【第二部】第14話.鷹ト蛇
【第二部】第14話.鷹ト蛇
穂高は間髪容れずに、男達と逆方向へ廊下を駆け出した。背後から数発の銃声、だが全ての弾道がどこを通るのかを知る彼には、それは脅威になり得ない。あるものは耳元すぐ側を、あるものは足元をかすめて空を切った。
振り返りざまに先程こしらえた硝子のナイフを投擲する。それは拳銃を構えた一人の男の脚に命中すると、ざっくりと皮膚を切開した。投擲したナイフの戦果を確認する間もなく、穂高はそのまま突き当たりを右へ、転がり込むように射線を切って角を曲がる。その刹那、右肩に衝撃を受けて、バランスを崩した。ふぅっと息を大きく吐きつつ両足に力を込めて踏ん張った。
転倒は免れたものの、肩口がじんわりと痺れている。どうやら負傷したらしい、それでも足を止めずに再び走り出した。背後からは追跡者たちの怒号と、例の蛇男の高笑いが聞こえてくる。
月明かりも校舎の中では頼りない。ぬらりと濡れるように浮かび上がる光を、土足で踏みにじるように駆けていく。しばらく走ってロビーまで出ると、足を止めた。
先程から突っ張っている右肩を確認すると、軍服にべっとりと赤いものが付着していた。そして突き立っている、ボールペン程の大きさの黒い鉄芯。
「ぐっ……」
歯を食いしばり、左手で引っこ抜く。
それは切っ先が鋭く尖った、真っ黒な鉄の武器。まるで忍者が使う棒手裏剣のような道具だった。司馬伟が投げつけてきたのだろう。銃弾の弾道は読めるが、こんな武器は見たこともない。
「くそ、あの蛇野郎」
穂高は口汚く罵倒すると、その棒手裏剣を握りしめて硝子棚に突き立てた。
……
「穂高さぁん、もう諦めましょうよ。四対一ですよ、ははははははっ!」
司馬伟は高笑いしながら歩いていた、それでも目だけは異様な鋭さを保っている。的確に獲物との間合いを詰める肉食動物が如くの歩みである。
「おい、笑えよ。僕一人に笑わせて、どういうつもりなんだ貴様ら」
そう言いながら近くの男の頭を小突いた。穂高の硝子製のナイフによって、脚を負傷した男だ。
司馬伟は他人が手傷を負っている事には何の感情も抱かない。足を引きずる部下に「笑えよ」と詰め寄った。男たちは必要にかられて、大きな笑い声をあげた。
「はははははっ!!」
取り巻きを従えながら、廊下の真ん中を我が物顏で闊歩する。
「この施設には銃器も、刀剣も、武器は何も置いていない事は分かっているんです。それに穂高さんが丸腰なことも知っています、諦めて命乞いしましょうよぉ」
あぁ。と一人納得したように頷いて、再び声を上げた。
「もしかして、守衛が来るまで鬼ごっこを続ける気ですか?部屋の隅っこで小さくなって狩られるのを待つんですかあー?鷹じゃあなくて、鼠ですねぇ」
「はははははっ!」
取り巻きの男たちが、同意を示したように笑い声をあげる。その様子を見て、蛇男はにたりと唇をゆがめた。
カシャン。
金属が走る音が響いた。ぴたりと司馬伟の動きが止まる。
「なぁ蛇男。鷹は蛇を狩るぞ」
「うん?何だ、鉄の臭いがする。武器はないはずだよなぁ」
ぬるりと月の光に濡らされて、黒鋼のその姿が現れた。穂高が長大な銃を構えている、いつか見たその光景に、追跡者達から笑みが消えた。
「狙撃銃……!?なぜそんなものがある」
「久しぶりだな、雪兎。やれるな」
「展示物か!しかし五年前の骨董品が満足に射撃できるはずがない!」
薬室に送り込まれた弾丸が、自分にはできると穂高に告げた。皇国の学生は真面目で優秀である。毎日欠かさず手入れされていた雪兎は、往年の力を失ってはいない。
「試してみるか。そうだな、私も貴様には聞きたい事がある。その上半身と下半身を二つに分けた上で、頭のついている方にゆっくり質問してやろう」
言い終わるが早いか、追跡者達は一斉に穂高へ向けて発砲した。最小限の動きでそれらを回避しつつ、雪兎の銃口を差し向ける。
「シッ!」
間髪容れずに、司馬伟が黒い棒手裏剣を投擲する。直後、雪兎の銃口が火を吹いた。全てを破壊するライフル弾が、音の壁を超えて飛翔する。空中で黒鉄の針に正面から衝突して、それを火花に変えてさらに直進する。ライフル弾は拳銃を構えていた男の腕に直撃して、骨も肉も一つの塊にして奪い去った。
同時に跳ね飛ばした棒手裏剣の破片が、その隣の男に突き刺さった。まるで散弾銃のように鉄の破片に貫かれた男は、その場に倒れこむ。
一瞬。
一発の弾丸により、二人の男が戦闘不能に追い込まれ、数の優勢は一挙に失われる事になった。穂高は男らから目を離さないまま、次弾を装填する。司馬伟はチッと一つ舌打ちをして、取り巻きの男を突き出した。
「行け!」
「うおおおおお!」
けしかけられた男は、拳銃を捨て雄叫びを上げて飛びかかっていく。素手で突っ込むという常軌を逸した選択に、穂高は一瞬驚かされたが彼は冷静にそれを地面に組み伏した。
彼奴が同時に攻撃を仕掛けてくるかと、警戒したがそれはなかった。穂高が顔を上げた時、蛇男の姿はすでに闇に消えていた。