役者は揃った
大変遅くなりました。
「ご飯を食べよう」
そう荘周は黄石に言った。
「ええ、構いませんが何を食べますか?」
そう黄石が尋ねると荘周は前方を指さした。
「あそこで食べるとしよう」
彼が指さしたところには一軒の家があった。
「あそこでですか?」
「ああ、あそこは料理屋だ」
そう言って、荘周はずんずんと進む。それを意外そうに黄石は見る。普段、荘周は他人が作ったものを食べようとはしない。彼だけでなく道家の大体がそうである。
二人が料理屋らしきものに近づくと一人の老人が包丁を片手に持って外にいた。その老人に向かって猪が走り込んできた。
黄石はあっと驚き、危険を知らせようとしたが、それを荘周は制した。ムッとして彼を睨みつけた黄石であったが、そこで驚くべき光景が見えた。
老人が包丁を向かってくる猪に向ける。すると猪はその包丁に向かって飛びかかり、包丁が猪の首に刺さった。いや、黄石から見ると猪はまるで自分から刺さりに行ったようであった。
老人は自ら刺さり行った猪をそのまま素早くばっさりと真っ二つにした。空中で二つに別れる猪を更に老人は皮をも斬って、肉だけになるとそれを素早く細切れにしていく。
そして、どこぞから取り出した皿を出して、落ちていく細切れになった猪の肉を皿で受け止めていく。
「待っとれ、これを直ぐに料理に変えてやるからのう」
老人はそう言うと家に入っていった。
「さて、待つとしよう」
荘周は黄石にそう言った。
「あの方は何者ですか?」
目の前でありえない光景を見た黄石はそう問い詰めた。
「あの者は庖丁という」
かつて、魏の恵王に招かれ、料理の腕を披露した料理人がいた。その料理人こそ庖丁である。彼はそこでまるで楽曲を奏でるような技を披露し、その腕前を褒められた。
そこで彼は恵王にどのように生きていくべきかという語ったと言われている。
因みに庖丁は包丁の語源になったと言われている。
「早く入ってこい、料理が冷める」
庖丁の言葉に答え、二人は中に入った。するとそこには豪華絢爛というべき料理があった。
「さあ食え」
包丁を拭きながら庖丁はそう言った。
席についた荘周が食べ始める中、黄石は庖丁の包丁を見る。猪はまるであの包丁に自ら刺さりに行ったように見えたために興味を持った。
(一体、あの包丁は何だろうか)
包丁を見つめていると段々と包丁の周りが光り輝くように見えた。
(ああ、なんか近づきたい)
黄石は前かがみになりながら包丁を見る。
(ああ、美味しくなりたい)
思わず、立ち上がろうとしたところで荘周に肩を掴まれた。
「もうあれを見るのをやめろ。猪のようになるぞ」
はっと気づいた黄石は慌てて、包丁から目を離す。
(一体、何を思っていた)
とんでもないことを考えていた気がする黄石は寒気を覚える。
「ふふ、小僧、良かったな。料理にならなくて」
庖丁はケラケラ笑いながら言った。
「あの猪はまるで自らそれに刺さりに行ったように見えました。どうしてでしょうか?」
それには荘周が答えた。
「あの猪は美味しく料理されたくなったのさ」
「そうこの私にな」
庖丁は包丁を見つめながらそう言った。
「もはやあの包丁には魔が宿っているからな。戦場であれを向けながら歩けば、千人は料理できるからもなあ」
自ら料理されに行くという意味である。
黄石にはもはや庖丁の包丁は包丁には見えなくなった。
「さ、食いな小僧」
「はい」
そう言って、黄石が料理に手を伸ばして口に入れるとそれはもうこの世のものとは言えない。あまりにも素晴らしい味が、感動が湧き上がった。
「なんて美味しいんだ」
続けて手を伸ばしたその時、森の先で火が上がった。
「お、始まったな」
荘周は食いながらそう言った。
「何が始まったのですか?」
「盗跖の根城を田文の食客が襲撃したのさ」
荘周は火を眺める。
「さあ、ここで盗跖は死ぬのかそれとも……」
盗跖の根城を以前から探っていた鶏鳴と狗盗らはついに見つけるとそこを襲撃した。
「流石はかつての盗跖が自ら招いたという伝説の泥棒どもだけあるか」
盗跖はそう呟きながら火の中を走る。
正確に言えば、二人を招いたという盗跖は二代目の盗跖である。
初代盗跖は統率力で手下をまとめ、二代目盗跖は人徳でまとめ、三代目は力でまとめた。そして、今の盗跖は演出によって手下をまとめた。
「くっ」
盗跖の右肩に矢が刺さった。
「くそ」
そこへ食客たちが襲いかかる。
「おめぇらも盗跖の元で働いていたくせによ」
「それとこれとは別だ」
盗跖の左手に強烈な痛みが走った。左手を鶏鳴に切られたのである。
「そう私たちは今は孟嘗君の食客だ」
狗盗が首を斬ろうと剣を走らせる。
「けっ、いつの時も都合の悪いことを綺麗な言葉で隠そうとしやがるぜ」
それを盗跖は防ぐ。そして、切られた左手を振り回し、断面からの血を飛ばして目くらましに使う。
「てめらにだけは殺されるのは嫌でね」
(そう盗跖を裏切って、のうのうと真面目に生きているというのが気に食わねぇ)
「なあ、孟嘗君とやらに従ってよ。善人になったつもりか」
剣で食客たちを殺していく。
「黙れ、お前のような外道よりあの方は素晴らしい方だ」
「なら、その素晴らしい方とやらがやろうとしていることはなんだ。てめぇの故郷を滅ぼそうとしてやがるじゃねぇか」
「侮辱は許さん」
鶏鳴と狗盗は彼の言葉に激怒し、剣を振るう。
「何が孟嘗君だ。名宰相だ。素晴らしい人だ」
(人を殺すことは何も変わらないだろうが)
「お前らみたいなのを従えているやつが善人なわけではないだろうがあ」
(おめえらみたいな裏切り者がよ)
盗跖を裏切ったにも関わらず、そのことを目にくれずに孟嘗君の元でのうのうと生きている。そのことが彼からすれば気に食わなかった。
しかしながら数の差に段々と追い込まれていき、壁に追い詰められた。
「ここまでだな」
「それはどうかな」
盗跖はにやりと笑うと壁に背をつけて、倒れこむと壁も倒れていく。そして、そのまま壁は倒れ、外に出れるようになった。
「くそ、仕掛けがあったか」
鶏鳴と狗盗が慌てて襲いかかるが、盗跖は素早く逃げていく。
「「盗跖」は死なねぇぞ。今はこれでも必ずやまた、荒らしまわってやる。見てろよ」
そう言って、森の中に入って姿を消した。
「逃がすな。追え」
鶏鳴と狗盗がそう指示を出した。
森の中を盗跖は駆ける。しかし、もはや体はボロボロで左手からはどんどん血が流れていく。疲労困憊になり、道で出たところで倒れた。
「くそ、ここまでか」
かすれていく視界の中、眼帯の女性の死体の前で泣く子供の姿が見えた。
(くそったれが、なあ糞餓鬼よ。泣いてるんじゃねぇよ)
「見返すために同じ名を名乗ったのだろうが、なあ糞餓鬼よ」
盗跖は立ち上がろうとする。その時、
「ごほ、ごほ。生きたいですか?」
咳き込みながら男がそう語りかけた。
「なんだお前は」
「ごほ、ごほ。生きたいですか?」
男はそう言う。
「生きたいに決まっているだろう。まだ、何も見返していないのさ」
「そうですか。生きたいのですね」
男は咳き込む。
「このようなところで死にかけているため、一様、確認をさせていただきました。そうですか生きたいのですね」
男は盗跖を持ち上げて、馬車へ運んだ。そして、数人いた部下らしい男に盗跖へ治療を行うことを命じた。
「ごほ、ごほ。大丈夫ですよ。助かります。あなたが生きたいと望むのであればね」
そこで盗跖は意識を失った。
意識を取り戻した時、男が咳き込みながら木簡を書いていた。
「どうして助けた」
「生きたいと言っていたではありませんか」
男はそっけなく答えた。
「俺が誰か知らないのか」
「盗跖殿でございましょう?」
「いいのか?」
自分は大悪人である。本来は処刑されるべきである。
「私はあなたを捕らえるように命じられていませんので」
男はそう答えた。
「変わっているな」
「そうですか?」
盗跖の言葉にあははと笑いながら男はそう答えた。
「だが、助けられたのは事実だ。感謝する」
「どういたしまして」
男は咳き込みながらそう答えた。
「その恩返しとはいかないが、この盗跖に仕事を頼む時は三割引きでやってやるよ」
「そこはタダではないのですね。でもいいですね。そのほうがなんかいい」
男は笑いながらそう言った。
「じゃあ去るぜ。そう言えば、名前を聞いていなかったな」
男は一度咳き込んでから答えた。
「田単と申します」
彼がそう答えると盗跖はどこぞへと消えた。
その様子を見ていた者がいた。荘周と黄石である。
「役者は揃ったか」
荘周はそう呟いた。
燕陣営
燕の昭王 楽毅 蘇代 蘇厲 紀昌 劇辛 燕の恵王 騎劫 プラス 孟嘗君、魏、韓、趙、秦の協力。
VS
斉陣営
斉の湣王 触子 達子 斉の襄王 田単 盗跖 プラス 楚の淖歯。
という戦力図




