蘇る名
紀元前288年
趙の董叔が魏と共に宋を攻めた。
その趙に対して秦が侵攻し、杜陽(または「梗陽」「桂陽」)を占領した。
秦によって攻められたため、趙の奉陽君・李兌は各国と秦の矛盾を利用し、趙・斉・楚・魏・韓五国連合軍を組織して秦を攻めようとした。しかし斉が協力的ではなかったために連合軍は成皋に駐軍しただけで、功無く撤兵した。
これは斉の湣王が秦との関係修復を考えていたことの現れである。
魏冄は趙主導による合従軍の準備を進めていたが、斉の非協力により、打開したことを知ると彼はここで趙へ大打撃を考えると同時に斉との関係修復を同時に行う手を打つことにした。
十月、秦の昭襄王が西帝を称することにした。帝とは王よりも徳が高く、帝・堯、帝・舜等、伝説時代の聖人が使った称号である。
秦は斉に使者を送って東帝を称すことを湣王に勧め、共に趙を攻める約束をした。
湣王はこれに気を良くして、東帝を称しようとした。
これによって斉と秦の完全なる関係修復が行われるように見えた。しかし、それに困るものたちがいる。燕である。
「斉が秦と手を組んでいるのは驚異だ」
燕の昭王の言葉に進み出たのは蘇代と蘇厲の二人であった。
「王よ。我らにお任せよ」
「秦、斉の間に毒を垂らしに参ります」
「できるのか?」
既に関係修復ができあがりつつある両国の関係を元に戻すのは厳しいだろうと昭王は思った。
「大丈夫です」
「前回は孟嘗君にしてやられましたからね。成功させてみせます」
二人の言葉に昭王は頷いた。
「任せる」
「仰せのままに」
二人は斉に入り、章華東門で湣王に謁見した。
「よいところに来た。秦が魏冄を派遣して帝を称すように勧めたが、汝らはこれをどう思う?」
蘇代が答えた。
「王の臣下に対する問いはあまりにも突然でございます。患(禍)がある場所というのは、はっきりしないものです。王には帝号を受け入れてほしいと思っておりますが、すぐに称してはなりません。秦が称して天下が安んじてから王が称しても遅くはございません。帝名を争った時、相手に譲っても傷はつくことはありません。だから慌てる必要はないのです。もし秦が帝を称して天下が嫌えば、王は帝を称さないことで天下を収めることができ、これは大資となります。そもそも、天下に二帝が立ったとして、天下は斉を尊重すると思っておりましょうか。秦を尊重すると思っておりましょうか?」
「秦を尊重するだろう。」
湣王がそう言うと蘇厲が問うた。
「斉が帝号をあきらめれば、天下は斉を愛することでしょうか。秦を愛することでしょうか」
「斉を愛して秦を憎むだろう。」
次に蘇代が問うた。
「二帝が立って趙討伐を約束しますことと桀宋を討伐することとでは、どちらに利がありましょうか?」
この時、斉は宋への侵攻を考えていた。
故に湣王は、
「桀宋を討伐した方が利があるだろう」
蘇代は言った。
「盟約とは本来、平等なものです。しかし秦と共に帝を称してしまえば、天下は秦だけを尊重して斉を軽視します。帝号をあきらめれば、天下は斉を愛して秦を憎むことになります。趙を討伐するよりも桀宋を討伐した方が利があるのです。ですから、王は帝号を棄てることを明らかにして天下の人心を収め、盟約から離れて秦を拒否し、重軽(帝号)を争わず、隙に乗じて宋を平定するべきです。宋を擁せば、衛の陽地(濮陽)が危うくなり、済西(済水西)を擁せば、趙の阿東国(東阿以東)が危うくなり、淮北を擁せば、楚の東国が危うくなり、陶と平陸を擁せば、梁門(魏に通じる道)が開かなくなるのです。帝号を棄てて桀宋を討伐すれば、国が重んじられ名が尊ばれ、燕・楚も形勢に従って斉に服し、天下で斉に逆らう者がいなくなることでしょう。これこそが湯武(商の湯王と周の武王)の挙というもの。名義上は秦を敬い、秦に帝を名乗らせ、実際は天下に秦を憎ませるのは、卑屈になって尊敬を得るというものです。王はよく考えになるべきです」
この進言によって、斉は帝号を廃して再び王を名乗った。流石に一人、帝号を名乗っているのは不味いと考えた秦も取り下げた。
「ちっ」
魏冄はこの事態に舌打ちした。そして、斉が帝号をやめたのが蘇代であったと知ると彼はしばし考え込み、そしてある男の場所を探るように言った。
「呂礼はどこにいる?」
「呂礼?」
蘇代は蘇厲からその名を聞いた。
「確か韓との戦で中々勝てなかったために処罰されると思って軍を捨てて魏に逃げたとかいうやつだったか?」
「そうだよ」
「そんなやつを斉の宰相に?」
「全く何を考えているんだろうね」
そんな男を湣王は宰相に据えた。
「さて、どうなるか」
その後、呂礼は宰相になると段々と蘇代を陥れようとする言動が目立ち始めた。
「なるほど秦の刺客というわけだ」
蘇代は笑うとある男の元へ訪れた。
「お久しぶりです。孟嘗君」
彼は孟嘗君の元を訪ねた。
「何の用だい?」
そう孟嘗君が彼に尋ねると蘇代はこう言った。
「周最(周冣。西周国の公子)は斉において至厚(忠心が厚いこと)であったにも関わらず、斉王は彼を追い出し、親弗(または「祝弗」)を信任して呂礼を宰相にしました。これは斉王が秦と結びたいからです。斉と秦が同盟すれば、親弗と呂礼が重んじられ、彼等が重用されれば、斉と秦があなた様を軽視するようになりましょう。あなたはすぐに北へ兵を向けて、斉が出兵することで秦と趙・魏を同盟させ、秦と斉の同盟を妨害し、周最を招いて厚遇なさるべきです。そうすれば斉王の信任を取り戻し、天下の変化(斉・秦が孟嘗君を軽視すること)を抑えることができましょう。斉が秦と結ばなければ、天下は斉に集まり、秦との同盟を推す親弗は斉にいられなくなります。その時、斉王が国を共にするのは、あなたしかおりません」
彼の言葉を聞いて孟嘗君は笑みを浮かべた。そもそも自分は隠居した身である。そんな身で軍を動かせると言えるだろうか。
「私を利用するのか」
「いえいえ、こう申しているのです。利用されてください、と」
二人は笑みを浮かべる。
「悪くない。わかった利用されてやるとしよう」
「ありがたいことです」
孟嘗君は彼の言うとおりにすると呂礼は孟嘗君を憎んで害を加えようとした。
「わかりやすい男だ」
彼は魏冄に書を送った。
「秦が呂礼を使って斉と結ぼうとしているとお聞きしました。斉は天下の強国でございます。秦と斉の同盟が成功すれば、秦王は呂礼を尊重しあなた様は必ずや軽んじられるようになりましょう。また、斉と秦が結んで三晋に対するようになれば、必ず呂礼は秦・斉両国の相を兼任することになります。これはあなた様によって斉と通じながら呂礼の地位を重くするようなものです」
宰相であるあなたが斉と同盟を結ばせようと努力しても呂礼の手柄になってしまうことである。
「たとえ斉が天下(諸侯)の兵(攻撃)から免れようとも深くあなた様を怨むことでしょう。あなた様は秦王に斉討伐を勧めるべきです。斉が破れれば、私があなた様に土地を封じるように請いましょう。斉が破れれば、秦は魏が強くなることを畏れ、必ずやあなた様を重用して魏と結ぼうとするでしょう。魏は斉のために疲弊しており、しかも秦を畏れていますので、必ずあなた様を重んじて秦と結ぼうとします。こうしてあなた様は斉を破って功を立て、魏を利用して重んじられるようになるのです。また、斉を破れれば、封地を定めることができ、秦と魏が共にあなた様を尊重するようになります。もし斉を破ることができなければ、呂礼が再び用いられてあなた様が困窮することになります」
書簡を読んで、魏冄はため息をついた。
「蘇代を切り捨てるために孟嘗君を怒らせるなど」
釣り合っていない魏冄はそう呟くと彼は昭襄王に斉討伐を進言し、秦・斉の同盟を諦めた。そして、同盟を行えなくなった呂礼は斉から離れた。
その道中、突然、彼に男たちが襲いかかった。
「ひゃあ」
呂礼は驚き、逃げようとしたが、一瞬に目に傷がある男に追いつかれた。呂礼は護衛たちに助けを求めるが彼等も男たちに殺されていた。
そして、傷のある男によって呂礼の首を剣で切り裂かれた。
「金品を奪え」
呂礼を斬った男がそう命じるとその手下であろう男たちが馬車などを漁る。
「お頭、誰か来ますぜ」
男が道先を見ると白銀の鎧の男がいた。
「その者の救済は私が行うはずだったのだが……」
「へ、何をわけのわからぬことを言ってやがる」
そういった手下の一人の首を白銀の鎧の男は斬り飛ばした。
「まあ良い。主上による救済を必要とする者が増えただけだ」
白銀の鎧を着た白起はそう言って、男たちに襲いかかった。
「おめぇら取るものを持ってさっさと逃げろ」
「親方は?」
「あれと遊んでくるさ」
目に傷のある男は左手をひらひらとしながらにやりと笑う。
「なあ、遊ぼうぜ」
男は笑いながら白起に向かって剣を投げた。
白起は一瞥することなく、剣を弾いて見せた。
「おいおい、なあ見ろよ」
その声に聞いた瞬間、白起の目に痛みを覚えた。
(砂?)
「後悔するぜ」
男は白起の顔面に向かって左拳を叩き込んだ。
白起は思わず、剣を離し、地面に倒れこんだ瞬間、
「まだまだまだ~」
男は白起に向かって蹴りを入れた。だが、白起もされてばかりではない。顔面に向かって放たれた蹴りを腕で防ぐ。直ぐ様、体勢を立て直す。
「どこだ」
しかし、目の前にいるはずの男がいない。
「遅いねぇ」
後ろから声が聞こえて、白起が振り向こうとした瞬間、上から首に布を巻かれた。男はくるりと白起と背中合わせになり、布は引き伸ばされ、白起の首を縛った。
そのまま男は白起を乗せたまま背中を曲げて、持ち上げる。
(死ね)
しかし、白起はその瞬間、地面を思っきり地面を蹴って男の背中の上で後転し、降り立つと男の顔を掴み持ち上げるとそのまま投げた。
男の体は木に叩きつけられる。
ひゅ、ひゅと白起は必死に呼吸を整える。
「かっかかか」
男は頭を抑えながら立ち上がる。
「いいねぇ」
男は手下たちが逃げたであろう方向を見る。
「可愛い手下共も逃げたことだし、ここでずらかるとするか」
「待て、主上による救いがまだ果たされていない」
白起が地面に落ちていた剣を拾って言うが、男は笑う。
「救いだあ。おいおい俺みたいな悪党に救いなんかあるかよ」
よほど面白かったのか彼は腹を抱えて笑う。
「悪党に救いはいらねぇ。死ぬときは地面に向かって前のめりに死ぬだけさあ」
男は左手をひらひらと振る。
「楽しい喧嘩だったが、あんた強すぎるからな。あのままやっていたら俺の命が無かっただろうさ。じゃあな」
彼はそのままどこかへと去っていった。
「主上、どうかお許しよ。あなた様の救済を与えることができませんでした」
白起は片膝をついて祈りを捧げた。
ここまでの流れを見ていた者たちがいた。荘周と黄石の二人である。
「あの白起相手に凄い……」
黄石はそう感嘆する。一方、荘周は目を細める。
「名は滅びぬか……」
その言葉を聞いた黄石が訪ねた。
「あの者を知っているのですか?」
「知らぬ」
荘周は即答した。それに驚く黄石に、
「だが、名は知っている。あの男の名は……」
「お頭」
「お頭無事でしたか?」
男の周りを手下が集まる。
「おうよ。このとおり……やっぱ痛い」
男は腕を捲くって、平気そうにしようとしたが、痛みが走った。
「おい、直ぐにお頭の治療だ」
男たちはてきぱきと準備していく。男は地面の上で横になる。
「お頭、そんなところで寝っ転がると、風邪引きますぜ。そもそもお頭なんですから、無茶をしないでくさいな。お頭……寝てる……」
手下は横になったとたん、寝始めた男に呆れる。
「全く……盗跖の旦那にも困ったもんだ」
手下はやれやれと首を振った。
盗跖。天下第一の大泥棒が歴史に帰ってきた。




