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夢幻の果て  作者: 大田牛二
第一章 戦国開幕
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西門豹

 魏の文公は鄴を治めさせる人物の選出に悩んでいた。鄴はどうにも問題を抱え、統治するのが難しい土地のようであるため、ここを治めさせるならば、しっかりとした人物に治めさせたいと考えていたのである。


 そんな時、彼の悩みを察した翟璜てきこう西門豹せいもんひょうを推薦した。文公は翟璜の言葉に従い、彼を鄴令に任命した。

 

 西門豹が文公に別れを告げに来ると文公は彼にこう言った。


「汝が行けば、必ずや汝の功を成就させて名を成すことができるだろう」

 

 西門豹が問うた。


「功を成就し名を成すためには、術(方法)があるものでしょうか?」

 

「ある。郷邑において、老齢の者でありながら人々から坐を譲られるような士がいれば、汝はその者に賢良の士について訊ねて師事せよ。好んで人の美を覆い隠し、人の醜をあげつらうような者を探して、その行いを参験(参考・検証)せよ(徳が低い者を見て自分の行いを正せ)。多くの物が似ているが、実際には異なるものである。幽莠(幽は幼い。莠は草の名)が小さい頃は禾(稲)に似ている。驪牛(まだらの牛)の黄色いものは虎に似ている。白骨は象(象牙)に似ており、武夫(石の一種)は玉に似ているものだ。しかしこれらは全て似て非な者である。だから人を選ぶ時も注意しなければならない」


 あなたは他の者よりも優れた者だから採用したのだという文公の意思もこの言葉にはある。

 

 鄴に到着した西門豹は長老たちを集め、民が苦しんでいる事がないか聞いた。長老たちは訴えた。


「河伯が婦(嫁)を娶っており、これが原因で貧困に苦しんでおります」

 

 河伯とは黄河の神のことである。この黄河の神だが、元は人であったという。元は華陰潼郷の人で、姓は馮氏、名は夷といい、黄河で水浴びをしていた時に溺死して河伯になったと言われている。


 しかしながら馮夷と河伯は別人ならぬ別神という説もあり、龍の顔をしているとか、女性の神で女媧じょかと並ぶ神だとか色々な説がある。

 

 さて、話は戻す。西門豹が詳しく話すように言うと、長老たちは事情を説明し始めた。


「鄴の三老と廷掾が毎年百姓から税をとり、数百万の銭を得ております。そのうちの二、三十万は河伯が婦を娶る時に使い、祝・巫が残った銭を分けて持ち帰っております。その時が近づくと巫が人々の家を巡って容姿が優れた女を探し、河伯に嫁がせると言って連れて帰るのです。女は洗沐(沐浴)の後、新しく作った繒綺(絹織物)の衣服を着せられ、一人で部屋に籠って斎戒を致します。河岸に斎宮(斎戒用の家)が建てられ、緹絳(赤)の帷(幕)で覆われ、女はその中に住み、婚礼のために牛酒や食事が用意されます。十余日にわたる準備と斎戒の後、婚礼の装飾がされ、娘が嫁ぐ時に使う床席が作られます。女がその上に乗り、河中に浮かべられます。始めは河を流れて行きますが、数十里進んだ所で水没することになります。容姿に優れた娘をもつ者は大巫祝に連れ去られることを恐れ、多くが娘を連れて逃亡してしまいました。その結果、城の中は空になり、ますます貧困に苦しむことになっておるのです。このような状況が既に長く続いているのですが、民人は『河伯に婦を娶らさなければ、水が襲ってこの地が沈められてしまい、自分たちは溺れ死ぬことになる』と噂して恐れているのです」


 当時の人々の迷信深かさを利用した一種の詐欺である。しかもそれを行っているのが土地を治めるべき者たちも関わっているのが、恥ずべきことである。

 

 西門豹は、


「河伯が婦を娶る時が来たら、三老、巫祝、父老が女を河岸に送ってください。また、その時には私にも報せてください。私も女を送りに行きましょう」

 

 と言うと皆は同意した。

 

 その日が来ると西門豹も黄河の岸に行った。三老、官属、豪長者(富家)や里の父老が全て集まり、民衆も二、三千人に達した。

 

 巫は老女で既に七十歳を超えていた。巫には女の弟子十人が従っており、皆、絹の単衣を着て大巫の後ろに立っていた。

 

 西門豹は言った。


「河伯の婦(嫁)を呼べ。美しいかどうか確認したい」

 

 巫は嫁に選ばれた女を幕の中から出して西門豹の前に連れて来た。

 

 女を見た西門豹は振り向いて三老、巫祝、父老に言った。


「この女子は美しくないではないか。これでは駄目だ。大巫嫗(嫗は老女の意味)よ。手間をかけさせて悪いが、河に入って河伯に『嫁を選び直して後日送ることにする』と伝えてきてくれないだろうか」


 大巫嫗はそんなことはできようがないため、断ろうとすると西門豹は吏卒に命じて大巫嫗を抱きかかえさせ、そのまま黄河に投げ入れさせた。

 

 暫くして西門豹は言った。


「大巫嫗が行って戻ってこない。弟子よ。師が心配であろう行って見てまいれ」

 

 弟子の一人が黄河に投げら入れられた。

 

 暫くして西門豹が言った。


「弟子もまだ戻って来ない、もう一人を送って見に行かせるとするか」

 

 また一人の弟子が投げられられ同じように三人目の弟子が黄河に投げ入れられてから西門豹は、


「大巫嫗と弟子は女であるから事をうまく説明できないのかもしれない。三老も話をしてきていただかねばならんな」

 

 こうして三老も黄河に投げ入れられた。

 

 西門豹は簪筆磬折(簪筆は礼を行う時の冠の装飾。磬折は腰を曲げた様子。どちらも恭敬を示す姿です)のまま黄河に向かって立ち、長い時間待った。

 

 長老も官吏も周りで見ている者達も皆、彼の行ったことに恐れ、恐怖した。

 

 西門豹がやっと振り向いて言った。


「巫嫗も三老も帰って来ないのは何故だろうか?」

 

 西門豹は廷掾と富豪を一人ずつ選んで黄河に投げようとした。すると廷掾や富豪達はその場に伏せて叩頭し始めた。頭を地面に打ちつけて額から血を流し、顔は死者のように灰色になるほどであった。

 

 西門豹は、


「わかった。もう少し様子をみようではないか」

 

 と言った。暫くして西門豹は言った。


「廷掾よ、立て。河伯は客を留めて久しい。皆、解散して家に帰らせよ」

 

 鄴の吏民は恐れ驚き、この後、河伯が婦を娶ることを話す者はいなくなった。

 

 民はすっかり自分に従うようになったと考えた西門豹は民を動員して十二渠を築き、河水を引いて民田を潤した。

 

 灌漑を始める前の民衆は工事の労苦を嫌って反対した。しかし、西門豹は、


「民とは成果を共に喜び楽しむことができるものの、物事の開始を共に考慮することはできないものだ。今は父老子弟が私によってもたらされる労苦を嫌っているが、百年後の父老子孫が私の言をよく考えてくれればそれで良い」


 と強行した。

 

 灌漑工事が終わってからは全ての民が水の利を得るようになり、これがきっかけで鄴は豊かになった。

 

 しかしながらこのような強行を行ったためか西門豹は恨まれたところがあった。


 彼が鄴を治めてから、廩(穀物の倉庫)には食糧の蓄えがなく、府(物資の倉庫)には金銭財宝の蓄えがなく、庫(武器庫)には甲兵(甲冑・武器)の蓄えがなく、官(官府・官所)には支出の帳簿がなかった。このことを人々が何回も文公に話したため、彼は自ら鄴県に行って確認した。

 

 その結果、人々が言うように鄴には何の蓄えもなかったことを知った文公は、


「翟璜が汝に鄴を治めさせたが、大きな混乱を招いているではないか。汝が道理のかなった弁明ができるのならそれでいいが、もしできないようなら誅を加えなければならない」

 

 と、西門豹に言った。すると彼はこう答えた。


「王者とは民を富ませ、覇者は武(士兵)を富ませ、亡国の君は府庫を富ませるものです。主公は覇者の地位を欲しています。だから私は民に蓄積させたのです。主公がそれを信用なさらないのであれば、城壁に登って鼓を叩いてくださいませ。甲兵(武器)粟米(食糧)ともすぐに集まることでしょう」

 

 そこで文公は城壁に登り、鼓を叩いた。一度、敲くと甲冑を着た民が弓矢等の武器を持って集まった。再び敲くと食糧を背負った民が集まった。

 

 文公はこれを見て、納得し、集まった民を解散させようとした。すると西門豹はそれを止めた。


「民と結んだ信というのは一日で作られたものではございません。一挙しながら欺けば(何もないのに民を動員すれば)、今後用いることができなくなります。燕がしばしば魏を侵して城を取ったと聞いています。私が北進して失地を取り戻すことをお許しください」

 

 こうして西門豹は兵を率いて燕を討伐し、奪われた土地を取り返して帰還した。


 しかしながら彼を疎む者たちは以前として多かった。


 西門豹は度々、文公の側近たちから賄賂を出すように言われているが、彼は賄賂を渡すような真似をしなかった。


 そのため彼を恨んだ側近たちは西門豹を讒言した。その結果、文公は彼を疑うようになり、業績報告に来た際に彼を鄴令から解任することにした。


 すると西門豹は文公の下に平伏し、


「私は間違っておりました。心を入れ替えますので、今一度機会を下さい」


 と懇願した。文公は哀れに思い、再度鄴令に任じた。鄴に戻った西門豹は民衆に重税をかけ、絞りとったものを文公の側近たちに贈った。


 次に西門豹が業務報告へ行くと、文公は自ら宮殿の入り口まで出迎えて労った。そこで西門豹は、


「私は全力で民と主公のためになるように治めましたが、主公は私を解任しようとしました。今度は主公の側近たちのために治めましたところ、主公は私を労われました。私は誰のために治めていいのか判らなくなりました。役目は返上させて頂きます」


 と言い残して去っていった。文公は自らの不明に気づき、慌てて追いかけさせたが、西門豹はどこぞへと消えてしまった。



 

 

 

 

 

 




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