言えない。穂高と吉野が二人交代で歩哨に立つ事にしたのだ。何か引っかかるものを感じながら、穂高は例の暗器を懐に仕舞ったのだった。