【第二部】第23話.自治区
【第二部】第23話.自治区
水を飲み、飯を食う旅人の顔には生気が戻り、その瞳には何か強い使命を感じる。用意したいくらかの握り飯を全て食べ尽くして、ようやく満足したようだ。
「馳走になった」
ぎしりと鳴る音に気遣いながら、彼は足を組みなおしてあぐらをかいた。真っ直ぐに吉野の顔を見る。柄の悪い三人の男らは、すでに解散させられて、ここに居るのは彼らだけだ。
「しかし、お前。飯も食っとらんかったんかい」
あらためてみると、旅人はボロを着てはいるが、細く引き締まった四肢には研ぎ澄まされた筋肉がついている。まるで猫科の捕食者のような身体付きである。食いあぐねて都会に出てきたような、ただの浮浪者とは思えない。
「それで、お前は何者なんや」
「穂高殿に合わせてくれ」
何度も繰り返される問答に「はぁ」と一息はいて、吉野は何度目かの質問を重ねる。
「いや、穂高は今留守やて。何の用があるんよ。場合によっては俺が力になれるかもしれんぞ」
「直接伝えねばならんことがある」
吉野は上を見上げる。天井には雨漏りでついたのか、妙な形の染みがいくらかついている。何か思いついたかのように、目線を旅人の方へ戻した。
「ふぅん、それ俺にも聞かせてくれへんか?」
「……お前は一体?」
「穂高進一大尉とは同期の桜や。吉野吾郎。俺じゃ不服か?」
その言葉を聞いた男は、ジッと吉野の目の奥を見た。何かを探っているような視線で、数秒。
「穂高殿と同期の……ならば陸軍の?」
「せや。後で穂高にも連絡を取る」
「ならば願ってもない。吉野殿にお願いしよう」
ニッと吉野の顔に笑みが浮かぶ。一歩前進だ。しかし話の内容から、その笑みもろくに続きはしなかった。
「わしは北加伊道北部の自治区から来た。ウナ様の直属の部下だ」
「ああ。ウナって言うと、自治区の首長をやっている人間だな。前戦争の時には、穂高の部下だったってな」
なるほど、この辺りの人間では無いと思っていたが、合点がいった。顔つきも、引き締まった身体も。
「それで来月、穂高殿は北部の自治区に来てウナ様と面会の予定がある」
「ああ、聞いてるわ」
その時にトリィを北加伊道北部の自治区に連れて行くという計画である。その後どうするかと言うのは、先方のウナ任せであるから、計画と言って良いものか怪しいレベルのそれであるが。
「中止としたい。伝えて欲しい」
「中止やと。なんでや」
それが中止となると、トリィはどうする。いつまでも穂高に面倒を見させるわけにもいくまい。ちょっと待てと、吉野は男の話を止める。
「ウナ様の伯父にあたるクンネが良くない計画を実行しようとしている。ウナ様はそれを止めねばならん」
「クンネ?そういえば自治区の方は今、治安が悪いと言ってたな」
吉野も自治区の治安が悪くなった、という話は聞いている。最近では密造銃なんぞが、そちらの方から流れてくる事もある。
「そうだ。クンネは、自治区を日本国から独立させようと考えている。ウナ様はそれに反対だ。それで同じ民族同士、ニタイの民同士で衝突が起こっている」
「自治区は二つに割れている、ってことか。ウナ派とクンネ派の派閥って事やな」
「ああ。初めは小競り合いだったのが、クンネは裏でルシヤ帝国と清国の援助を受けているようだ。武装してウナ様に圧力をかけてきている」
「だから穂高に来るなと言うんか?」
スッと目を閉じて「そうだ」とでも言うように頷いた。
「身の安全が保証できない。日本国の軍人と会うなどと知れれば、どのような妨害にあうものか」
「ふうん」
この男の言葉がどれほど信用できるものかわからないが、吉野も札幌での情報力は人並外れたものがある。そこでも噂話程度には自治区のキナ臭さは聞いている。
「わかった。とりあえず、お前は穂高が帰って来るまでウチに居ろよ。ここまでの話なら、直接会った方がええやろ」
男は驚いたような顔をすると、少し間を置いて口を開いた。
「世話になる」
そう言って、彼はぺこりと頭を下げた。吉野は懐中から煙草を取り出して、一本咥える。目の前の男にも、同じ物を手渡した。
「しかし。次から次へとなぁ」
トリィの亡命を巡って、ルシヤと清国が探りを入れているところへ、コレだ。どうにも面倒事というのは仲良く連なって訪れるのが好きらしい。