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夢幻の果て  作者: 大田牛二
第一章 戦国開幕
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大変、遅れました。

 紀元前408年


 魏の文公ぶんこうは中山征伐を考えていた。


 中山という国ができたのは極々最近のことで、紀元前414年に中山の武公ぶこうが建国したとされている。しかしながらその実態はほとんど不明で、西周の桓公かんこうの子という説があるが、それも疑わしいものと言えた。


 また、春秋時代の時の鮮虞が国を作ったのが中山とも言われている。中山という名の由来は城内に山があるというものである。


 この中山征伐について文公が意見を臣下に求めると真っ先に名乗り出たのは、呉起ごきであった。それを見た臣下たちは、


(出た。出世欲の塊の呉起だ)


(出しゃばりの呉起だ)


 と内心、悪口を言いながら彼のことを話した。


 文公は李悝りかいを見たが、彼は首を振った。


 呉起は主に西の守りについている。その彼を動かすことに彼は難色を示したのである。


 文公とて同じ考えのようで、彼に小さく頷き、呉起には任せないことを伝えた。


 呉起は内心では、舌打ちしつつも渋々引き下がった。すると李悝が楽羊がくようを推薦した。


 群臣たちは皆、内で誰だと思ったが、推薦された楽羊は驚いていた。彼は宋の没落貴族である。文公が人材を集めていると聞いて、魏にやってきた。


 しかし、魏にやって来たものの、特に活用されることなく、日々を過ごした。当時、呉起が登用され活用されたことも大きかったであろう。


(魏では出世できない)


 そう考えていた彼に彼の息子が父のため他の国を探すことを願い出た。息子は父親思いな子であった。彼は父に言った。


「父上、下手に国を歩き回るよりは魏に留まり、次の国を探すべきです。せっかくですから見聞を広める意味でも私に行かして下さい」


 息子の言葉に嬉しいという気持ちを感じながら楽羊は同意した。


 そして、しばらくして息子は中山に行き、たまたま中山の国君と会うことができた。それにより、中山で官位をもらえることを息子が伝えてきたばかりであった。


(まさかこのような出兵を命じられるとは……)


 その時、隣から軽く肘打ちをされた。隣にいるのは呉起である。


(顔色を整えろ)


 彼は楽羊に小声で言った。


(御子息が中山にいることが知られてしまうぞ)


 知っていたのかと楽羊が言おうとするとまた、呉起は肘打ちした。


(こっちを見るな。しゃべるな。気づかれる)


 実は楽羊は一回、呉起の下で働いたことがあった。その時に呉起は楽羊が戦が上手いと感じて好印象を抱いており、そのことを李悝に伝えていたのである。


 しかしながらまさか中山出兵などという計画が挙がるとは考えておらず、この話を聞いた時、楽羊が李悝によって推薦されると思い、名乗り出たのである。結果は失敗してしまったが。


 そのことを楽羊は内心、感じた。


(下の者や部下に優しい方だ)


 彼は呉起の優しさに触れ、感動した。


 楽羊は彼に言われた通り顔色を変えず、文公に言った。


「このような大役に推薦されたこと、誠に嬉しきかぎりながら、中山を攻めるには趙を通らなければなりません。主公はどのようにお考えなのでしょうか?」


「趙から道を借りる」


 群臣は驚いた。他国を攻める際に道を借りるというのは、かつて晋では献公けんこうが行っている策である。その策によって晋は虢を滅ぼし、道を貸してくれた虞まで滅ぼしている。


 その歴史的事実を趙が知らないとは思えない。道を貸してくれるのか。


「既に趙から道を借りることは盟約されている」


 皆、まさかと思ったが、事実である。


 文公が中山を討つために趙に道を借りたいと願い出た。

 

 趙の烈公れつこうとて、もちろん献公の逸話は知っている。そのためこれを拒否しようとしたが、趙利ちょうりが止めた。


「それは誤りです。魏が中山を攻めて取れなければ、魏が疲弊することになります。魏が疲弊すれば趙の威信が重くなります。もし魏が中山を攻略したとしても、趙を越えて中山を治めることは容易ではありません。兵を用いるのは魏でございますが、その地を得るのは趙なのです。主公は同意なさるべきです。しかしすぐに同意してしまってはいけません。彼等は我が国が利を狙っていると気付いてしまうからです。敢えて躊躇なさいませ。主公は道を貸すべきですが、仕方なく貸すという態度を示さなければなりません」

 

 こうして趙は魏に道を貸すことにした。もちろんしっかりと警戒を行った上である。


 楽羊はもはやどうにもならぬと思い、遠征軍の大将になることを受け入れた。









 楽羊は出陣の前に息子へ書簡を出した。内容はすぐさま、中山から逃れよというものである。


 書簡を受け取った息子は、


「大慶」


 と、父が遠征軍の大将に選ばれたことを喜んだが、確かに父の言うとおり、ここにいては厄介である。


 しかしながらこの息子は父のことを敬愛しており、自らの命と父の名誉を天秤にかけた。そして、父からもらった書簡を直ぐに燃やすと父に書簡を出した。


「父上、私がどうなろうとも動揺なさらぬことをお願い致します」


 息子は中山遠征の大将が父であることを中山の武公に伝えた。武公は彼に裏切られたと思い、激怒した。そして、彼を捕らえ処刑にする。それどころか趙を通ってこっちに向かってくる楽羊の元に彼で作ったあつものを送りつけた。


 楽羊の陣で諸将がざわつく中、楽羊はじっと羹を見つめていた。


(息子よ)


 自分が魏の文公を信じていれば、こうはならなかったはずである。しかし、息子が自分が生きていては中山への繋がりを怪しまれることを、父の栄誉あるこの遠征を汚さぬためにも彼は死ぬ道を選んだのである。


(我が子の覚悟を、父への愛を、受け入れずにいては男がすたる)


 楽羊は羹を持ち上げるとそのまま飲み干した。諸将が驚く中、楽羊は剣を抜き、叫んだ。


「出陣」


 諸将は立ち上がり、足で踏み鳴らしながら、「応」と答えた。


 楽羊率いる魏軍の士気は高く、あっという間に中山を平定してしまった。楽羊は簡単な処理を行うと魏に帰還した。











 楽羊が中山を滅ぼして凱旋する中、その際に楽羊の息子が中山にいたこと、その息子が殺され、羹にされると彼が飲み干して、中山討伐の意思を見せつけたことを文公が知った。


 文公は特に息子の羹を飲み干したことに感動し、覩師賛に言った。


「楽羊は私のために自分の子の肉まで食べた」

 

 すると覩師賛が言った。


「自分の子の肉も食べることができるのですから、彼は他の誰かの肉も食べることができるでしょうね」

 

 文公はそれを聞くと、すっと感情が薄れるのを感じた。


(確かにそのとおりだ)


 と思ったからである。


 朝廷に楽羊が来ると文公は彼の功績を厚く賞した。すると楽羊は再拝稽首して、


「これは私の功ではありません。主公の力によるものです」


 と応えた。謙譲の言葉と言えるが、文公はその彼の言葉も芝居ではないかと先の言葉と共に疑心を抱くようになった。

 

 文公は楽羊の中山討伐の後、占領した中山の地に子撃(太子・撃)を封じて彼に治めさせることにした。

 

 彼が群臣に問うた。


「私はどのような主であろうか?」

 

 皆が、


「仁君です」


 と答える中、任座(または「任痤」)だけがこう言った。


「主公は中山を得たものの、主公の弟ではなく主公の子を封じました。どうして仁君と言えましょうか?」

 

 この発言の背景には趙の趙無恤が自分の子ではなく兄の子孫に趙氏を継がせたことがあるように思える。

 

 文公は彼の発言に怒ったため、任座は小走りで退出した。

 

 次に文公は翟璜にどう思うか問うた。

 

 すると翟璜は、


「仁君です」


 と答えた。

 

 文公がなぜそう思うか問うと、翟璜はこう答えた。


「君が仁であれば臣は直になるものです。先ほどの任座の言は直というものです。だから私は主公の仁を知ったのです」

 

 喜んだ文公は翟璜を派遣して任座を呼び戻すと、自ら堂を降りて迎え入れ、上客として遇した。


 さて、この決定を後に知り、呉起は李悝の元に怒鳴り込んだ。


「太子が中山を治めると聞いた。これはあなたの指図か」


「違う。主公のご意志だ」


「ならば、何故、反対なさらぬ。中山は楽羊に治めさせた方が良いではないか。何故、あやつが太子の元で、北方の守備なんぞに着かさせる。左遷ではないか」


 呉起が語彙を強めながらそう言うが、李悝は眉を潜めるだけである。


「太子が中山を治めることは決して悪いことではない」


「太子が中山を治めるのは反対だ。中山は治めるのが難しい土地だからだ。治めさせるというならば、治めやすいところにするべきだ。太子は剛毅な方だが、細やかさや感情を上手く制御できないところがある。これでは中山の民の感情を我ら魏に向けるのは難しい」


 こんな話がある。ある日、子撃が朝歌で文公の師・田子方に会った。子撃は車を退かせて道を開け、降りて拝謁した。しかし田子方は礼を返さなかった。

 

 子撃はむっとして、田子方に問うた。


「富貴の者が人に対して驕るのでしょうか。それとも、貧賎の者が人に対して驕るのでしょうか?」

 

 田子方はこう答えた。


「当然、貧賎の者が人に対して驕るのです。諸侯が人に対して驕れば、国を失い、大夫が人に対して驕れば、家(采邑)を失います。しかし貧賎の者は、自分の行動が理解されず、言が用いられなくても、その地を離れて楚や越に行くだけのことです。それは躧(靴)を脱ぎ捨てるように容易なことですので、富者と同列に語ることはできません」

 

 子撃は不快(不懌)になって去った。


 田子方の自尊心の強さも確かに問題だが、子撃もあまりよろしくない。しかも相手は国君である父の師である。


「楽羊ならば、細やかな政治が行える。彼に任せるべきだ」


「楽羊は軍人、治世に関しては未知数なところがある。その彼を用いるというのは難しいのだ。それに彼は主公の信頼が無い」


「楽羊は大功を立てた。何故、信頼が無いというのか」


 呉起が眉を潜めると、李悝は彼を近づくように手招きした。呉起が近づくと彼の耳元で囁いた。


「主公に余計なことを言った男がいる」


「誰だ?」


「覩師賛だ」


「覩師賛……確か翟璜が推薦した男か」


 呉起はこの時、はっと思った。


「まさかあなたと翟璜の政争によるものか」


 李悝と翟璜は前々から宰相の座を争っている。


「恥ずかしいかぎりだがな。まあ、私が推薦したものを潰せば、それだけ私の地位が揺らぐと思ったのだろう」


 李悝は小さく笑うと最後、呉起に言った。


「これが出世するということだ。お前も上を目指すなら気をつけるように」


 呉起は静かに拝礼した。










 こうして中山は子撃は治められ、その北の守備を楽羊が行うことになった。


「息子よ。お前を死なせてまで、得たのがこれだよ」


 楽羊の悲しみは深く、彼は歴史の深淵の中に埋もれていくことになる。


 しかしながら彼の子孫が歴史の表舞台に上がり、大きな煌きを見せることになるのはこの時、彼が名誉に包まれることがなかったためかもしれない。





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