利用される野心
紀元前287年
秦が魏を攻め、新垣と曲陽を取った。
趙の趙梁が昨年、合従に非協力的だった斉を侵攻したが、孟嘗君がこれを見事に撃退した。
そのことに不満そうであったのは、斉の湣王であった。
(また、あの男が名声を得る)
子供っぽい感情のまま彼は孟嘗君に恨みを抱いた。
(そもそもあやつは独断専行が多すぎるのだ)
王は自分であるのに、まるで孟嘗君は王気取りである。
「気に入らん。気に入らん」
彼は苛々していた。
彼は秦との帝号をやめた後、宋への侵攻を考えていた。しかし、孟嘗君は時期尚早と言って、反対の意見を出した。
だが、彼は宋への侵攻は成功すると考えていた。どこから来る自信なのかわからないが、彼はそう考えていたのである。
(宋を攻め取り、同時に孟嘗君をあっと言わせたい)
そこで湣王は手の者をある男の出した。
「盗跖?」
孟嘗君は鶏鳴と狗盗の報告を聞いていた。
「ええ最近、盗跖が復活したと言うのです」
「だが、盗跖たちは滅んだはずだ」
三代目にあたる盗跖が死んだことを孟嘗君たちは見ている。確かにその後にその残党が盗跖の後継者を語る者たちはいたが、そういった者たちも時間が経つと自然に淘汰されていった。
「その新たな盗跖とやらもいずれ消えるだろう」
孟嘗君はそう言ったが、鶏鳴と狗盗は言った。
「しかし、その盗跖に斉王が接触したと言うのです」
彼等の言葉に孟嘗君は眉をひそめた、
「私の暗殺でも依頼したか」
「その可能性があります」
「そのため警戒をしておきましょう」
二人の意見に孟嘗君は頷いた。しかし、二人は孟嘗君ほど侠客からの信望がある彼を襲うほど盗跖を名乗る男も馬鹿ではないだろうと思った。
盗跖の元に湣王の使者が来た。
「つまり宋への侵攻の大義名分と孟嘗君を出し抜きたいということだな」
顎を撫でる盗跖に手下たちが言った。
「孟嘗君に喧嘩を売るんですかあ?」
「流石にそれは不味いんじゃあ」
そう言う手下たちを手で制すると盗跖は考え込んだ。
(孟嘗君の下には元・盗跖の手下がいたか……)
できれば、それらの始末をしたい。そう思った彼だが、下手に孟嘗君と敵対する危険性も彼は理解している。
(だが、斉王の依頼はあくまでも宋への大義名分を得ることだ)
彼はにやりと笑った。
(楽しいねぇ。難しいことを考えることは楽しいねぇ)
そして、成功させた時が一番楽しいのである。
「さて、お仕事だ」
紀元前286年
宋城の隅で雀が鷹を生むという怪事があったことが宋の康王の元に報告された。
「どういうことか」
康王は宋の史(太史に属す卜筮を担当する官)を呼ぶように指示を出した。
史が廊下を通って、康王の元に向かっていると廊下の横から突然、手が伸びた。そして、史を引きずり込む。少しして、盗跖が史の服を整えながら現れた。
「ふむ、ちょうど良い大きさだな」
そう言って、康王の元に向かった。史はと言うと、盗跖の部下たちによって静かに片付けがされていった。
史の振りをした盗跖は康王の前に進み出た。
「では、卜いをさせていただきます」
そう言って彼は適当にやって言った。
「吉です。小が巨(大)を生んだのです。必ずや天下に覇を称えることができましょう」
雀が自分よりも大きな鷹を生んだということは小国である宋が大国を凌駕することができるということになる。
「そうか」
康王は大喜びした。彼は以前から覇者になりたいと考えていた。そこに天啓が下ったのである。
「良し、軍を出すぞ」
康王は兵を起こして滕を滅ぼした。
その後、史の振りしている盗跖は康王を煽り、斉の薛を攻めるように進言した。ここは孟嘗君の封地である。康王は天啓を得たと思っているためにここを攻撃した。
盗跖は宋軍の中に自分の手下たちを招いており、彼等に孟嘗君の食客を襲うよう指示を出した。
その頃、馮驩は屋敷の中で横になっていた。
「うん、きな臭い匂い」
そこに男たちが襲いかかってきた。
「はあ、私は殺しは嫌いなんだが……」
そう呟いた。
彼は長剣を抜くと男たちの一気に切り裂いていく。
外を見ると宋の旗が見える。
「宋か……」
斬り殺した男たちを見る。
「宋の兵には見えないが……」
他の食客たちもどうやら襲いかかられているようである。
「まあ良いか。助けるとしようか」
彼は長剣を持って男たちを切り裂いていった。
「殺せきれないか」
盗跖はそう呟くと手下たちの退却を命じ、戦闘のどさくさに紛れて逃走した。
康王は更に東は斉を破って五城を取り、南は楚を破って三百里の地を奪い、西は魏軍にも勝利した。
宋は一気に領地を拡大し、斉・魏にも匹敵するようにもなった。この結果により、康王は霸者になる自信を抱いた。
「私こそが天下の主になるのだ」
宋の暴走によって諸侯は宋への反感を抱いた。
この事態に湣王はほくそ笑んだ。
「宋の暴虐は許すべきではないな」
彼がそう言うと宋討伐を宣言した。
「宰相よ。準備を行え」
孟嘗君は拝礼して、同意した。
彼の治めている領地と斉の領土へ侵攻されたのである。これに反対する理由を出すのは難しかった。
こうして宋討伐の意向が決定された。