垂沙の役
紀元前301年
秦が韓の穰を取った。
秦の昭襄王の子の一人である蜀守(郡守)・煇が秦に叛したとして、司馬錯を派遣し、これを誅殺して蜀を平定した。
だが、煇は冤罪であった。
そもそも叛したとされたのは、蜀侯・惲が山川の祭祀を行い、饋(食品。恐らく胙。胙は祭祀で使った肉)を昭襄王に献上した時、惲が昭襄王に寵愛されることを惲の後母(昭襄王の妻妾の一人)が嫌い、饋に毒を入れて王に進めた。
昭襄王が食べようとした時、後母が言った。
「饋は二千里も離れた所から送られて来たものです。一度、お試してみては如何でしょうか?」
彼がそれを受けて近臣に与えると、近臣はすぐに死んでしまった。
激怒した昭襄王は司馬錯を蜀に派遣し、惲に剣を下賜して自裁を迫った。惲は恐れて夫婦ともに自殺した。
その後、司馬錯は惲に仕えていた郎中令・嬰等二十七人を誅殺した。
蜀人は惲を郭(外城)の外に埋葬し、翌年、昭襄王は子の綰を蜀侯に封じた。
やがて紀元前298年に昭襄王は初めて惲の無罪を知り、使者を送って郭外の棺を郭内に移して改葬させたという。
この頃、斉では孟嘗君・田文が宰相に任命された。異例の若さによる任命である。
田文が先ず行ったのは秦の脅威に苦しむ魏、韓を助けることであった。彼は二カ国に合従を結ぶことを勧め、二カ国はこれを引き受けた。
「ありがとう力を貸してくれ」
田文は使者として魏、韓に行ってくれた蘇代と蘇厲にお礼を言った。
「構いませんよ」
「そうそう、君の頼みだしね」
そうは言いつつも彼等としては斉が燕に矛を向けないようにすることが仕事である。利害が一致したに過ぎないのである。
「でも、これで秦を敵に回したことになるんじゃない?」
蘇厲はそう言った。
「そう確かにそうだが、それはそれで構わない」
そうなれば魏、韓と連合して秦と対決するだけだ。それが田文の考えであった。
一方、韓、魏、斉による合従が成ったと知った秦としては困ったことになった。今までは韓、魏への侵攻を基本方針としていたが、今まで通り、韓、魏を攻めれば斉が出張ってくることになる。
現在、秦は外交的関係を持っているのは趙一国のみとなってしまっている。
秦の宰相である樗里疾は病に倒れており、この状況にどういう方針にするかは魏冄が判断することになった。
(韓、魏を攻めると斉と対立しなければならない)
そうなると厄介なことになる。
(だが、これは逆に好都合だと思うべきか)
魏冄はそう判断し、斉に使者を派遣した。
田文は斉の湣王と共にその使者と会った。使者が話した内容は簡単に言えば、
「共に楚を攻めよう」
というものである。
(そっちできたか)
田文はこうなることは予想していた。
昨年、秦は人質とした楚の太子が自国の大夫を殺すどころか独断で帰国してしまっているこれに秦は怒り、楚とは関係を絶ってしまった。
更に楚は秦と組むために斉との関係も切っており、外交的に孤立してしまっている。
(楚を攻める上で自国の外交的孤立を回避し、楚を攻めるにはこうするしかない)
田文としては魏、韓を守りながら秦と事を構えない手段であった。
斉はこれに同意した。
田文は秦との関係を結ぶことができると直ぐに行動を起こした。彼は楚を攻撃するために斉を率いる将軍に匡章を据えて、魏将・公孫喜、韓将・暴鳶と共に三国の連合軍を率いて楚の方城に進攻したのである。
本来であれば、秦と合流してから動くところを田文は合流する前に秦軍に重丘を攻めるように指示を出した。
(重丘は堅城。そう簡単に落ちない)
田文は沘水付近の垂沙まで侵攻した。
(秦が何らかの結果を出す前に相手をたたきつぶす)
秦に何らの利益をもたらす前に楚を打ち破り、和睦まで持ち込む。そんな難しい戦を彼は行おうとしたのである。
楚の将・唐蔑(または「唐昩」)を率いる楚軍と相対すると田文はあっさりとこれを打ち破り、彼を捕らえるとそのまま処刑し、垂沙を取った。
更に宛・葉以北の地も取って、これを韓と魏に与えた。
そこまでの戦を終えると田文は秦に対して、これ以上の戦を不要と伝えた。その後、同意したという返答の書簡が来たのだが、
「あいわかった。これ以上の楚への侵攻をやめるとしましょう。取り敢えず、命じられていた重丘は陥落に成功したことをご報告させていただきます」
と田文に予想を越えた内容が届けられた。
「重丘は堅城であったはず、そう簡単に陥落するとは……」
この時の彼は知らなかった。秦軍にある名将がいたことを……
「天におられし、主上よ」
血まみれになりながら男が城壁の上で手を広げながら叫んでいる。
「ご照覧されましたでしょうか。お聞きになられましたでしょうか。この地で行われし、あなた様に対する賛美歌を」
そんな男を見るのは秦軍の将である庶長・奐である。
「やれやれ魏冄殿は虎を飼っているとお聞きしていたが……虎どころの騒ぎではないなあれは」
最初、田文が楚の垂沙を取ったと聞いた時にはまだ、重丘に張り付いてもいなかったため、どうするべきかと考え込むと今、目の前でよくわからないことをいっている男、白起がこう言った。
「主上は我らに好機を与えようとされたのです」
彼は兵の楚の兵の姿に返送させ、泥などをつけると重丘の城に行かせてこう言わせた。
「今、垂沙が韓、魏、斉に攻められ、危機にある。救援を請う」
聞き入れるかわからないものであったが、白起は断言した。
「楚の者の気性は荒々しいものです。仲間が危機と知らされれば、動くでしょう」
彼の言ったとおり、重丘の城主は救援の兵を派遣することにした。そして、城門が開かれたと同時に突撃をかけて城内に侵入した。
それからは凄まじい惨殺劇である。
兵に混じり、あの白起が重丘の城内の兵たちを片っ端から切り捨てていったのである。
「どうか天上におられし主上よ。彼等罪深き者たちに許しを救済をお与えくださいませ」
白起は城壁の上で膝をつけ、祈っている。
「やれやれしばらくあれを預かるのか……」
そうつぶやきながら、庶長・奐は城壁を登る。そして、白起に会うと言った。
「さあ、戦は終わったことだし、帰国しますぞ白起殿」
「もうですか?」
「ええ、罪深き者にも悔い改める時というものも必要でしょう。それでも悔い改めなければ、また、こうして攻めれば良いのでは?」
すると白起はにこりと笑い。
「お優しいですね。確かにその通りです」
彼はそう言うと帰るための準備をするため、城壁を降りた。
「やれやれ、あんなのが戦場に出るとは……」
庶長・奐はため息をついた。
この戦いを後世において垂沙の役と呼ばれる。
斉・韓・魏の三国と秦に攻められ、破れた楚は斉に屈服し、翌年、和を求めるために太子・横を人質として送ることになる。
また、田文の鮮やかに勝ったのを見た魏冄は白起に田文はどうかと聞いた。
「孟嘗君は戦に関しては、見事な統率力を持っていると言えましょう。采配においては奇想はございません」
と白起は田文の戦を評価した。
「そうか。覚えておくとしよう」
魏冄はそう言った。




