【第二部】第15話.服毒
【第二部】第15話.服毒
辺りを警戒して、これ以上の戦闘が起こりえない事を確認する。穂高はボルトハンドルを手のひらで跳ね上げて、薬室から銃弾を抜きさった。空中に放り出された実弾を「おっと」と声を出しながらキャッチする。
「う、うぐ……」
うつ伏せに倒れこんでいる男が小さく呻いた。組み伏せた時にしたたかに顔面を床に打ち付けたので、前歯の一本や二本は折れているかもしれない。
「おい。大丈夫か?」
帽子を剥いで、顔を自分の方へ向けさせる。それと同時に穂高は異常に気がついた。
暗がりで良く見えないが、どうも意識がなく、口の端から赤い泡を吹いて小刻みに震えているのだ。
まさか。そう思って、近くに倒れている他の二名の男の方を見る。その二人の男たちも同様の症状を示している。
まずいな。
穂高は、そう心の中で一つ呟いた。この様子だと毒でも飲んだか、ここまでするとは予想の範囲外であった。
数度声をかけて反応の弱い事を確認すると、回復体位を取らせてから応援を呼んだ。先程殺そうとしていた男らを救命するというのも妙な話であるが迅速に動いた。守衛と医療従事者と、この場をおさめるに足る人間が集まった事を確認すると、後のことを預けて彼は校舎を後にした。
穂高は奪い取った拳銃を一挺、銃弾が入っている事を確認してベルトに挿した。雪兎を背負って街を歩く訳にもいかない。
足早に向かうのは自身の屋敷だ。これだけの事を起こしてしまえば、自宅にちょっかいを出してこないとも限らない。
一抹の不安を抱えながら、帰路を急いだ。
……
「おう、遅かったな」
自宅の前には、見慣れた自動車が停車していた。そのボンネットに体重を預けるようにして煙草を吸っていた男が、穂高の姿に気がついてそう声をかけた。
「吉野、来ていたのか」
「ああ。学校で動きがあったって聞いてな、ひとまずこっちに駆けつけてきたんやけど」
「うん」
「動き無しやな、静かなもんやで」
どうやら心配していた事は起こらなかったようである。自宅の屋敷は、静かに日常の空気の中にあった。穂高は緊張しきった肺腑から、凝り固まった空気を吐いた。
「助かったよ、ありがとう」
穂高が素直に礼を言うのに、吉野はニッと口の端を持ち上げて返した。つられて、咥えた煙草の火が上下に軽く揺れる。
「発砲までしたって、ずいぶん大事になったみたいやけど。捕らえたんか?」
「清国人らしきものを三人捕まえた、が、一人逃した」
重要人物であろう司馬伟を逃したのは詰めが甘かった。それに捕らえた三人もあのざまだ。
「その三名も拘束する前に服毒した。どうなるかはわからん」
「毒を飲んだ?なんでや」
「死して語らずという事だろうよ。このまま逝かれたら、背後に何がいるのか調べるのに難儀する」
吉野は「ふうん」と気の無い返事を返した後、煙草を地面に落として足で踏み消した。
何事か考えるように月を見上げた後、再び口を開いた。
「こっちにも若いのを何人かつけるわ。もちろん人目につかんようにさせる」
吉野がそう言った。彼の下で働く男達は訳ありの元軍人が多い。荒事にはうってつけの男達を、穂高の屋敷の警護に置くというのだ。
「助かる」
「それで、穂高はどうするつもりや」
「私はあくまで正攻法でいく。赤石校長を通して、皇国陸軍として清国に抗議するつもりだ。襲撃を受けたが何のつもりだ、と」
「さよか」
その時、吉野はある事に気がついた。穂高の肩口が赤黒い血で固まっているのだ。
「負傷したんか」
「ああ」
かいつまんで北部方面総合学校の校舎であった出来事を説明する。そして、黒い棒手裏剣のような武器を取り出してみせた。
「こいつでやられたよ」
吉野は、鉄でできた黒い針のような武器を手にとって観察する。先端に着目すると、そこを指でなぞった。
「刃ぁついとるやんけ」
「ただのでかい釘ではないということか。しっかりした武器のようだな」
「いっぺん札幌の研ぎ屋もいくらかあたってみるわ。こんな武器を見たことはないかってな」
「うん、任せた」
ふっと、一瞬あたりが暗くなる。どうやら月が雲に隠れたらしい。
「しかしルシヤではなく、清国人がちょっかいを出してくるか」
「どう繋がっているのか、それが問題やな。俺は裏側から探るから、穂高は正面から揺さぶってくれや」
「ああ。ここまでやるとは思わなかったが、そうする以上は、それだけの意味があるということだ。もはや看過できんな」
再び雲間から月が見えた頃、二人は別れた。