第104話.識覚
第104話.識覚
翌朝。
あいも変わらず曇天。しかし、雨は止んだ。
寒空の下に野宿する事三日目になる。関節は痛むし、体調は良くない。それは彼女も同様であるようで、もとより白い肌が一層白くなって死人のようだ。
それでもなんとか身体が動くのは、何とかなるだろうという前向きな心算のおかげだろうか。彼女の心の内は何もわからんがな。
重い身体を引きずって、出発の準備をする。
「おい、歩けるか?」
女に声をかけるが、返答がない。
「歩けるか、と聞いている。もう出発する。可能か不可能か、不可能ならば背負って行く」
『置いていけ』
「それはできん。ここに置けば死ぬ。捕虜は死なせず連れて帰らねばならん」
『どうしてそこまでする、足手まといを連れて歩けば間違いなく二人とも死ぬ。わからないのか、無駄だと言ってるんだ』
二人共死ぬかなど、やって見なければ分からんだろう。
「捕虜は貴重な情報源だ。死なせんよ」
『……良い、もう良い。疲れた。何でも聞け、知る限りは答えよう。それで良いだろう』
壁面に上半身をもたれかけて、座った状態で私の言葉を待っている。質問に答えるとは僥倖だ、何もかも聞きたい。まず初めに聞くべきは、と思いを巡らせた後、口を開いた。
「では問おう。識者とはなんだ?」
『はっきりとはわからん。貴様のような存在だ、それはわかるだろう』
「うん。だが私は、お前の、ルフィナ・ソコロワの見解を聞きたいのだ」
私の持っている識者についての情報は驚くべきほど少ない。前世の記憶を持つ人間。自らがそうであると言う事と、他にもそういった人間がいる、これだけだ。こちらの手の内は見せずに、情報だけを引き出す必要がある。
しばらくの沈黙、なにかを考えるような仕草をした後、彼女は口を開いた。
『識者とは、前世の記憶を持ったまま輪廻した存在だ。私が思うに、人は死ねば同じ魂を持ってして生まれ変わる。無限に生まれ変わりを続けるのさ。その際に、すっかり記憶も肉体も何もかもリセットされるのだろうと思う。だから覚えていないだけで、識者に限らず万物は生まれ変わりを続けている』
あくまで私感での話だが、と続けた。
『識者とは、その生まれ変わりのさいに起こったエラーだ。何かの原因で、前世の記憶を持ったまま新たな生を得た。そう言う存在だと認識している』
壮大な話だが、彼女の顔は真剣そのものだ。
「それは、ルフィナの見解か。それともルシヤでは一般的な考えなのか?」
『私だけ……だとは思う。宗教的価値観があるから、その辺りは認識が皆違う。ただ本国としては、識者の事をただの便利な存在としか考えていないだろう。まぁいわゆる超能力者のような扱いを受けているな』
黙って一つ頷いた。
超能力者のような扱い、か。ルシヤでは識者を武器として使う事を考えているようだ。
「生まれ変わり。という言葉があったが、お前はこの世界の先を見てきたのだろう。時系列がおかしくないかね。私もまぁ、そうなんだが……」
『おかしくはない。時間の流れが一方通行である、という思考に囚われているからだ。仕組みはわからないが、私は時のうつろいというのは輪になっていると思っている』
「輪とはどう言う意味だ」
『わからない。ただ、感覚的にそう感じる』
これについては要領を得ない。
しかし、この辺りはルシヤ軍としてはどうでも良いのだろう。仕組みがどうであろうと使えれば良い。合理的だ。
ふと彼女との接触を思い返せば、どうしても腑に落ちないところが一つあった。それを質問してみる。
「質問を変えよう。私の射撃を避けて見せたな。あれはどういうカラクリだ」
『私の識覚によるものだ』
「識覚とはなんだ」
新たな単語が出た。
『全ての者に当てはまるのかは知らないが、識者には識覚という能力が備わっている』
「超能力のようなモノか?」
『全く違う、むしろ逆だ』
漫画みたいな、凄い能力で銃弾を回避してみせるイメージが浮かんだが、どうやら違うらしい。
『識覚は決して人知を超える力ではない。逆に、誰しもが持っている人間としての力。長く人をやっていれば到達しうる一つの到達点』
上半身だけの、弱々しいジェスチャーを交えて話を続ける。
『経験則という言葉があるが、それの究極系だ。バスケットボールの選手が、ボールを投げた瞬間にゴールに入る事が感覚でわかるように。野球選手がバットを振った瞬間にホームランになる事が手応えでわかるように。幾度と無い体験からくる能力。無限にあったいつかの輪廻の経験』
目があった。
『三世からの記憶の残骸。溢れた出た可能性の泥』
ジッと目を見つめる。
『私は生命の危機が直近にある場合、その直前に「いつかあったような感覚」によってそれを察知する事が出来る。私はこれを単に「デジャヴ」と呼んでいる』
「それがルフィナ・ソコロワの識覚」
『そうだ』
「数秒後に撃たれる。今からどこを撃たれる、どこから撃たれる。それを察知できると言うのか」
『そうだ』
「そんな事が……」
輪のようにという表現を思い出した、輪は円を描く。円周率は無限に数字が続くという。
もし彼女の言うように、この世界が輪のように続いていて、我々が無限に生き死にを繰り返しているとしたら。
それは、これから起こる全ての瞬間をすでに見て来ている、経験していると言えるのでは無いだろうか。
無限に繰り返した輪廻の記憶、そこから漏れた記憶の残り香。それがデジャヴとなって降りてくる。
『あるわけないか?しかし、貴様にもあるはずだ。私と同じ能力ではないだろうが。小さき鷹が何の識覚も無くあれほどの戦果が上げられるものか。百発百中の狙撃、岩を撃って砕いた破片でもって攻撃をするなど、常軌を逸している』
「それは」
思い返せば。
雪兎を撃つ時、引き金を引く瞬間。どこを通ってどこに着弾するのか、それが見えた。銃弾はそれを正確になぞっていた。
あの蜘蛛の糸がそうなのか。
私の識覚は。
未来の、弾道が見える事。
今まであった事柄に、名前がついた瞬間。カチリと何かがハマった気がした。
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