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夢幻の果て  作者: 大田牛二
第四章 天秤傾く

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亜聖

 趙の軍を率いた公子・しょくによる抵抗は激しくなり、斉軍は苦戦するようになった。


 このままでは泥沼になるだろうと皆は思ったが、それでも斉の湣王びんおうは燕の攻略に拘った。しかし、更に他の諸侯も燕救援の動きを見せ始め、これ以上は難しくなった。

 

 湣王は後悔し、燕から引き上げるべきと主張した孟軻もうかに対して、


「孟軻に会わせる顔がない」


 と言うと、陳賈が、


「心配はいりません」


 と答え、彼に会いに行った。

 

 陳賈が孟軻に問うた。


周公旦しゅうこうたんとはどのような人物でしたでしょうか?」

 

「古の聖人です」

 

 陳賈はまたこう問うた。


「周公旦は管叔かんしゅくに商(殷)の地を監督させました。しかしながら管叔は商で叛しました。周公旦は管叔が叛すと知って商を監督させたのでしょうか?」

 

 孟軻は首を振り答えた。


「管叔が叛すことを周公旦は知りませんでした」

 

 陳賈は続けてこう問うた。


「それでは、聖人でも過ちを犯すことがあるのでしょうか?」

 

 孟軻は眉をひそめた。


 陳賈の言は湣王の燕に対しての失敗を招いたを隠すことが目的である。つまり、湣王はこの失敗を孟軻に責められたくなかっただけなのである。

 

 孟軻は陳賈を風刺しながら答えた。


「周公旦は弟であり、管叔は兄です。彼の過ちは理解できます。そもそも、古の君子は過ちを犯しても改めることができました。今の君子は過ちを犯してもそのままにしております。古の君子が犯す過ちは日月の食(日食・月食)と同じで、全ての民が見ることができ、過ちを改めれば、全ての民にますます慕われました。今の君子は過ちをそのままにするばかりでなく、言辞によって隠そうとされています」


 これほどの返しに陳賈に何も答えることができなかった。







 その後、頻繁に宮殿に来ていた孟軻が来なくなった。


 湣王はこれを恐れた。彼の批難だと思ったのである。そこで彼は病気を理由に孟軻の家に使者を派遣して、


「先生とお話したいことがございますが、運悪く病のためにそちらへ行くことができません。いかがでしょうか。あなたの方から来てはいただけないでしょうか?」


 と伝えて呼び出そうとした。しかし、孟軻はこう答えた。


「不幸にして、疾でございますので、参ることができません」


 病気であるため、行くことができないと伝えたのである。


 実はこの時、参内しようとしていた。だが、それにも関わらず断ったのは召さざる所の臣というのが理由である。


 名臣と呼ばれた中には呼びつけられなかった人物がいる。


 商の伊尹いいんや斉の管仲かんちゅうがそれである。彼等のように自分は扱われるべき人物であると彼は自負していたのである。


 その翌日、東郭氏に不幸なことがあったために孟軻は家まで行って弔問することにした。これを弟子が止めた。


「昨日、病気を理由に参内を断ったため、今日改めて外出するのはお止めになるべきです」


 と出掛けないことを勧めたが、孟軻は、


「昨日は病気であったが、今日は治った。行かなければなるまい」


 と言って行ってしまった。


 ところがこの時、彼が病気と昨日聞いていた湣王は彼が出かけている間に病気見舞いの使者と医師を派遣してきた。


 家で留守番をしていた弟子は慌てて、


「先程少し調子が良くなったため、参内に参りました」


 と、その場を取り繕った。


 その隙に他の弟子が、師の通りそうな場所に行き会うと、


「どうかこのまま帰宅せずに、そのまま参内してもらいたい」


 と伝えた。それを聞いた孟軻は帰宅はしなかったが、参内もせずに友人の景丑の家に泊まった。


 景丑は彼をこう批難した。


「家庭では父子の関係、家庭を出れば君臣の関係こそが、守るべき大きな道徳です。父子のあいだは恩愛が第一であり、君臣のあいだは敬愛が第一です。私は、王があなたを敬われるのは見ていますが、いまだに、あなたが王を敬われているところを見ておりません」


 すると孟軻は言った。


「ああ、これは何ということを言われるのか。斉では、王様と仁義の道を語り合う人がおりませんが、それは仁義の道をよくないことだと考えているからなのでしょうか。そうでないとすれば、心の内で、王は一緒に仁義の道を語り合うには足りない方であると思っているのでしょう。そうだとすれば、王に対する不敬は、これよりはなはだしいことはないのではありませんか。私は堯・舜の道でなければ、王の前では何も申し上げないのです。ですから、斉の人で、私より王様を敬っている人はいないでしょう」


 この事件によって孟軻と湣王の関係は悪くなり、孟軻は斉を立ち去る気持ちを固めた。


 その後、孟軻が斉を立ち去る考えがあると聞いた湣王は急いで彼の家まで出向き、


「またお会いすることはできるでしょうか」


 と聞いた。すると孟軻はこう答えた。


「また会いたいと、自らは望みませんが、王とお会いするのは私としても嫌ではございません」


 それで、湣王はまだ希望があると思い、彼の弟子を通じてこう言わせた。


「都の大邸宅に迎え、門弟養成のために一万鍾の俸禄を支給し、大臣をはじめ廷臣たちにあなたを尊敬させるようにするだろう」


 鍾は穀物を図る単位で、一鍾で五十リットルぐらいとされている。だが、孟軻はこう言った。


「もし私の力で国を興したければ、十万鍾の俸禄を約束なさるべきです。私はそれを辞退して、一万鍾を受けましょう。これでは私のことを、冨貴を願っているとは言えないでしょう」


 続けてこうも言った。


「昔、市場では物々交換によって、お互いの納得する交易を行い、生活に必要な物を手に入れるところでした。ところが、卑しい欲張りがおり、壟断(切り立ったような高い位置)に登って左右を見まわしました。普通は地面に自分の売り物を並べて交換するのですが、高所から見ることで、良い物を売っている人をいち早く発見することができます。そのような連中は、生活に必要な物を仕入れに来たのではなく、営利を上げるために来ているのです。何と嫌らしいことでしょうか。人々がこれを非難し、政府もこれに征(税のこと)を掛けることにしたのです」


 自分はこんな卑しい欲張りではないのであると彼は言いたかったのである。彼がこう言ったのは自分を招くために湣王が利益を持ち出したためにこう言ったのである。


 因みに彼の今回の言葉によって「利益を壟断する」という言葉が生まれた。


 ついに孟軻はいよいよ斉を去ることにした。


 しかし彼は昼という場所に三日も留まった。一度湣王の申し出を断っておきながらまるで湣王の使いが来るのを待つかのようにゆっくり進むため、孟軻の評判は良くないものとなった。


 斉の尹子と言う人物は彼に憧れていたため、彼が昼に三日も逗留したという話を聞き、大きく失望した。


「私は孟軻を見損なった」


 と言った。その話を弟子から聞いた孟軻は、


「尹子という者は、俺を理解できていないのだろう。三日で昼を出たのは早すぎるくらいだ。もしも王があの後、思い直して使者を送ってくれば、私は喜んで引き返したことだろう。すると、斉の民は豊かになる。もしも、あの後、使者が来なくても、私は王を捨てることはない。それを考えると、王の使者が来るのが待ちどうしいのだ」


 それを聞いた尹子は、


「士は誠に小人なり」


 と嘆いた。






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