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夢幻の果て  作者: 大田牛二
第五章 名将協奏曲

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君臣

 中山が滅び、趙の武霊王ぶれいおうが世を去った後、魏に移動した楽毅がくきであったが、そこでも楽毅は不遇の日々を過ごしていた。


 かつてのような困難の中で過ごすわけでもなく静かに日々を過ごしていた。


 そんなある日、魏の宮中より、召喚された。


「今更何であろうか」


 楽毅はそう呟きつつも彼はこれに応じた。


「やあ久しいね」


 そう楽毅に声かけたのは孟嘗君もうしょうくんであった。


「なぞここに?」


 そう彼に問いかけると、


「斉王に疑われてね。斉のために尽くしたつもりだったのだけどね。魏王の寛容によってここの宰相に招かれたのさ」


 目を細めながらそう答えた。


「それで私をお呼びになられたのはどういうことでしょうか?」


「君に魏の使者として燕に行ってもらいたいと思っていてね」


「燕に?」


 楽毅がそう聞き返すと孟嘗君は頷いた。


「そうあの国と友好関係を結ぶために、行ってもらいたいのさ」


「そうですか……しかし何故、私なのでしょう?」


 自分は決して弁術に長けているというわけではない。それにも関わらず、他の者を差し置いて、自分が使者として出向くのは何故だろうか。


「今の燕王は人材を求めているそのことは知っているかい?」


「はい知っております」


 楽毅は頷いた。有名な話しだからである。しかしながら燕王は人材を集めながらも内政を整えるばかりで、目立った活用をしていると聞かない。


(何故だろう?)


 以前から疑問には思っていた。


「どうだい。使者として燕王に会って見て、気に入ったら仕えてみたらどうかな?」


「使者として出向いておきながら他国に仕えろと申されるのですか?」


 そんな信義の無い行為はしないとばかりに楽毅は横を向いた。


「例え話さ。本当にそうしろと言うわけではない」


 孟嘗君は苦笑しつつ言った。


「とにかく、君は使者として燕に向かってもらう良いね」


 しばし楽毅は無言であったが、今は魏の人間である以上、従わなければならない。


「承知しました。早速準備を始めます」


「使者として頼むよ」


「はい」


 楽毅は拝礼した後、孟嘗君の元を去った。すると孟嘗君の後ろに控えていた馮驩ふうかんが口を開いた。


「どうでしょうな。燕王の志を彼が果たせるでしょうかな?」


 楽毅ははっきり言って無名である。そのため彼の実力は未知数と言えた。


「さあどうだろう。でも、無名の者が天下をあっと言わせたことなど、数え切れないだけある。楽毅がそれを成せないとは言い切れない」


「ええ、そのとおりです」












 楽毅は一人、伴を釣れずに燕に向かった。馬に乗り、静かに風を受けながら歩く。


「燕か……」


 燕はかつて斉によって滅ぼされそうになりながらも盛り返し、一国としての形を保つことに成功した国である。


「我が祖国とは違うな」


 中山は何もできないまま、趙の前に滅びた。


 燕と中山の違いを上げれば、やはり国君の差であろうか。


「今の燕王は名君だと聞いている」


 斉の横暴に最後まで抵抗し、荒廃した国を多くの人材を集めながら国を復興させた。民を思いやり、人材を上手く活用しているとも聞いている。


「よほど素晴らしい人なのだろう」


 それほど評価しつつも楽毅は燕に行こうとはしなかった。


 燕が人材を集めている頃、彼は中山で趙と戦っており、中山が滅んだ後、出向いたところで活用されるとは思わなかったこととやはり燕は他の国々と比べると弱国という印象が拭えず、家族を養うということを考えると行くのに躊躇させた。


「実際にどのような方なのだろうな」


 楽毅はそう思いながら燕に向かった。















 燕の昭王しょうおうは悲しみに暮れていた。郭隗かくかいが世を去ろうとしていたのである。


「王、お嘆きなされるな。人はいつか死ぬものです」


「あなたがいなければ今の私はいない」


 昭王は己の引き起こした罪を叱り、導いてくれた彼を誰よりも感謝していた。


「ありがたいお言葉でございます」


 郭隗は目を細めながら呟くように言った。


「私もあなた様と出会えて良かった。ただ悔いがあるとすれば……」


 彼は絞り出すように、


「あなた様の大志が実現される瞬間を見たかった……」


 言って、目を閉じた。


 昭王は泣いた。


 それから数日経った。昭王はある日、夢を見た。


 いつもはあの時の人々の死んでいく夢ばかりと見ているのだが、この時は違う夢であった。


 数多の兵が前進している。


 彼等が手に持っているのは燕の旗であった。


「誰が率いているのだろうか」


 そう思った彼は兵たちに守れながら前に進む男がいた。


 その男の顔を見ることはできなかったところで目が覚めた。


 それからしばらくしてあることが伝えられた。


「楽毅が魏の使者で来ると?」


 これを伝えてきたのは孟嘗君の食客である。


「楽毅か……」


 昭王は目を閉じた。


「良し」


 彼は頷くと楽毅が来るのを臣下が止めるのを振り切って門の前で待つことにした。









「雨か」


 もうすぐ燕の都に着くというのに、雨が降ってきた。


「さて、どうするかな」


 雨宿りできそうな場所は無さそうである。


「濡れてしまうがこのまま行くとしよう」


 楽毅はそう言うと雨の中、進んだ。やがて燕の都が見えてきた。


「おや誰か門の前にいるな……」


 雨の中、一人、門の前にいる男がいる。


 楽毅は目を細め、その男を見ていき、その姿がはっきりと見え始めたその時、驚きが走った。


「あれは……まさか……」


 先ず、男の服装が王族のものであることに驚いた。そして、顔に仮面が付けられている。


「確か燕王は仮面をつけている……」


 だとすれば今、雨の中、門の前にいる男は燕王ということになる。


「そんなまさか……」


 一国の王が何故、雨の中、門の前いるのか。まさか自分が来るためにいるというわけではないはずである。しかし、それではないとすればどのような理由であろうか。


 そう考えていると門の前にいる男がこちらに気づき、近づいてきた。


 互いに近づき、声の届くところまで来て、門の前にいた男が王であることに楽毅は確信した。すると燕王であろう男が、


「楽毅殿であろうか?」


 と訪ねてきた。楽毅は馬から降り、


「左様でございます」


 と答えた。


 その瞬間、燕王は膝から崩れ落ちるように濡れた地面に膝をつき、深々と頭を下げた。


「何を」


 楽毅が静止しようとすると声が聞こえた。


(この方の声か)


 彼はその声に耳を傾けた。その声は必死に言葉を発しようとしつつ言葉にならない声であった。


(泣いておられる)


 一国の王が泣きながら言葉にもならない言葉で何かを伝えようとしている。


(この方は何を思い、何を伝えようとしているのだろうか)


 楽毅はふと、熱さを感じた。雨の中であるというにも関わらずである。


(一国の王が私のような者に涙を流しながら頭を下げ、何かを伝えようとしている)


 その何かとはなんなのか。一体、この人が何を伝えようと何を自分に求めているのか。だが、


(熱い。このように感じるのはいつの時であろうか)


 楽毅は燕王に駆け寄り、彼の手を取り、頭を上げさせた。仮面をつけながらも溢れんばかりの涙が溢れている。


(ああ、この方は苦しんできたのだ)


 その涙が苦しみの涙であることを楽毅は察した。


「私の名は楽毅と申します。燕王でございますね」


 燕王……昭王は頷き、楽毅の目を真っ直ぐに見た。


「燕王、私はあなた様が何を望み、何を成そうとしているのか。私にはわかりません」


 楽毅は優しく語りかけるように言う。


「しかし、私はあなた様のその望み、大志を身命を賭して、叶えさせる力となりましょう」


(命をかけて力になりたい。ああ、この胸の熱さはそれ故か……)


 楽毅の目に涙が零れ落ちる。昭王も目から涙が零れ落ちていく。しかし、その涙には喜びの涙であった。


 そのことを祝福するかの如く、いつの間にか雲が晴れ、二人に向かって光が照らし出された。


 長き戦乱の続く戦国時代において、もっとも美しき君臣関係がこれより始まる。




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