契約
大変遅くなりました。
秦の昭襄王の即位の後、母である宣太后を始め、異父弟・魏冄、同父弟・華陽君・羋戎と向寿、昭襄王の同母弟である高陵君・顕と涇陽君・悝と言った親族たちが大きな勢力を秦で形成していた。
このことに対して、公子・壮を始め、大臣、諸公子は不満を覚えており、謀反を計るようになっていた。
「やつらの横暴は我慢にならない」
公子・雍が机に手を叩きつけた。
「そうだ」
皆がそれに同意するように声を上げる。
「既に恵文太后も我らの行動に同意してくださっている。正義は我らにあるのだ」
公子・壮がそう言うと皆も頷く。
「では、この日に実行する」
彼が事を起こす日程について話し始めると声が聞こえてきた。
「それは、遅すぎるのではありませんかな?」
戸からその声を聞き、数人の男たちが近づく。その時、戸は思いっきり開かれ、そこから剣が突き出され、男が貫かれた。
「罪深き者たちよ。主上への懺悔を」
現れたのは白起であった。
「その男を殺せ、早く」
公子・壮は怯えながら叫ぶ。
「怯えることはない」
白起は詩を詠むかの如く言う。
「主上は全ての罪深き者に深き愛を注がれる。そして、全ての者に救済を与えられる」
彼が剣を構えると部屋の壁を破壊する音が轟き、そこから魏冄の兵たちが現れた。
「同志諸君、これより行うは虐殺ではない。慈悲だ」
白起は男の首を飛ばし、そう言った。
目の前の屋敷が燃えている。魏冄はそれを見ていた。
「兄上、よく燃えておりますなあ」
羋戎がそう言った。
「ええ流石は白起ですな」
向寿も同意するように言った。
「ああ白起はこういうところは手際が良い」
そもそもこの時に仕掛けることを進言したのは、白起である。元々彼等が不穏な動きをしていることをしていることはわかっていた。彼等が仕掛けてくるのを見据えて罠を貼ろうとしたのだが、白起は先に仕掛けるべきと進言した。
「先に仕掛けられれば、どううまくやろうとも被害が出ます。先に仕掛けるべきです」
よって今の状況になった。
「白起がこちらの被害を気にかけるとは以外ですな」
弟たちの言葉に魏冄は頷いた。
「あれでも兵の信望は厚く、中々に大切に扱っているようだ」
白起に対して、兵たちは言動こそ可笑しいが良い人だと思っている。
(不思議なことだ)
彼は初めて白起に会ったことを思い出した。
まだ、魏冄が楚にいた頃である。
当時の楚では盗跖の残党が暴れまわっていた。
そんな中、この残党たちを一人で虐殺しまくっているという男がいるという嘘か本当かわからない噂が広まった。
そんな噂を信じるような男ではない魏冄であったがある日、白起を見た。
異様な光景があった。何かの祭壇のようなところに盗賊の首を掲げ祈っているのである。
「何をしている?」
思わず、そう声をかけると彼はこう答えた。
「主上に罪深き者の命を献上しているのです」
意味のわからない回答だったため首を傾げると、白起の地面の近くに違和感を覚えた。そして、そこに近づくと地面に何か埋まっているようであった。
地面を軽く蹴ると砂だらけになった赤い何かが見えた。
「これはお前がやったのか?」
「ええ、人が多く大変でした」
(一人二人ではないか……)
「一人でやったのか……何故?」
「罪深き者たちだからです」
白起はそう答えた。
「主上は多くの者の救済を望んでおられるのです」
(さて、この男をどうするべきか)
本来ならば、危険人物として捕らえて殺すべきであろうが、
(これほどの者たちを一人でか……)
「私について来い」
今度は白起が首を傾げた。
「何故?」
「罪深き者はこの世にはたくさんいる。その者たちに……救済を与えたいのだろう?」
「ええ」
「ならば、もっとたくさんの救済を与える場にいた方が良いのではないかね?」
何故、この危険な男にそう言ったのだろうか。今思えばそう思わなくはないが、それでもこの危険な男にどこか惹かれるところがあったのかもしれない。
「本当にそのような場を?」
「そうだ。私について来ればな」
白起は無言になる。
「どうせならば、堂々と気にせず存分にやりたくはないか?」
魏冄の言葉に白起は拝礼した。
「主上はあなたに多大なる感謝の言葉を述べることでしょう」
「主上は……こう言うだろう。数多の者に慈悲を与えよと」
「ああ、あなたもお聞きになるのですね」
白起は感動するように言った。
「では、行くとしよう」
「はい」
こうして白起は魏冄に付き従うようになった。
昔ことを思い出しているとそこに兵がやって来た。
「報告します。制圧が完了しました」
「そうかご苦労」
向寿がそう言う中、魏冄は目を細め、兵に問いかけた。
「白起はどうした?」
「戻られていないのですか?」
兵は驚いた風に言うと魏冄たちは頷く。
「先ほど、ここは任せるとおっしゃられどこかへ行かれました。既にほぼ制圧ができていたため、ここに戻られたのだろうと思っていたのですが……」
魏冄は目を見開き、向寿に言った。
「白起にどう命じた?」
「えっ、我らに逆らう罪深き者たちがいる殲滅せよ、と言いましたが?」
「馬鹿めが」
魏冄は向寿を叱りつけると羋戎に言った。
「直ぐに兵を率いて白起を止めよ。そうだなこのように……」
するとその言葉を遮るように羋戎は言った。
「兄上、あれを」
彼が指差す方を魏冄が見ると、そこには血だらけの白起がいた。その手に持っているものを見て、魏冄は頭を抱え、弟たちは唖然とする。
白起の手に持っていたのは首である。長い髪を掴むように持っている。だが、男の者ではない。女であった。
「恵文太后」
魏冄がそう呟く。そこに白起が近づき、彼は首を傾げた。
「どうされました?」
「何故、その方を?」
「我らに逆らう者でしたので何か?」
その言葉に魏冄はため息をついた。こういうことがあるため白起に何かを命じる時はある程度、制約をもうけるようにしていた。だが、この時はその制約を向寿が怠った。
(こうなっては仕方ない。手加減すれば、我らも危ない)
「わかった。向寿、羋戎。恵文太后、諸公子、大臣、全ての親族を尽く殺せ良いな」
「はっ」
弟二人はすぐさま兵を率いた。
「では、私も」
と、白起も行こうとするのを魏冄が止めた。
「お前は休め」
「しかし」
「私はこの後、大きな権力を握ることになるだろう」
魏冄は続けてそう言った。
「初めて会った時のことを覚えているか?」
「ええ」
「あの時の約束通り、お前に場所を与える存分に救済を与える場所をな。だから急ぐな。今日は休め」
白起は拝礼した。
「ああ感謝します。あなたは恩人でございます」
感動するように言う彼を見ながら、魏冄はため息をついた。
(厄介な男だ)
だが、彼の強さとこれから先に得られるであろうものは利益はきっと釣り合っているだろう。その確信は彼は持っていた。
魏冄によって不穏分時は全て誅殺され、恵文太后も殺され、悼武王后(武王の后。昭襄王の嫂)は魏に帰国させた。
こうして秦では昭襄王の王位は確率され、魏冄を初めとした親族たちは大きな権力を握ることになったのである。




