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夢幻の果て  作者: 大田牛二
第四章 天秤傾く
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騙されやすい人

大変遅れました。

 紀元前311年

 

 秦の恵文王けいぶんおうが人を送り、楚の懐王かいおうに武関の外の地(秦の丹、析、商於の地)と黔中の地(楚地)を交換するように求めた。


 二年前に騙したにも関わらずである。

 

 怒りに震える懐王はこう答えた。


「領地を交換しようとは思わない。張儀ちょうぎを得ることができれば、黔中の地を献上しよう」


「まさかそんなことを言ってくるとはな」


 恵文王は楚からの書簡を見ながらそう呟く。


「実に面白いですなあ」


 張儀はけらけらと笑う。土地を譲ってまで、一人の男を殺したい。これほど面白いことがあるだろうか。


「笑い事ではないぞ」


「これはこれは失礼を。それで王、お頼み申し上げたいことがございます」


「なんだ?」


 張儀は拝礼した。


「私を楚に行かせてください」

 

「楚がお前を無事に帰らせることはない。なぜ敢えて行くのか?」

 

 張儀は理由を説明した。


「秦は強く楚は弱いため、王がいれば楚が私を取ることはございません。それに私は楚王の嬖臣(寵臣)・靳尚と親しくしており、私は幸姫(寵姫)の鄭袖(「鄭褏」)に仕えています。鄭袖の言を楚王が聞かないことはございません」

 

  続けて彼はこう言った。


「私が使者として楚に行き、商於の約束を破ったのです。今回また秦・楚が大戦してますます関係が悪化しようとしている以上、私が自ら楚に謝罪しなければ解決しないでしょう。王がいれば楚も私を取ることはできません。もし殺されたとしても、国のためになるのならば、それは私の願いでございます」


 また、彼はこうも言った。


「それに今、楚は斉との関係を再び修復しようとしているとか。私が断ち切ってみせましょう」


「できるのか?」


「はい」


 張儀は笑顔で答えた。


「良かろう。行って参れ」


「ははあ」

 

 こうして張儀は楚に向かった。









 

 張儀が楚に行くと、懐王は早速、彼を捕えた。


「縄の縛り方が緩くありませんかな。私ほどの男ですと直ぐに解いてしまう」


 懐王はその様子に不快そうな表情を浮かべつつ、彼を牢屋に入れ、処刑しようとした。

 

 それを知った靳尚が鄭袖に言った。


「秦王は張儀を非常に愛しており、上庸(春秋時代の庸国)六県と美女で贖おうとしております。もし、王が領地を重視して秦を尊重すれば、秦女が貴ばれて夫人あなたは遠ざけられることになるでしょう」

 

 それを恐れた彼女はこの日から昼も夜も泣いて懐王に訴えた。


「臣下というものはそれぞれ自分の主のために働くものです。もしも張儀を殺せば、秦は必ず激怒することでしょう。私は子母と共に江南へ遷ることを望みます。秦の魚肉にはなりたくはございません」

 

 懐王は彼女の姿に心動かされ、張儀を釈放することにした。


 これほど騙されやすい人物も珍しい。一種の才能と言えるかもしれない。


「ほれ見ろ、縄から脱出できた」


 張儀はおどけながらそう言って、懐王の厚遇を受けた。

 

 彼は懐王に言った。


「従者(合従を提唱する者)と申すものは、羊の群れを駆り立てて猛虎を攻めているようなものですので、敵わないのは明らかです。今、王が秦に仕えなければ、秦は韓に迫り、魏を駆って、楚を攻めるでしょう。これは楚の危機となります。秦は西に巴・蜀がありまので、船を整え、粟(食糧)を集め、岷江を下れば、一日に五百里を進み、十日も経たずに扞関(楚の西境)に至ることになります。扞関が震撼すれば、国境以東(楚全土)の城が守りを固めなければならず、それぞれが自国を守ることで精一杯であるため、黔中や巫郡(楚・秦国境付近)は王のものではなくなります。秦が甲兵を挙げて武関を出れば、北地(楚の北境。陳・蔡・汝・潁等)との交通が絶たれることになります。秦兵による楚攻撃は三カ月の間で危難を招きますが、楚が諸侯の救援を得るには半年以上待たなければなりません。弱国の救援を待って秦の禍を忘れるという事態を、私は王に代わって心配しております。王が私の意見を聞くというのであれば、私は秦・楚を兄弟の国とし、互いに攻伐の必要がなくなるようにしてみせましょう」

 

 懐王は張儀を得たものの黔中の地を秦に譲りたくなかったため、張儀の意見に賛成、更に秦との婚姻関係を結ぶことを約束して彼を楚から去らせた。


「やれやれ騙され安くて、騙し甲斐が無いな」


 張儀はけらけらと笑いながら帰国した。

 

 その頃、楚の屈原くつげんが使者として斉に行っていた。彼は楚の名門の出であり、反秦、親斉の立場をとっている人物であった。


 張儀によって断ち切られた斉との関係修復のため、彼は斉に行っていた。


 そんな彼が帰国すると張儀が来たことや、彼を懐王が殺さなかったことを知った。屈原は頭を抱え、懐王に、


「なぜ張儀を誅殺されなかったのですか」

 

 と言った。彼に言われて、懐王は後悔して追手を送ったが、追いつくことはなかった。


 この張儀の動向によって斉は楚が再び、秦と繋がっていると思い、楚との関係を再び断ち切った。屈原の努力は水の泡として消えた。


 結局、楚は張儀の手の上で散々に踊らされただけであった。



 

 


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