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夢幻の果て  作者: 大田牛二
第五章 名将協奏曲

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理想を現実に

大変遅れました。

「それは難しいですね」


 雨で濡れた体を乾かしてその翌日、楽毅がくきは燕の昭王しょうおうより斉討伐の志を語られ、そう答えた。


「やはりか」


 誰もが思うことである昭王は予想していたために彼の言葉を聞いても嘆きはしなかった。


「斉と燕とではそもそもの国力が違います。兵の数も武器の数もです」


「ああわかっている」


 昭王とてそのことはわかっている。すると楽毅はにっこりと笑った。


「わかっているのであればよろしいのです」


「それは……斉討伐は無理ということであろうか」


 昭王は彼の言葉にがっかりした。ついに自分の志を果たすことができた人物であろうと思っただけに落胆は大きかった。


「違います。無理ではありません」


 楽毅は首を振りながらそう言ったため、昭王は驚く。


「しかし、燕と斉の国力の差があると」


「ええ、そうです。私が知りたかったのは王がその事実を知っているか。現実をしっかりと見ているかを知りたかったのです」


 彼は目を細める。目の前の現実をしっかりと見ているかどうかを知りたかった。


「現実を知っても己の志を果たす。そうですね」


「そうだ」


 そこに蘇代そだい蘇厲それいがたくさんの木簡を持ってやって来た。


「これで良いのかい楽毅殿?」


「ああ」


 楽毅は木簡を取った。


「これは燕が斉に制圧される前の国政における記憶です」


 彼はそう言いながら別の木簡を取った。


「そしてこっちが斉との戦いで荒廃してしまった時の記録です」


 三つ目の木簡と手にする。


「これが今年までの国政の記録です」


 彼はそれらの木簡を示しながら言った。


「既にこれらの記録には目を通しました。今の国力は斉に制圧される前よりも向上しております。これは驚くべきことです」


「そうか……ありがとう。だが、これは私の功績ではない。かつて宰相であった方の改革を元にしただけに過ぎない」


 昭王は目をつぶりながらそう言った。


「そうですか……一度お会いしてみたかったものです」


 楽毅の言葉に昭王はかつて犯した罪を大きさを感じつつ、


(子之殿……あなたの改革が褒められましたよ)


 子之の努力が、想いが認められたことが嬉しかった。


「これらの努力によって王、あなたの志は幻想から理想へ引き下げられました」


「それでも理想に過ぎないか」


「ええこのままでは、しかしそれを現実のものにするのが私の仕事です」


 楽毅はそう言った。


「王、あなたのご意志は斉を滅ぼすこと。そう思ってもよろしいですか」


「ああ、そうだ。あの時、燕に甘さがあったことは事実であってもあの時の斉の非道さを許すわけにはいかない」


 あれは自分のせいで引き起こしたこと。その事実は揺るがない。しかし、その時に死んでいった者たちのためにも斉を討たねばならない。


「では、私の方針は決まりました」


 楽毅は昭王に言った。


「国力が以前よりも上がっていることは事実ですが、それでもまだ、斉には敵いません」


 その事実は揺るがない。それだけ斉は強大なのである。


「それを敵うようにするには一つしか方法がありません」


 楽毅は五本の指を見せた。


「ここ燕と共に韓、魏、趙、秦との五カ国合従によって、斉を叩きます」


「五カ国合従」


 昭王は渋い表情を浮かべた。かつて斉を招いたがために痛い目にあったため、他国との共同で何かをやることの厳しさを知っている。


「蘇代殿、蘇厲殿。あなた方には趙、秦との交渉を任せたい。趙王とは面識があるため、私の名を出してもらえば、話しを聞いてくれるだろう」


「魏と韓は?」


 蘇厲が聞くと、楽毅は、


「魏には孟嘗君もうしょうくんがいます。彼を通じて私が交渉を行えば、韓もいけるでしょう。そして、秦は孟嘗君を恐れています。孟嘗君の名を出せば秦も従うでしょう」


 と言った。


「五カ国による多方面からの侵攻というわけか」


 それならば斉の軍をわけることができる。しかし、楽毅の考えは違った。


「違います。多方面から斉を攻めるのではなく、圧倒的軍勢を持って斉に驚異を与え、全力で掛からなければかなわないと思わせなければなりません」


「それは真っ向から斉軍の本体とぶつかるということか?」


「そうです」


 昭王は驚いた。相手と真正面からぶつかり合う戦を前提にして、相手を叩くというのである。


「王、あなた様は斉を滅ぼしたのでございましょう。ならば一戦を持って斉の全力を完膚なきまでに叩き、余力の尽きた斉を一気に制圧を行うのです」


 これは相手の長所を避け、相手の短所を狙うという孫子の兵法の形ではない。敢えて敵に全力を出させてその上で打ち破ろうというのである。


「これは復讐でもあります。下手な小細工の戦よりも全力を持って敵を叩き、燕の正義を証明する。それがこれから行う戦でございます」


(この人は本気で斉を討とうとして下さっている)


 昭王は本気で自分の想いにこの人は答えようとしていると思った。


(ああ、夢で見た将軍はこの方だ)


 昭王は楽毅の手を取った。


「楽毅殿、私はあなたの考えを全て受け入れる。どうか私に仕えてはくだされないだろうか?」


「ありがたいお言葉でございます。しかし、私は魏の使者として来ていますので……」


 今は魏の臣下である。すると蘇代は言った。


「そう言えば、先ほど孟嘗君から使者が来ましたよ。あなたは燕の元で仕えよ。後のことはやっておくということでした」


「そうであったか」


 孟嘗君はこうなることを考えていたのか。楽毅としてはそう思わざる負えなかったが、


「そういうことでしたらこれからお世話になります」


「ああ、歓迎する。どうかあなたの力を貸してくだされ」


 昭王は力いっぱい楽毅の手を取った。


「仰せのままに」


 楽毅も力いっぱい答えた。


 その後、楽毅は燕で亜卿に任命された卿に亜ぐ者という意味であり、大出世と言えた。


 天下を震わす戦を始めようとする楽毅が歴史上の表舞台に立ち始めたのである。




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