【第二部】第11話.猫捕物
【第二部】第11話.猫捕物
「猫?」
一家が食卓を囲んでいるところで、進一がそう言った。穂高家において、朝食は皆揃って食べるというのが慣例である。
「ええ。御近所の飼い猫が逃げたらしいのよ」
「ふぅん」
気の無い返事を返しながら、熱い味噌汁に口をつける。具は豆腐だけのシンプルなものだが味は濃い。日頃から運動量の多い進一は濃い味付けを好むので、明子がそれにならって調整するからだ。
「もし見つけたら捕まえておいて欲しいって仰っていたわ」
「見つけたら、と言ってもな。猫に特徴はあるのか」
「白と黒の二色で、鼻筋で八の字に黒い模様が分かれているということだけど」
「ハチワレか」
まずよくある模様の猫である。
「ハチって名前ですって」
気がつけば、トリィと明継が目をきらきらと輝かせながら話を聞いている。少年少女というのはこういった小動物が好きなものだ。
「まぁ、もし見かけたら保護してやってくれ」
進一が彼らに声をかけると、「はい」という返事が二つ重なった。
……
その日の昼下がり、明子からのお使いで明継は敷地内の蔵に向かっていた。
そして、その前で丸くなっている猫を見つけた。ふとその近くには、同じく猫を見つけたらしいトリィがぴたりと固まっていた。
二人は、お互いの姿と猫を交互に見た後、どちらともなく「いた」と囁くような声を出した。
話に聞いていた白黒の猫だ。
彼らの声に反応したのか、猫は目を閉じたままだが耳だけがピクリと動いて、音の方向を探っている。
トリィが一歩踏み出した。猫の片目が開く。明継も一歩前へ、すると両方の瞳が開いて上体を起こし、両方の脚を前へ向けた。臨戦態勢というべきか、いつでも飛び出せるぞとでも言うような姿勢である。
その態勢を見て、明継もトリィも固まってしまった。次の一歩を踏み出すやいなや、逃げ出してしまうかもしれないからだ。足を止めた二人は、お互い顔を見合わせた。どうしたものか。
声も出せずに考え込んでいると、ふと明継がトリィに手振りで左右広がるように指示した。取り囲むようにして、いっぺんに捕らえてしまおうというのである。彼女は黙って頷いて、それに従った。
「さん、にい……」
「いち!」
二人が声をかけて、猫に掴みかかろうとする。その一歩を踏み込むがはやいか、ハチワレ猫はパッと飛び上がって、合間をひゅうっと抜けて駆けて行った。
「アッ」
「追いかけろ!」
ジグザグに、風のように走る猫の尻尾を追うように二人は走り出した。しかし、それはほんの数秒でパッと物陰に消えてしまう。
「どこに行った?」
「わからない。縁の下に入っていったようにも見えたけど……」
「潜ってみるか」
「やめた方が良いよ、暗いし危ないよ」
明継の無謀な提案をトリィが諌める。
「じゃあどうする?」
「とりあえず屋敷の周りをぐるっと回ってみようよ、出てきてるかもしれないから」
二人はならんでトコトコ歩き始めた。中心地から離れた場所に建てられた穂高の屋敷はそれなりに大きい。四人暮らすのにそんなに大きな居住スペースが必要かと言えば、そうでもないが、赤石の家柄としては地元への見栄もある。
「そういえばトリィってルシヤから来たの?」
「えっと、まぁ。そう」
「ふぅん」
「アナスタシア姉ちゃんの親戚なんだよね?」
「う、うん」
「似てないよね。髪の色も目の色も違うし」
ジッと明継がトリィの顔を見た。彼女は思わず視線を逸らす。
「いた」
偶然、その視線の向こう側、塀の上を優雅に歩く猫を見つけた。その姿を捉えた明継は、逃すまいと自分の背丈よりももっと高い塀の上に登った。
「危ないよ!」
「平気平気」
トリィの制止も聞かずに、細い綱渡りのような道を歩いて猫の方へ近づいていく。彼のその姿を確認して、それはギョッとしたように驚いて再び走って逃げ出した。
「あ、待て!」
つられて明継も駆け出した。疾風のように走る猫を、今度こそはとばかりに追いかける。さすがに猫の身体は身軽と見えて、ポンポンポンと足音も立てずに数度跳ねて、塀から屋敷の屋根の上に飛び乗っていく。それでもと諦めずに明継はそれを追跡する。
「追い詰めたぞ!」
気がつけば屋敷の屋根の上、一人と一匹は向かい合うように対峙した。上を取ったのは明継で、猫の後ろにはもはや瓦はない。
「動くなよ……」
じりじりと近づいて、ゆっくりとその間合いを詰めていく。そしてその右手が猫の背中に触れようとした瞬間、パッと突然動き出したそれが明継の股の間を抜けて走り去った。
「ちょっと、あっ!?」
予想外の出来事に動転した明継がバランスを崩してその場に転んだ。傾斜のある屋根の上である、そんな場所で転べばただで済むわけがない。二、三度転がったと思ったら、真っ逆さまに屋根の上から投げ出された。
「おいっ!手を伸ばせ」
そう叫び声を上げて、トリィがはやてのように屋根の上を走った。同時に空中に放り出された明継の腕を掴んで踏みとどまる。間一髪。屋根から転げ落ちる瞬間、明継は彼女の手によって事なきを得た。
「え、あ。トリィも屋根に登ったんだ」
「無駄口は良いからここを掴め。腕が抜けちまう」
屋根の上に明継を戻すと、トリィはいつもと同じような声で、いつもと違う口ぶりで言った。
「気をつけろよ」
「え、は、はい」
少女は「はぁ」と一つため息を吐くと、ポケットから棒付きキャンディを取り出して咥えたのだった。
……
「猫を捕まえたって?」
「ええ。ちょうど夕飯の支度の時に出てきたから、イワシを一本あげたら自分から捕まってくれたのよ」
その日の夕食時。明子はハチワレ猫のハチを捕らえたのだと進一に報告した。
「うん。なら一件落着だな」
「ええ」
その話を聞いて、ぽかんとした顔が二つ並んでいた。屋根から転落しそうになった後も明継とトリィは猫を探して歩いていたのだが、ついに見つからずにいたのだ。
「明継、どうかしたか」
「え、なにも」
「そうか。探したんだろう?自分で見つけられなくて残念だったな」
「うん」
そう言うと、トリィと明継が顔を見合わせた。
「でも、もう良いです。捕まえられて良かった」
「そうか」
黙って頷くと、少年は飯を頬張った。今日の日の冒険譚は、彼と彼女の胸の中だけに残ったのだった。