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夢幻の果て  作者: 大田牛二
第四章 天秤傾く

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変貌

恐らく白起は前作も含めてメンタルで最強クラス。

 白起はくき荘周そうしゅうの戦いは周りの趙の刺客を巻き込みながら、激しさを増していた。


「不思議だ」


 黄石こうせきは呟く。


「荘周は一回も白起の剣筋を受けず、白起は細かいながらも切り傷が増えている」


 荘周は相変わらずの長い髪にゆったりとした服を着ているがそこに血の汚れなどはない。一方、白起の体には細かい切り傷がつけられ、そこから血が流れていた。


 白起は荘周に向かって、剣で突く。それをふた振りの剣で防ぎ、そのまま白起の首を荘周は切ろうとする。それを紙一重で避けた。だが、白起の首には避けたはずなのに、うっすらと切り傷が見え、出血する。


「なんと浅ましいことか。貴様の剣は少し長さが違うのだな」


 彼はそう指摘した。確かに荘周のふた振りの剣はわずかだが長さが違っていた。これによって距離感にズレが生まれ、紙一重で避けたと思っても傷がついてしまう。


 だが、白起はそれを理解しながらも距離を必要以上取らず、距離を詰めていく。


「死ぬのは怖くはないのか」


「主上による救済を与えられるのであれば」


 荘周の言葉に白起はそう答える。


「貴様の言う主上の救いなどあると思っているのか?」


 荘周は白起の剣を防ぎ、白起の腕に傷を残す。


「人は間違いを犯す。間違いを犯さない人などはいない。それをお前は間違いだと言い、罪だと言い、人を殺す。本当にそれが救いだと言うのか。慈悲だと言うのか」


 その言葉に白起は答えようとしない。


「その主上は本当に絶対の存在と言えるのか。主上の意思とやらが、間違いではないかとお前は思ったことはないのか。疑問に思ったことはないのか」


 荘周がこれほどに言っても白起は何も言わずに剣を振るう。


「反論しないのか。お前の主上への思いとやらは、その程度か?」


 すると白起はきょとんとした表情で答えた。


「何故、反論する必要があるのでしょうか?」


 彼は言う。


「反論とは、自分の考えの正しさを証明する行為。何故、何故、反論をするのでしょうか?」


 白起は手を広げ言う。


「主上は善悪の全てを超越された方、主上の意思は絶対、主上の考えは絶対なのです。それが当たり前なのです。何故、その正しさを改めて証明しなければならないのでしょうか?」


 荘周の剣をくぐり抜け、白起は彼の懐に入るとそのまま、体を貫こうとする。しかし、それを荘周は間一髪で避ける。


「私の主上への信仰は揺らぐことはありません。私の主上への愛は消えることはありません。さあ、主上の元へ行きましょうぞ」


「極めてしまっているなこの男」


 荘周は白起を見ながらそう呟く。荘周はわずかでも白起の主上とやらへの気持ちを揺るがせたかった。しかし、この男は決して揺らぐことはない。


「人の意思の力というものはかくも強いものか」


 荘周はそう呟く。


「白起よ。汝の意思の強さは感嘆に値する。だが、お前の強さは己自身をも喰らうことになるぞ」


 彼はそう言うと白い布を取り出し、自らを包み込む。それを見た白起がその布に剣を突き出すが、布を貫くばかりでもはや荘周の姿はなかった。


「またもや奇術か」


 白起は剣を収めた。













「ちっ」


 舌打ちをしながら魏冄ぎぜんは宮中を歩く。


「ちっ」


 彼の後ろを歩くのは弟の羋戎、向寿である。


「兄上のお怒りは最高点に達しておりますな」


「ええ、兄上があれほどに舌打ちをするのは珍しい」


「ちっ」


 ああ、またもやと二人は兄を見ながら思う。


「王、失礼します」


 三人は秦の昭襄王しょうじょうおうの部屋に乗り込んだ。


「お、叔父上か。どうなさった?」


 昭襄王は機嫌の悪い魏冄を見て、冷や汗を流す。


孟嘗君もうしょうくんがいなくなったとお聞きしました。どういうことでしょうか?」


「私は知らぬ」


「王、私は王を咎めようとしているわけではないのです。ただ、真実を知りたいのです」


 魏冄はなおも問い詰める。


「宰相が孟嘗君を宰相にすれば、斉にばかりに加担すると申して、私は宰相の言に従っただけなのだ。いや本当に悪かった」


 頭を下げる昭襄王を魏冄は冷めた目で見つつ、ため息をついた。


「そうですか。わかりました。王、お顔をお上げください。後は私にお任せを」


「そうか」


 魏冄は弟たちと共に部屋を出た。その瞬間、


「ちっ」


 彼は舌打ちをした。


「宰相の楼緩は如何されますか?」


「ほっとけ、保険のためにもな」


 魏冄は忌々しそうに言った。今回の件で趙が動いていることは白起の証言からも知ることができている。


(白起が孟嘗君のことを憎む存在に認定しているとは思ってなかった)


 誤算である。確かに白起の考え方だと孟嘗君は正に罪深き者たちを束ねる親分に見える。


(あとは孟嘗君がどう出るかだが……)


 この数日後、魏冄の元に不吉な知らせが来た。


 孟嘗君が趙のある村を壊滅させたというものである。














 かつて孟嘗君・田文でんぶん孫臏そんぴんの元にいた頃のことである。


『田文、君の喧嘩の極意を教えよう』


『はあ』


 孫臏の言葉に田文は呆気に取られる。


『喧嘩において大切なことは相手よりも優位に立つことさ』


 彼は優しくそう言う。


『相手に攻撃を始めた時、決して手を緩めてはならない。相手の心をへし折るまでやるんだ。何より相手に報復の意思を持たせないことが一番だよね』


 孫臏は続けて言う。


『そして、もしこちらがやられた時に報復できるだけの力を残せた時は思いっきりやるんだよ』


 そんな彼の言葉を思い出しながら孟嘗君は秦を脱出した後、斉に向かっていた。


「ここから先は趙ですが、どうしますか。入りますか?」


 趙は秦での出来事に関わっている国である。危険があるかもしれない。


「行こう」


 孟嘗君はそれでも趙に行くことにした。


「あの孟嘗君がここを通るってよ」


 孟嘗君が来るという噂が伝わった。


「あの有名な孟嘗君だがか」


「ああ、そうだきっと立派な方に違いない」


「なんでも多くの男たちを従う人だとか」


「きっとすごい強そうな人なんだろうな」


 彼等は孟嘗君が通るのを人目見ようと道に溢れかえった。そして、今か今かとまっていると孟嘗君一行がやって来た。


 村人たちは歓声を上げる。その後、しばらくしてその声は小さくなった。


「あれが孟嘗君?」


「小さい人だねぇ」


 周りの男たちの方が立派に見えるよ」


 孟嘗君の姿に皆、がっかりとした声やため息をしていく。


 その姿は孟嘗君からはよく見えた。


「ここで良いか」


 彼はそう呟くとすっと自分の首の前を手で横切った。


「侠客は侮蔑を許さない」


 すると食客たちは剣を抜き、村人たちに襲いかかった。食客たちは一夜にして、村を壊滅させた。


「どれだけ言い繕うとも私も所詮はこの程度の人でしかない」


 孟嘗君は悲しそうに呟く。古の聖天子たちならば、このようなことはしなかっただろう。


「それでも許すわけにはいかない」


 趙に非道がある以上、許すわけにはいかないのだ。


「だが、趙へはここまでで良いとしよう。その意図を趙の主父とやらが理解すればだがな」


 孟嘗君はそう呟いて、斉に帰国した。














「帰ってきた~」


 孟嘗君が帰国した。そのことに斉の湣王びんおうは玉座からずり落ちるほどに驚き、皆、大慌てである。


「どうする。どうする田文が帰国してきたよ」


 さて、一番、慌てているのは蘇代そだい蘇厲それいである。


「なんで帰ってきたの?」


「趙の連中が強硬手段に出たのかもしれんな」


「全く、爪が甘いというかなんというか……」


 もっと慎重にやれば成功したにも関わらず、孟嘗君はこれほど早く帰ってくるとは……


「せめて幽閉ぐらいしてくれれば良かったのに」


 そこに使用人から報告が来た。


「えっ孟嘗君がここに?」


 二人は顔を見合わす。


「何しに?」


「わからん。私たちが動いたことを知っているのでは?」


「それは困るよ~」


 それでも会わないわけにはいかない。そのため二人は孟嘗君に会った。


「早いご帰宅だったけどどうしたの?」


「秦と趙に殺されかけた」


 孟嘗君は低く、冷たい声でそういった。


「そうでしたか」


 蘇代と蘇厲は冷や汗をかく。あまりにも今まで知っている孟嘗君の態度ではない。


「そこで私は秦に報復しようと思う」


「報復ですか」


「ああ」


 ある意味、秦と斉を仲違いさせたという意味では、良いのかもしれないと二人は思った。


「そのため斉、韓、魏、趙、ついでに宋を加えた。五国合従軍で秦を攻めたいと思う」


「五国合従ですか。良い考えですね」


「ああ、君たちならばわかってくれると思っていたよ」


 孟嘗君は二人に近づき、肩に手を置いた。


「二人には趙への説得を任せたい」


「そうですか。しかし、中々に難しいと思いますよ」


「でも、コネはあるのだろう」


 蘇代の言葉に孟嘗君はそう囁いた。


(まさか田文は知っているのか)


 冷や汗が流れていくのを二人は感じる。


「君たちほどの弁術ならばどうにかなるだろう。やってもらいたい」


 孟嘗君は目を細める。


「それに交渉の道具を一つ用意しているつもりだ」


「交渉の道具ですか」


「ああ、帰国する道中でね。趙の村を一つ壊滅させたんだ」


 二人はぎょっとする。今までの孟嘗君ならばやらなかった行為のはずである。


「これで趙もわかってくれると思う。この孟嘗君に喧嘩を売ったらどうなるかを」


(逆に外交問題に発展するような……)


「それに二人共言っていたじゃないか」


 孟嘗君は微笑む。


「『君がもし私たちの力が必要と思った時、必ず君の力になろう』と、今、私は君たちの力が必要なんだ。頼むよ」


 彼は二人に囁く。


「そうしたら君たちのことを許すから、ね」


(怖……)


「承知しましたやりましょう」


 二人は同意した。


「ありがとう」


 孟嘗君は頷き、二人の屋敷を去った。


「もしかしたら秦には感謝もするべきかもしれない」


 自分にこのようなどす黒い部分があったことを自覚することができたのだから……


「さあ、報復をするとしよう」







やっと黒い孟嘗君を書けたぜ。孫臏に好かれたのはここだよ。

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