【第二部】第27話.検問
【第二部】第27話.検問
我々は、地平の向こうに見える雲に向かってあゆみ続けた。一定の期間歩いては小休止を挟み、くたびれすぎないように注意しながら足を動かした。
些細な石ころに荷車の車輪を取られては、グッと踏ん張りを効かせて乗り越えながら、えっちらおっちら歩き続ける。
「なぁ穂高。自治区っていうと、結局何がどうなるんや?」
じわりと汗の滲んだ額を拭いながら、吉野はそう問うた。
「厳密にはそうではないが、もはや日本国ではない国外だと考えれば良いだろう」
穂高は顔を上げて、吉野にそう答えた。荷車を引く手を緩める事はない。日は高く、ジリジリと刺す陽の光が容赦なく二人を焼いている。立止まっていれば良い陽気なのだろうが、行軍中の彼らには憎らしい存在に思えてくる。
「自治区ではその地の民による慣習による法の執行が行われている。だから我々の、皇国の常識などは通じないと考えるべきだ」
そういうと幌をめくって、荷車の上で寝ているトリィの顔色を確認する。やる気で満ちていた少女でも、流石に軍隊上がりの二人と同じペースで歩き続ける事はできない。調子を崩す前に休めと、荷車に寝かせたのである。
「何をするにも慎重でなければならない。まず考えられぬ事柄でも拘束される可能性がある。特に今現在、自治区の中が二分され混乱しているのであれば尚更だ」
「検問を構えていると言っとったな」
「ああ、まず鍵になるのはそこだな。上手く渡らねば、命取りになるだろう」
「こっちがなんて言うても、向こうさんの言い分が全てっちゅう事か」
「うん。正しい、正しくないそういう次元の話では無いだろう。言葉一つが、大きく状況を左右する」
吉野は長く細い息を吐いてから言った。
「えらい事に巻き込んだな、堪忍してくれや」
突然そのように謝るものだから穂高は目を丸くした。あの吉野が謝る事がおかしければ、そのタイミングもおかしい。
「はははははっ!何を言うか、今更な!」
そう大きな口を開けて笑った。それを見た吉野は、感情の置き場をどうしたものやら分からぬ様子であった。
「最初はこのぐらいの事と思っていたんやけど、ずるずると大ごとになっていくからよ」
「まぁ、そうだな。私ももう少し楽観的に考えていたよ」
一人の少女を救ってやる、そんな程度の思いであった。しかし気がついてみればルシヤ帝国と清国からはマークされ、自治区へは命がけの潜入ときたものだ。
「俺が甘かったわ」
「私も甘かった。だが、約束をしたからにはやらねばならんだろう」
「そうやな。トリィは必ずウナの元へ連れて行って、ルシヤから逃してやる」
穂高は黙って頷いた。短い期間であったが、寝食をともにして情が湧かぬ訳もない。二人は、そう決意を確認しあった。
しばらく道なりに進み、荷車を引く係も穂高から吉野に替わったころ、どうやら先に倒木がある事を見て取った。穂高は吉野に合図をして、立ち止まる。
「検問か」
ただ道を、木を切り倒して塞いだだけのものだが、その近くに小銃を持った男らが数人控えている。道を通るものに誰何して回っているのだろう。
「ついに来たか。そうか、手筈通りやるで。トリィ、ちょっとこっちこいや」
「はい」
吉野は、目覚めていたトリィを荷車から下ろして目の前に立たせる。
「後ろ向いて、手をこっちに向けや」
言ったとおりにしたと思えば、手早く縄でトリィを後ろ手に縛ってしまう。そして縛り終えると再びトリィを荷台に載せた。そのまま彼女の上に幌をかぶせる。
「一発勝負やで」
「そうだな」
荷車に少女を押し込んだ二人は、真っ直ぐ検問と思しき場所に向かって行った。横に寝転がった丸太の前まで来たところで、両脇から現れた男たちに呼び止められた。
「トマレ、そこでトマレ」
小銃を持った男が四人。恐らくニタイの民であろう、精悍な顔つきの男たちだ。持っているのは日本製のモノが一つ、あとはルシヤの小銃だが、どれもコピー品では無いだろうか。
「和人カ、お前たち何ダ?」
「俺らは札幌の商売人や、物を売って歩いてる。今回は自治区と取引がしたくて、ここまで来たんや」
「商売ニン?」
そう言うと、男らは我々に通じない言語で何事か相談をはじめた。数人で取っ替え引っ替えこちらの姿を確認したかと思うと、一人の男が吉野に向かって小銃の銃口を向けた。
「おいおい待ってくれや、俺らはただ……」
「黙レ!動くナ!」
ぴしゃりと、大きな声を上げた。それをキッカケに他の男たちも我々に銃口を向けた。凍りついたように、穂高と吉野の動きが止まる。
ジェスチャーで荷車を離して一箇所に集まるように指示を出されたために、両手を上げて移動した。二人が素直に手を上げたまま抵抗しないところを見て、男の一人が荷車に近づいた。幌に手をかけたところで穂高が口を開く。
「待て、荷台には商品が積んである。乱暴に触れるな」
穂高がそう声を上げる。すぐさま取り囲んでいた一人が、彼の背中にゴリゴリと銃口を押しつけた。
「黙レ!」
「お前、座レ!そこに座レッ!」
三つの銃口を向けられた上に、大声で指示される。だが穂高はそれを無視して相手の目をジッと見据えたまま動かない。
「座レと言ってるダロ!!」
「……」
「座れ」と命令しながら目の前に突きつけられた銃口を無視して、彼は真っ直ぐ不動であった。
「んっ、ううん!」
その時、吉野が咳払いをする。ぱたと何かが彼の胸元から地面に落ちた。それは煙草であった。地面に転がる煙草を男たちは目で追った、それを吉野は見逃さない。
「ちょっと、この煙草を拾いたいんやけど。屈んでええか?」
「……拾エ」
「おおきに」
吉野は静かにゆっくりとそれを拾った。そしてその煙草を、近くに居た一番偉そうな男の手に握らせる。
「ホンマに、お仕事ご苦労さんやで。頭が上がらへんわ。ところで、あの積荷は大切な商売道具が入ってんねんけど」
「ン」
煙草を受け取った男は、自分の胸元にそれを仕舞って少しだけ頬が緩む。吉野は続けた。
「この商売が上手くいけば、ここを毎回通る事になるんやけどな。商いも大きくなったら色んなモノが動くわなぁ、こんなもんじゃなく」
「……」
「荷車の中身は見てくれてもエエ。見てくれてもエエけど、そのまま俺らを通して欲しいんよ。なぁ、お兄さん」
吉野にそう言われた男は、荷車の近くに立っている者に何事か声をかける。幌に手をかけて、今まさにそれを剥ごうとしていた男は、そこから手を離してこちらに戻ってきた。それから煙草の男は我々に向き直って言った。
「オレたちでは判断デキナイ。少し待テ、聞いてクル」
「ああ、待ってるわ。よろしく頼むで」
そう言うと、彼らの中の一人が何処かへ消えていった。いまだ予断は許さないが、ひとまず、火と血を見るのは避けられたようだ。