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夢幻の果て  作者: 大田牛二
第五章 名将協奏曲

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伊闕の戦い

 紀元前294年

 

 秦は魏を攻め、解で破った。更に向寿が韓を攻めて武始を取った。


 この時、秦の五大夫・呂礼が新城を攻めたのだが、中々落とせなかった。これを受け、宰相の魏冄ぎぜんは痺れを切らせ、左更・白起はくきと軍の指揮権の交代を命じた。


 呂礼は処罰されるのを恐れ、魏へと出奔した。そのようなことがあった秦軍であったが、白起が韓の新城を取った。

 

「ふむ、孟嘗君もうしょうくんは助けに来ないか」


 白起はそう呟いた。


 孟嘗君はこの頃、動けなかった。


 孟嘗君が斉の宰相に戻ってから数年後、ある人が斉の湣王びんおうに、


「孟嘗君が乱を成そうとしています」


 と讒言した。

 

 この話を聞いた田甲は孟嘗君を尊敬していたらしく、湣王にそのようなことはないと言った。しかし、この時の彼の行為はもはや脅迫に近いものであった。


 少なくとも湣王はそう思った。


(孟嘗君が宰相に戻ってから碌な事にならん)


 孟嘗君のせいで秦と仲が悪くなり、あのような者が自分に迫ってくる。しかも孟嘗君は勝手に軍を動かしたことがある。


(乱を成そうとしたのは本当のことだろう)


 感情的な湣王は孟嘗君が田甲に指示を出したとまで疑うようになった。そして、彼を宮中に呼び出すことにした。


「田甲と私が?」


 孟嘗君は奇妙な疑いを受けたため、首を傾げた。しかし、湣王へ良い感情を抱いていない彼はさっさと準備を始めると自分の治めている薛に行くことにした。


 そして、薛にたどり着くと湣王から使者が来た。その内容に孟嘗君は驚いた。


(宰相に戻って欲しいだと)


 しかもあの湣王とは思えない言葉使いで招いている。


「どういうことだ?」


 すると食客の一人が情報を掴んだらしく言った。


「なんでも孟嘗君の無実を命を絶ってまで証明しようとした賢者がいたそうです」


 孟嘗君はその賢者の名を聞くと驚き、悲しんだ。


 かつて孟嘗君は舍人・魏子というものがおり、彼に食邑の租税を徴収させたことがあった。しかし魏子は三回、食邑に行っても成果がなかった。


 疑問に思った孟嘗君がその理由を問うと、魏子はこう答えた。


「一人の賢者を見つけましたので、あなた様の名を借りて収入を全て彼に与えました。だから成果がないのです」

 

 このことに孟嘗君は激怒した。彼が金について怒るのは食客たちを賄うためであり、彼の行為でどれほどの食客たちに迷惑をかけるのか。


 孟嘗君はそのまま魏子を追い出してしまった。

 

 だが、今回、その魏子から税を与えられた賢者が上書して孟嘗君の無罪を訴えたのである。更にその賢者は自ら命をかけて誓うことを請い、宮門で自刎した。

 

 流石の湣王もここまでされてはという思いが働き、しっかりと事件の調査を行い、孟嘗君に謀反の陰謀がないことがわかった、


 そのため湣王は再び孟嘗君を召したのである。


「病であると言って辞退することを王にお伝えを」


 孟嘗君は使者にそう伝え、そのまま隠居することにした。


(昔の自分だったら魏子のことを怒らなかっただろう)


 彼は自分が変わってしまったことを嘆いた。


 一方、湣王は孟嘗君が隠居したことを知ると安堵した。何故なら自分の非を認めたくはなかったからである。


(これからは自分のやりたいようにできる)


 彼はそう思った。



 

 

 


 

 紀元前293年

 

 韓の公孫喜が秦を攻めた。魏はこれを助けた。

 

 これに向寿を相対させたが、中々に苦戦した。思ったよりも公孫喜は兵術が上手かったのである。

 

 そこで魏冉は左更・白起を秦の昭襄王しょうじょうおうに正式な将軍にすることを願い、これを受理された。


「さあ行くが良い」


「承知しました」


 前年は兵の指揮権を与えられただけに過ぎず、今回が将軍として兵を率いる最初である。率いる兵はもちろんあの函谷関で共に戦った兵たちである。


「だが、良いのか。韓と魏の両軍を合わせて、二十四万だと言う。それに対してお前の軍は半数にも満たされていない」


「ご心配なさらずとも大丈夫です。戦は兵の数ではございません。どれほど主上のご意志を聞き入れているかでございます」


「そ、そうか」


 相変わらずの白起の言動に困惑を覚える魏冉であるが、


(それでこそ白起か)


 彼を信じる。


 それがあの時、契約を結んでから揺らがない思いである。


「主上のために勝て」


「命に代えてでも」


 白起は剣を地面に突き立てそう言った。


 ついに白起率いる軍が出陣した。白起が戦闘で馬に乗っていく。最初、白起は同志たちと共に苦難を共にすると馬に乗りたがらなかったが、兵たちが必死に懇願してやっと乗ってくれたのである。


 伊闕にいる韓、魏の軍に近づき始めると白起は事前に用意していた者たちに命じた。


「天に居られる主上に聞こえるほどに奏でよ」


 命じられた兵たちが一斉に楽器を鳴らし始めた。更に白起の軍はその音を鳴らしながら進軍を続けた。








 

 ジャ~ン、ジャ~ン。ピィ~ロロロロ~などと言った音が戦場に鳴り響くため、韓、魏の両軍の兵たちは驚き、その音を鳴らす秦軍を見た。


「なんじゃありゃ」


「うるせぇなあ」


 兵たちは秦軍の音に対して口々と言う。


 音を鳴らしながら進軍を続けた秦軍だが、韓軍の前に陣取った。しかし、相変わらず音は鳴り止まない。


 韓軍の隣にいる魏軍の将軍が韓軍の陣地にいる公孫喜の元を訪ねた。


「どうする。このまま仕掛けるか?」


「いや、ここは様子を見よう」


 公孫喜は兵術を嗜んでいるためか。目の前の秦軍を警戒し、初日でぶつかるのを良しとはしなかった。あくまで魏軍は韓を助ける立場であるため、魏の将軍は反論を行わず、自分の陣地に戻った。


 辺りが暗闇に包まれた。しかし、なおも秦軍からはうるさい音が鳴り響く。


「これじゃ寝れねぇぜ」


「全くだ」


 韓、魏の兵が口々と言う。


「一体、何を狙っているのだ?」


 公孫喜はじっと秦軍の陣地の方を睨み続けた。


 一方、魏軍は韓軍よりは秦軍と離れているため、音が聞こえつつも韓軍よりは気にしなかった。


「全く、秦軍の率いる将軍は白起と言うらしいがとんだ馬鹿が率いることになったようだ」


 魏の将軍はそう嘲笑いながら、酒を飲もうとしたその時、陣幕の外から音が聞こえた気がして、それを止めた。しかし、


「秦軍の音だろう」


 そう言って気にせず、ぐいっと酒を飲んだ時、


「最後の晩酌は美味しいですかな?」


 その言葉と共に胸から剣先が伸びる。


「ぐぉば」


「どうか天上にお会いになられる主上は酒などよりも素晴らしき愛を下さいますよ」


 白起は剣を抜いた。そして、振り向くとそこには同志たちによって斬り殺されていく魏兵たちが見える。


 何故、彼らがここにいるのかと言うと彼は音をかき鳴らせ続けている間、夜間に紛れて軍を分けて、警戒心の薄い魏軍を急襲したのである。


「ああ、主上、ご覧下さい。罪深き者たちの許しの声を、賛美を」


 彼は手を広げ、天に向かって祈る。


「ああ、主上。まだまだあなた様の愛を、知らぬ者たちがおります。その格別なる愛を知らしめるまでどうぞ、お待ちください」


 そこに兵たちがやって来る。


「ほぼ、魏軍は壊滅状態です」


「そうか、では行こうか」


 白起は馬に乗るとそのまま韓軍へと駆けた。


「報告します」


 公孫喜の元に慌てて、駆け込んできました。


「魏軍の方角より秦軍が襲来しました」


「何?」


 あまりの事態に公孫喜は呆然とする。


 今もなお、目の前の秦軍から音が聞こえる。それに魏軍がいたところからどうやって秦軍が現れるというのか。


「まさか魏軍が破れたというのか」


 それは不味い。彼はそう思った。魏軍の方へは魏軍がいることからほとんど警戒も硬い守りもない。


「どうにか立て直せ」


 そう指示を出した瞬間、報告に来た兵の頭に数本の矢が刺さる。そして、秦兵が突入していく。


「もうここまで来たのか」


 公孫喜が剣を抜く暇も無く。秦兵に捕らえられた。


 夜が明けると白起率いる軍が本陣に戻ってきた。


 韓、魏の陣営は血の川ができており、大盾がそれによって流れていくほどである。


「諸君、さあもっと天に届くまで賛美歌を奏でよ」


 白起が天下に名を轟かした伊闕の戦いにおいて韓、魏軍の合計二十四万人は斬殺され、韓の将軍・公孫喜は秦の捕虜になるという結果に終わった。

 

 更に白起は五城を攻略した。秦はこの圧倒的なる戦果に対して、白起を国尉に任命した。

 

 

 


 





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