【第二部】第1話.大征時代
第二部再開です!
【第二部】第1話.大征時代
日本とルシヤ。
北部雑居地で衝突した前戦争より五年。
かの戦争は大きな転機となった。史上初の近代戦を経験した日露両国だけでは無く、それを目の当たりにした第三の国々にも大きな影響を与えたのだ。そのあまりに大きい衝撃と五年の歳月は、世界の常識が変わるのに十分な時間であった。
加速する工業技術の飛躍的な進歩。
人力や馬力による動力の一部は、原動機に置き換えられた。ガソリンと自動車の時代である。民間では自動車を使ったバス事業が起こり、軍隊では駄馬に変わり貨物自動車が登場した。
時代は移り、北部雑居地は日本の統治下に置かれることとなり北加伊道と名付けられ、北加伊道庁が置かれることとなった。
我々の知る史実からは、少しづつずれゆく世界。各国の識者の思惑を拾い、激動の世はどこへ向かって行くのだろうか。
それは、大征二年のこと。
明而時代が終わり、大征時代が訪れて二つ目の年の事であった。
……
かさついた土煙をあげて、四つの車輪が回転する。札幌の大通りを、埃と煙をあげながら珍しい自家用車が走っていた。その車が誰を意味のするのかは暗黙の了解にあって、ふとした所で対面する力車なども道を空けたものである。
しばらくすると馬車とも鉄道とも違う内燃機関の唸り声が止まり、暗い色の自動車は一つの家屋の前に停車した。
太陽が沈むのを眺めているのか、ジッと停まったままの自動車からは何の意思も感じられない。
ピクリとも動かずに玄関先に鎮座するそれをみて、家に帰って来たらしい男が声をかける。
「おいおい。どういうつもりだ、人様の屋敷の前にこんなものを停めて」
呆れたような声でそう言い放ったのが屋敷の主人だ。陸軍の教官を務めている彼が丁度帰宅にするのを見計らって、自動車の持ち主は乗りつけたらしい。
その言葉を受けて、ガチャりと車のドアがあいた。黒い背広に、丸く薄黒い色眼鏡をかけた男が自動車から降りてでた。
「久しぶりやな、チビ。いや。穂高、穂高進一大尉殿か」
「吉野、吉野吾郎。相変わらずだな。こんなもので乗り付けるのはやめてくれと言っただろう」
男は色眼鏡を外しながら言った。西日に照らされて目を細めているが、顔貌は五年前から何もかわらない。
「五年ぶりになるか、今日は重要な用件で来たんや。ほら屋敷の中で話そうや、人目につくとまずいやろ」
背広の男と無骨な自動車。あまりにも大征の世には珍しい取り合わせだ、ここに来るまでの道中でも随分人目をひいただろう事は想像できる。穂高は、その吉野と乗り物を交互に見てから言った。
「ならばこんな自動車に乗ってくるなよ。まぁいい、中へ入れ」
……
「それで、用件というのは?」
和室に向かい合って座る二人の男。一人は背広、一人は軍服である。一種異様な空間に、更にもう一人この場に相応しくないだろう人間がいる。
「コイツの事なんやけどな、しばらく預かって欲しいんや」
そこには話を振られたものの、どうしていいのかわからずに固まったままの少女が座っていた。吉野の車の座席でボロを被せられて隠れていた人間だ。
年の頃は十歳ほどだろうか。翠がかった瞳に透き通るような白い肌、少し波のある黄金髪を持った小さな少女である。
穂高は少し困ったように人差し指を自らの額に当てながら口を開いた。
「なんだ、こちらは子供なら間に合っているぞ。お前のところで養ってやったらどうだ?」
穂高には五歳になる息子がいる。養子を取ろうなどという話はした覚えはないし、そのように思った事もない。
それに銃後会という戦後急速に成長したグループの会長を務める吉野の方が、客観的に見ても裕福である。縁か同情か、どこかで拾ってきた少女を養ってやろうと言うのであれば、彼の方が適当であるだろう。
「俺じゃあかんのや、穂高でないと」
「ふうん。そうは言ってもな、厄介事を持ち込まんでくれよ」
穂高の言葉を受けた吉野は、一呼吸置いてから再び口を開いた。
「日本陸軍の識者である穂高大尉、この子はお前にしか預けられへん」
その言葉を聞いて、穂高の目つきが変わる。
識者。この場合、いわゆる有識者のことではない。前世の記憶を持つ者。そういうカテゴリにある人間達の事を、軍の関係者はそう呼んでいる。彼らの影響力を恐れて、各国ともそれは民間には知られる事なく秘匿されている事実。
軍隊の中にあっても、穂高がその識者であるということは、一部の人間にしか知らされていない。退役したとはいえ元陸軍の同期である彼はその事実を知る一人であった。
「私を穂高進一としてではなく、陸軍将校として話をするという事であるならば……」
「いや。陸軍将校でもあり、俺が一番信頼できる一人の人間、穂高進一として聞いて欲しいんや」
穂高の眉が怪訝そうに動いた。
識者という、言わば軍事機密に当たる言葉を出しておきながら、将校である彼に一人の人間として話を聞けと言うのである。
つまり私が所属する陸軍には伏せて、それでいて一人の軍人として処理してくれよという事だろう。
「聞きたくないな、この話」
ちらりと見える視界の端で、申し訳無さそうに少女が足を崩した。大人しく座っているが、彼女はずいぶん緊張しているようだ。
「言うなや。コイツは他の誰の手にもおえやんのや」
穂高は「ふん」と鼻先で返事をする。
胡散臭さはこの上ない。しかし久しぶりに会う吉野の持って来た話を、ろくに聞かずに無下にするわけにもいかないだろう。
「お前、名前は?」
穂高は人差し指で彼女の瞳を指して問うた。少女の肩が小さく揺れる。つい日本語で問うて見たものの、流石にそれは無理か。明らかに日本人離れした容姿である。
「ん。いや、日本語は話せるか?」
「わたしはトリィ。日本語わかる」
トリィと名乗る少女は、少し遠慮がちに。しかし、しっかりと通る声でそう言った。
「なら良い。どこから来た?出身は」
「わたしは、ルシヤから亡命してきた」
「……なんだと?」
亡命。
その穏やかでない響きに、穂高は思わずギョッとした表情を見せた。前戦争より五年。大きな戦に巻き込まれる事もなく時を重ねた日本に、再び大きな火種が持ち込まれた瞬間であった。