楚王幽閉
大変、遅くなりました。
秦が楚を攻めて八城を取った。この時の将軍は羋戎である。
しかし、彼の元には今回、白起はおらず、白起は魏冄の元にいた。
「何故、私を戦場にお出しなされないのですか?」
白起は不満そうに言った。
「お前の使い時ではないのだ」
魏冄はそうは言いつつ、実際のところは白起を使えば、必要以上に殺してしまうことになる。
(今回はそういう戦ではない)
「お前にとって、戦とはなんだ?」
「儀式ですが、何か?」
白起は即答で答えた。
(虐殺を慈悲と言い、戦を儀式と言う。この男の異常性をどうにか飼い慣らさなければならない)
「そうだ。戦とは主上へ捧げる儀式だ。だからこそ、汚らわしいものに汚すべきではないと思わないか?」
魏冄の言葉に白起は首を傾げる。
「汚れとは?」
「この戦は宰相の主導によるものだ。後はわかるな?」
白起は納得したように頷いた。
「なるほど、愚者の行動に付き合うなということですな。承知しました。そうおっしゃられるのであれば、私に異存はございません」
彼はそう言うと魏冄の部屋から出ていった。その後、魏冄はふっとため息をついた。
「嘘をつくのも難しい」
宰相である楼緩の主導でこの戦が行われたと言ったが、実際は自分がそう誘導したのである。
実は、魏冄は楼緩の利点を考えついていた。
「あれは……傘に使える」
悪名という雨から防ぐ傘に……
秦の昭襄王から楚の懐王に書が届けられた。その内容は以下のようなものである。
「以前、私と王は兄弟の約束をし、黄棘で盟を結び、王が太子を質として秦に入れたため、友好な関係を築くことができました。ところが太子は私の重臣を虐げて殺し、謝罪せず、逃走されました。そのため私は怒りを収めることができず、兵を送り、君王の辺(重丘や襄城)を侵したのです。最近、王はまた太子を質として斉に送り、和を求めたと聞きました。我が国と楚は国境を接しており、かねてから婚姻の関係を結んで長い間、親しくしてきたにも関わらず、今は関係が悪化し、諸侯に号令することもできておりません。私は王と武関で直接対面し、盟を結んで去りたいと思っております。これが私の願いです。執事(楚君)の意見をお聞かせください」
懐王はこれに躊躇した。かつて張儀に散々騙された記憶があるためである。会見に参加すれば、何かされる恐れがある。しかし参加しなければますます秦を怒らせることになるだろう。
楚の宰相・昭睢が言った。
「行ってはなりません。兵を発して守りを固めるべきです。秦は虎狼の国であり、諸侯を併呑しようという野心を持っております。信じてはなりません」
しかしこれに反論したのは懐王の子・子蘭である。彼は懐王に勧めて言った。
「なぜ秦の歓心を絶とうとされているのですか?」
彼を寵愛していた懐王は彼の言葉を聞き入れ、秦に向かった。
一方、昭襄王は魏冄の指示を受け、一人の将軍を自分に化けさせ、武関に伏兵を置いた。
懐王が秦に入ると関を閉めて捕まえ、西の咸陽(秦都)に連れて行った。
秦は懐王に章台宮で秦王を朝見するように強制した。朝見をするということは懐王は国王としての対等な礼ではなく、藩臣の礼をとることになる。
「なんということだ」
彼は昭睢の言に従わなかったことを後悔した。
更に秦は楚に巫郡と黔中郡の割譲を要求した。
懐王は盟(領地割譲によって講和することを誓う盟)を結ぶように求めたが、秦は領地割譲を優先することを要求した。
懐王はこれに激怒し、
「秦は私を騙した上に、我が領土を強要するのか」
彼が要求を拒否したため、秦は懐王を拘留した。
自国の王を他国で囚われてしまった楚の大臣達は心配してこう言った。
「我が王は秦に行って帰ることができず、領地の割譲を要求されていると聞いた。今、太子は質として斉にいる。もし斉と秦が共謀すれば、楚は国を失うことになるだろう」
そこで大臣達は国内にいる王子を擁立しようとした。
しかし、これを昭睢が止めた。
「王と太子が諸侯において困窮しているにも関わらず、王命に背いて庶子を立てるのは相応しくありません」
そこで偽の訃報を斉に届け、懐王が死んだことにして太子を帰国させることにした。
これを受け、斉の湣王にある人が進言した。
「太子を留めて楚に淮北の地(楚の下東国)を要求するべきです」
この進言を受けて、湣王は斉の宰相・孟嘗君・田文にこれを話した。
すると孟嘗君は言った。
「いけません。もしも郢(楚都)が別の者を王に立てれば、我々は空質(意味のない人質)を擁すことになり、しかも天下において不義を行うことになりましょう」
しかし、ある人(先に意見を述べた人)が言った。
「それは違います。もし郢が別の王を立てようとも、新王に利害を説いて、『我が国に下東国(淮北の地)を譲れば、我々は楚王のために太子を殺そう。拒否するようならば、三国(斉、韓、魏)と共に太子を擁立することだろう』と伝えれば、我が国は下東国を得ることができます」
だが、孟嘗君は断固として、先の意見を変えなかった。彼の思うことはただ一つ、それは不義であるということである。
湣王は内心、領地を要求したかったが、孟嘗君が口うるさい、結局、彼は孟嘗君の意見を聴いて太子を楚に帰らせた。
「どうせ、私がこうして決めたことも孟嘗君の手柄になるだけだ」
湣王は不満そうにそう言った。
楚人は太子・横を迎え入れて国君に立てた。これを楚の頃襄王という。
頃襄王は即位すると弟の子蘭を令尹に任命した。
これには楚の誰もが驚いた。
何せ、子蘭は懐王に秦へ入ることを勧めた人物である。楚の混乱の引き鉄を引いたのはこの男である。そのため楚人は令尹・子蘭を批難した。
「そうか、楚で新たな王が立ったか」
魏冄は報告を聞いて呟いた。これによって秦で幽閉している懐王の価値はほぼ無くなったと言って良い。だが、彼としてはそれで構わなかった。
彼の狙いは強引ではあるが、楚の太子を斉から引き離すことにあった。
楚の太子が斉に居続ける間、斉、楚の関係は硬いものとなってしまう。それを強引に引き離そうというのが、今回の楚王の幽閉である。
しかしながら一国の王を捕らえて、幽閉したなど国際的には罵倒されるべき行為である。しかし、その罵倒も悪名も宰相である楼緩が被ってくれる。
「それに私がやりたいことは他にある」
彼は斉に使者をやった。
「斉よ。孟嘗君をくれ、孟嘗君をくれ、代わりに国をやる」
魏冄はそう呟いた。
「馬をくれ、馬をくれ、代わりに国をやる」byリチャード三世




