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夢幻の果て  作者: 大田牛二
第四章 天秤傾く
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函谷関

大変遅くなりました。

 孟嘗君もうしょうくんによって各国に対秦のための合従軍結成の呼びかけがされた。


 韓、魏、宋はこの呼びかけに直ぐ様に参加の意思を表明した。


 一方、趙は中々に同意しなかった。


「孟嘗君は我が国を脅すつもりなのか」


 趙の主父・武霊王ぶれいおうは斉の使者である蘇代そだい蘇厲それいの向かって、書簡を叩きつけた。


「脅すなどそのようなおつもりはありません」


「左様でございます」


 しかし、、武霊王はわなわなと肩を震わす。


「孟嘗君、貴様は何様のおつもりかぁ」


 孟嘗君によって行われた虐殺は趙に対してこう言っているようなものである。


『いつでも趙をこのようにできるぞ』


「ふざけるな。やつは独断でこれを行い、我が国に脅しをかけている。しかも中山への侵攻を見逃してやるだと、ふざけるな。孟嘗君は王にでもなったつもりなのかぁ」


 そんな怒り狂っている武霊王を静かに見ている目があった。趙の恵文王けいぶんおうである。彼は父とは違い、この状況で冷静であった。


「それで父上はどうなさるおつもりなのでしょう」


 恵文王は父に対して、そう言った。


「お前はわからなくとも良い」


 武霊王は連れておきながらそう言った。


「ならば、何故父上は私に王位を下さったのですか……」


 恵文王は幼いながらもそう思った。国事に対してなんの意見を出すこともできない。考えることさえも許されないのであれば、王位など意味のないものではないか。


(孟嘗君という人には会ったことは無い。だけど……怖い人だ)


 彼は孟嘗君に会ったことがないためか正直な感想を持っていた。


(きっとやると言ったことを本当に実現してしまう人だ。しかもたくさんの人を巻き込んで、そんな人が報復することを願えば、徹底的な報復を行うのだろう)


 それが今、趙に向けられる可能性がある。


(どうにかしないといけない……)


 恵文王はここで初めての決断を行った。


 翌日、彼は強引に朝廷で斉の対秦合従に参加を決定した。


「独断で決断を行うとはどういうことか」


 武霊王は恵文王に怒鳴りつけたが、恵文王は反抗した。


「父上の決断が遅いからです。遅くなればなるほど、外交的孤立を招くことにお気づきになるべきです」


「それで孟嘗君の脅しに屈したというのか」


「民を傷つけず、中山を得ることもできる。それの何の不満があると言うのでしょうか。それに私を王位につけたのは父上ではありませんか。これは王としての私の判断です」


 武霊王は彼の言葉を受け、鼻で笑うと彼の元から立ち去った。


 このことから恵文王への武霊王の寵愛の気持ちは弱まり、恵文王の弟である公子・しょう、後の趙の平原君へいげんくんを寵愛するようになり、東武城に封じた。


 寵愛が無くなるということは恵文王の未来にとって暗い影をもたらすものであったが、運命とはかくも悪戯好きで、可笑しさを求めるようである。


 運命はいつの時にも喜劇と悲劇を求める。












 斉を中心とした韓、魏、趙、宋による五カ国合従軍が結成され、秦へ進軍を開始した。五カ国全てを統括するのはもちろん孟嘗君である。


「五カ国合従軍……しかも趙が入るとは……」


 孟嘗君によって迫りつつある合従軍に対して、魏冄ぎぜんはやられたという思いが強かった。趙が合従に参加していることもあまりに早く合従が結成され、こちらに軍を向けられたことにである。


「嘘でしょう。嘘でしょう。嘘でしょう」


 秦の宰相である楼緩はあまりの事態にしかも趙が参加していることに驚き、泡を吹いて倒れた。


「頭が痛い」


 魏冄は頭を抱えた。実はこの時、秦軍は楚に兵を向けていた。


 楚が秦にこう告げていた。


「社稷の神霊のおかげで、国に新王(頃襄王けいじょうおう)が立ちました」

 

 秦は楚の懐王かいおうを脅迫しても領土を奪えず、しかも楚が新王を立てたため、怒って武関から兵を出したのである。

 

 楚軍は大いに破り、五万を斬首し、析と周辺の十五城(併せて十六城)が奪うという大功を挙げたが、それは五カ国合従への備えが弱まっていることを意味している。


(まさかこれも計算に入れているのか……)

 

 だとすればやはり秦はとんでもない相手を怒らせたことになる。


「こうなっては仕方ない。司馬錯しばさく、庶長・奐。お前たちは直ぐに五カ国合従軍に対峙せよ」


 二人は拝礼し、命令を受けた。


 こうして、五カ国合従軍と秦軍の戦いが始まった。










「秦軍の大将は司馬錯、庶長・奐です」


 孟嘗君は食客から秦軍の情報を聞いていた。


「司馬錯とは如何なる将か?」


「彼は自ら前線に趣き兵を鼓舞する将です」


「庶長・奐とは如何なる将か?」


「戦場を俯瞰的に見る人物です」


 このように彼は食客を通じて、相手の将軍の特徴を聞いて戦術を練る。


 両軍が初めてぶつかったのは塩氏(鹽氏。または「監氏」)である。


「前線に司馬錯率いる騎馬兵が現れ、韓軍を襲っております」


 孟嘗君はそれを聞くと指示を出した。


「韓軍を後退させ、左右を魏軍で包み込むようにせよ」


 ここから孟嘗君という人物の戦で特徴が見えてくる。


「陣形が変わっただと……これはこれは、恐ろしいねぇ」


 庶長・奐は韓軍が後退していくため、追いかける司馬錯の騎馬兵を魏軍が左右から包囲しようとしているのが見えているが、それに至るまでがあまりにも早い。


「魏軍にはかつて呉起ごきという名将がいたが、彼とてこれほどの陣形と兵の配置の変更はできないはずだ」


 孟嘗君がこれほどしかも五カ国という多国軍を率いているにも関わらず、このような芸当を行えているのはひとえに食客たちのおかげである。


 孟嘗君は三千人をもいる彼等を使って、当時の軍における伝令の速さを格段に早くしていた。それによってこれほどの大軍を手足の如く使えている。


「仕方ない。司馬錯殿を援護しなければならない」


 庶長・奐が司馬錯を援護しつつ包囲されないように動くと、


「彼の軍に趙軍の胡服騎射で抉れ」


 孟嘗君の指示により、趙の胡服騎射が庶長・奐の軍を抉るように突撃を仕掛ける。


「おのれ、これでは連携が取れない」


 庶長・奐は何とか軍を維持しようとする。直ぐ様、孟嘗君は次の手に移る。


「韓軍は後退を止め、前進せよ。司馬錯の軍の勢いが無くなったところを我ら斉軍の弩兵による一斉射撃を行う」


 彼の指示通り、韓軍は後退をやめ、前進した。今まで前へ、前へと動いていた司馬錯の軍の勢いが削がれた。そこに孫臏そんぴんの遺産と言うべき、弩兵による一斉射撃が行われた。


 突然の矢の雨に驚いた司馬錯の軍はすっかり勢いを失い、後退しようとするが、魏軍による包囲によって上手く逃げることができない。


 次々と弩兵の矢に秦兵は倒れ、司馬錯はなんとか命からがら脱出に成功した。


 庶長・奐は趙軍の胡服騎射の勢いに呑まれ、軍は後退を余儀なくされた。塩氏は五カ国合従軍に占領された。













「我が国の名将二人が……」


 敗戦の報告に魏冄は愕然とする。あまりにも惨敗だったためである。


「どうする……」


 魏冄は横目で隣に立っている白銀の鎧を来ている白起はくきを見た。


(こいつを出すか?)


 しかし、白起はやりすぎるところがあるため、出したくはなかった。


(では、誰を出すべきだろうか?)


 それでもこの状況を打開してくれそうなものはいなかった。


「何をお悩みになっておいででしょうか?」


 白起が突然、魏冄にそう聞いた。


「孟嘗君を破る術に悩んでいる」


 彼は正直にそう答えた。


「それは無理です」


 白起はあっさりそう答えた。そのため魏冄は驚いた。


「何故、そう言い切れる?」


「あまりにも兵数も兵術も違いますし、何よりあまりにも先手を取られています。これでは逆に打ち破るのは難しいでしょう」


「だが、どうする?」


 孟嘗君を打ち破らなければ、秦の危機は去らない。


「打ち破らなければならないとお考え過ぎです。ここで秦が行うべきは時間稼ぎです。持久戦に持ち込むべきです」


 白起の言葉に魏冄は目を細める。確かに自分は孟嘗君の軍を破ることばかり考えており、彼の軍は五カ国もいることを考えていなかった。時間稼ぎの持久戦を取れば、外交工作を行う時間などを作ることができる。


(しかし、白起がこのような提案をするとは……)


 いつもであれば、打って出て戦うような感じであるのに、その彼から出たのが持久戦である。


(こいつは戦術や戦略に関してはまともないことを言ってくる)


 奇行ばかり目立つが、彼の戦術観などは天性のものであり、常識的な面を持っている。


「白起、ではどこで持久戦を行う」


 そう聞くと彼は地図の函谷関を指さした。


「函谷関まで後退するのか?」


「ええ、ここで守りを固めるべきです。ここなら自信があります」


 白起はそういった。


「お前がそれをするというのか?」


「ええ」


「良かろう。任せる」


 こうなれば、天の采配という名の博打に賭けることにした。


 こうして白起は函谷関の守将となった。











 函谷関まで迫った五カ国合従軍であったが函谷関の手前で膠着状態に陥っていた。


「孟嘗君、至るところの侵入経路から侵入を試みておりますが、侵入を果たした時に必ず敵がおり、斬りかかってきます」


 因みに斬りかかっているのは白起であるのだが、彼等は白起の名を知らない。


 孟嘗君は腕を組みながら函谷関を睨みつけるように見た。


(ここを抜けて見せる)


 一方、白起は、


「罪深き者に救済を、どうか主上にこの夢が届くことを……」


 相変わらず、祈りの言葉を発していた。





 

 

 


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