餓死
中山との戦いから帰国した趙の主父・武霊王は論功行賞を行って大赦を行いつつ、国中で五日間の宴を開いた。
国君が徳を布いて国中で宴を開くことを「酺」という。
更に彼は長子・章を代に封じた。長子・章は安陽君と号して、田不礼が安陽君の相になった。
安陽君は以前は太子であったが、趙の恵文王の母が寵愛を受けた結果、太子の座を奪われてしまった人物である。
恵文王への寵愛が薄れつつあった武霊王は今更ながら彼に同情を覚え、代の地を与えたのである。
代と言えばである。かつて趙無恤が兄の子を代に封じて、自身の後継者にしたことがあった。
(自分は王にするということではないのか?)
安陽君はそのように考えるようになり、弟の恵文王に服すことに不満を表すようになった。これに田不礼は乗ずるようになった。
ある日、武霊王は群臣を集めて恵文王に朝見させた。安陽君も来朝し、武霊王は恵文王の傍で群臣や宗室(宗族)の恵文王に対する礼を見守った。
恵文王に朝見した時の安陽君は元気がなく、北面して弟に対して臣と称した。武霊王はそれを見て彼を憐れんだ。そして、こう考えた。趙を二分して公子・章を代王に立てる計画というものである。
この武霊王の様子に群臣たちに不穏な空気を与えることになった。
この事態を憂いた李兌は恵文王を補佐する肥義に言った。
「公子・章は強壮で野心があり、徒党も多く、貪欲ですので、私心をもっているはずです。しかも田不礼は残忍かつ驕慢な男です。この二人が一緒になれば、必ずや陰謀が生まれ、一度、事を起こせばやがて徼幸(幸運)を求めて途中であきらめることはありません。小人が欲をもてば、軽慮浅謀となり、目先の利は見えてもその後にある害を顧みることはできず、同類が互いに推しあって共に禍門に入るようになります。難は必ずや訪れることになりましょう。あなたは責任が重く権勢も大きいため、乱はあなたから始まり、禍はあなたに集まることでしょう。あなたは率先して禍を憂いるべきです。仁者は万物を愛し、智者は禍が形になる前に備えをするものなのです。仁でもなく智でもないにも関わらず、どうして国を治めることができるましょう。なぜ疾(病)と称して出仕せず、政権を公子・成(公叔)に譲って怨府(怨みが集まる場所)、禍梯(禍の階段。禍が拡大する原因)となることから逃げないのでしょうか?」
恵文王を始末しようと考えた時に真っ先に排除しようとするのは補佐している肥義であるためである。だが、彼はこう答えた。
「それはできない。以前、主父が王(恵文王)を私に託してこう申された。『汝の度(決まり。意志。主張)を変えてはならない。汝の慮(考え。心意)を変えてはならない。汝の世が終わるまで(死ぬまで)一心(忠心)を堅守しなければならない』私は再拝してこの主父の命を受け、それを記録して保管した。田不礼の難を畏れて籍(主父の命の記録)を忘れるようなことがあれば、これほど大きな変(変心)はないだろう。宮内や朝廷に入り、厳命を受けなければ、退いたらそれを全うしないようならば、これほど大きな負(裏切り)はないだろう。変負の臣は刑から逃れられないものなのだ。諺にはこうある『死者が蘇ろうとも、生者は慚愧しない(死者が生き返ったとしても慚愧しなくていいように生きなければならないという意味)』私には約束した言があるのだ。主父に対して後ろめたい思いをしないためにも私は己の言を守る。この身を守ることを考えるわけにはいかないのだ。貞臣は難が訪れようとも節を見せ、忠臣は累(巻き添え)が訪れても行動を明らかにするものである。汝は私に忠告を送ったが、私には自分の言が先にあるので、それを棄てるわけにはいかない」
彼の意思の硬さを見た李兌は、
「わかりました。あなたはあなたがなすべきことに勉めてください。私があなたに会えるのも今年まででしょう」
と言い、泣きながら退出した。
李兌はしばしば公子・成に会いに行って田不礼に備えるように勧めた。
一方、肥義も信期(高信)に言った。
「公子と田不礼を警戒するべきである。彼等は私に対して善言を口にするものの、その心根は実は凶悪であり、その為人は子としても臣としても相応しくないものだ。姦臣が朝廷にいれば、国の残(害)となり、讒臣が宮中にいれば、主の蠹(柱を喰う虫)になるという。彼等は貪欲で欲が大きく、内は主父の同情や歓心を得ているが、外では横暴である。矯令(偽の君命)を利用しながら驕慢であるため、勝手に一旦の命を発することも容易にできることだろう。そうなれば、禍が国に及んでしまう。私はそれを憂いて夜も眠れず、飢えても食事を忘れるほどだ。盗賊(恵文王の命を狙う者)の出入に備えなければならない。今後、王を招く者がいれば、必ずや私が先に会い、私が身代わりになる。安全だとわかってから王を送り出すことにしよう」
信期は同意して、
「素晴らしい意見です」
と言った。
後日、武霊王が恵文王と共に沙丘に巡遊した。二人は異なる宮殿に住んだ。
この機を利用して安陽君と田不礼が乱を起こした。徒衆を率いた安陽君と田不礼は武霊王の命と偽って恵文王を招いた。
それを信期から聞いた肥義は安全を確認するために先に行った。
補佐している立場である肥義に驚いた二人であったが、ここで殺してしまおうと考えて彼を殺した。
その頃、恵文王はある男と会っていた。
「あなたが楽毅ですか?」
「左様でございます」
楽毅は拝礼してそう答えた。
彼がここにいるのは武霊王が牢屋から連れ出して、会わせたのである。
「父上は私が大赦を行ったと言わせて、あなたに恩を着せようということのようです」
「なるほど、それはそれは古典的な」
二人は笑う。
「あなた様も変わった方だ。それを私に伝えるとは」
「人に嘘はつきたくないんだ」
恵文王は微笑みながらそう言った。その表情に楽毅は武霊王に似ていないと思いながらも心優しい人だと思った。
「それに私はもうすぐ王ではなくなる。そんなものに仕えても意味はないだろう」
「王ではなくなる?」
「父上は兄を王にしようと考えている」
趙も複雑なのだと楽毅は思った。その時、男が駆け込んできた。信期である。
「ご報告します。宰相・肥義様が殺されました」
「何」
恵文王は思わず立ち上がった。肥義は王位についてからじっと補佐してくれた人である。父よりも長くいた人と言っても良い。そんな彼が死んだ。
(確か……)
肥義は兄に呼ばれて出向いたのである。そして殺されたということは……
「殺害に及んだのは安陽君及び田不礼です」
恵文王は愕然とした。大切な人を兄が殺したのである。
「何故、兄上がそのようなことを……王になると言うのに、まさか父上が?」
父が自分を殺させて、兄を王位につけようとしているに違いない。だとすれば自分の命を差し出せば、事は済むはずである。
「兄上に会おう」
「なりませぬ。ここで会いに行かれれば、必ずや殺されてしまいます」
(それで良い)
自分が王にふさわしいなど一度も思ったことは無い。それに多くの人が死ぬのを見るのは嫌いである。
「あなた様は王です」
ふと楽毅はそう言った。
「その王を守るために一人の男が死んだ。その事実がある以上、あなた様は生きなければならない」
「私が死ねば、丸く収まる」
「王とは、臣下に勇気と誇りを与える存在、あなた様を守るために死んだ者の誇りをあなた様は自らの死で蔑ろにしようとされている」
楽毅は恵文王の目を見据えながらそう言った。
「王位はどのような者が座ろうともそこには責任が生ずる。あなた様は責任を果たさなければならない」
恵文王は難しい表情を浮かべながらも頷いた。
「兄上の兵と戦おう」
「承知しました」
信期が拝礼する。
「では、私も巻き込まれたようなものですのでこの楽毅も力を貸しましょう」
「何故、趙はあなたの祖国を滅ぼしたのですよ」
恵文王がそう尋ねると楽毅は笑みを浮かべた。
「もちろん打算はあります」
彼は恵文王に拝礼した。
「中山王ならびに中山の人々にご寛容なお心を持って趙内で差別無きよう配慮していただけることを約束していただきたい」
(この人は祖国の人々の今後を心配されていたのか)
楽毅という人は不遇の人だったと聞いている。それにも関わらず、国の人々を想い続けている。
「わかった。父が反対しようともそのようなことが無いようにする」
「ありがたきお言葉でございます」
恵文王の言葉に喜ぶと楽毅は言った。
「では、兵を率いさせてください。何、ご心配なさらないように、ここ趙の兵を前に何年も中山を守ってきたのです。ここを守るなど決して難しいことではありません」
楽毅はそう言って、迫りつつある安陽君の兵と戦うことになった。
「下手に屋敷の全てを守ろうとするな。必要最低限のところを守れば良い」
今現在、恵文王側の兵と安陽君の兵の数では安陽君の方が多い。そのため大きな屋敷を守ろうとすれば守りが薄くなる可能性がある。
「こちらに通じる屋敷の通路の屋根は壊しておけ、屋根伝いでこちらに侵入されるのを防ぐ」
「火矢が放たれたらどうなさる?」
信期がそう言うと楽毅は答えた。
「そのためにも屋敷に必要最低限を守り、ある程度は屋敷に侵入させるのです。火矢を放てば、味方も巻き込む状況にするためにも」
「強行したら?」
「そうならないための手を打ちます」
楽毅は屋敷の外を出て、屋根の上で矢を構えている紀昌を見る。
「火矢を放とうという者がいたら射抜いてください」
「承知した」
彼は楽毅が開放された際、一緒に開放されていた。
「しかし時間がかかれば不利にはなります。主父には使者を?」
「既に出している。だが、反応が鈍いのだ」
楽毅は顎を撫でる。武霊王と言えば、決断力に長けた人だという想いがある。そのためその鈍さが気に食わなかった。
(本当に趙王を、兄が弟を殺すことを容認しているのか?)
しかし、そんな国を混乱させる必要性がどこにあるのか。
「ならば、信用のできる大臣で兵を出してくれそうな方の元に使者を」
「ならば李兌様と公子・成様に使者を出しましょう」
兵に主な指示を出しているのは信期である。楽毅は趙人ではないため、彼の方がいうことを聞いてくれるだろうという思いがあるためである。
使者を受けた公子・成と李兌は以前から安陽君の同行に警戒をしていたため、趙都・邯鄲から沙丘に駆けつけ、四邑の兵を率いて安陽君に対抗した。
兵数の差が逆転してしまった安陽君は破れて逃走した。しかし、彼の逃走先が更なる混乱をもたらせる。
彼はなんと武霊王がいる宮殿に奔ったのである。そして、武霊王は宮門を開けて彼を迎え入れてしまった。
「どうする」
公子・成と李兌は予想外の事態に頭を突き合わせて、相談した。そして、決断を下した。
「父上の宮殿を包囲するのか」
恵文王は悲しそうな表情でそう言った。しかし、楽毅からするとこの判断は決して間違いとは言えなかった。
(間違っているのは主父の方だ)
誰もがそう思いながら宮殿を包囲した。
やがて、公子・章と田不礼は殺されて差し出されてきた。
やっと問題が解決したように見えるが、ここからが難しい。公子・成と李兌は相談した。
「我々は公子・章が乱を起こしたために主父を包囲してしまったのだ。兵を解いて帰国すれば、我々は族誅されるのではないか」
武霊王ならやりかねない。その思いが二人にはある。武霊王は何事にも強引にことを進めてきた人である。そんな人が果たして自分たちを許すだろうか?
二人は宮殿の包囲を解かず、
「宮中の者で遅れて出てきた者は処刑する」
と宣言した。
「包囲を解かないのか」
恵文王はそう言った。だが、楽毅は何も答えなかった。解かない気持ちを理解できるからである。
宮中の人々は武霊王を棄てて全て帰順した。武霊王も外に出ようとしたが、二人はそれを許可せず、更に食事も与えなかった。
「父上を救わなければ」
「なりません。ここまで来て、救うのは無理です」
武霊王をここで開放すれば、必ずた粛清を行うだろう。
困窮した武霊王は雀鷇(雀等の小鳥)を捕まえて食べたが、三カ月余が経ち、沙丘宮で餓死した。
彼の死が確認されてから諸侯に喪が発せられた。
「王、二人を斬るべきです」
楽毅は恵文王にそう進言した。
「何故?」
「主父を死に追い込んだ責任を彼らの責任だけにするのです」
恐らく彼等はこれから恵文王が若いからとして政権を思うがままにするだろう。その二人をこの件の責任を取らせるという形で斬ってしまえば良いとしたのである。
「それはできない」
恵文王は彼の進言に首を振った。
「もうこれ以上、人が死ぬことはあってはならない」
「あなた様は王としては優しすぎる」
楽毅はそう言ってから恵文王の元を離れた。今後政権を握るであろうものたちへの排除を進言したことから離れるべきと判断したのである。
「どこに行くので?」
着いてきた紀昌が聞くと楽毅はこう答えた。
「魏へ」
こうして彼等は魏に向かった。
その後、公子・成が宰相になり、安平君と号した。安平というのは地名ではなく、難を平定して国を安んじたという意味である。
李兌は司寇になった。
趙はこの二人による専政が始まった。




