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夢幻の果て  作者: 大田牛二
第四章 天秤傾く
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盲目の果てに

大変、遅くなりました。

 斉の湣王びんおうから使者がやって来て燕の太子・へいに書簡を渡してきた。そこにはこのように書かれていた。


「私は太子の義を聞いた。私情を廃し、国君を立て、君臣の義を正し、父子の位を明らかにしようとしている。私の国は小さいために先後(補佐)をする力は足りないが、太子の令(号令)を支持しよう」


「おお斉が力を貸してくれるのか」


 太子・平はこのことに喜んだ。


「これで正義が成せるのだな」


 彼の言葉に市被にそう言った。


「そのとおりです。これで正義を成すことができるのです」


「ああ、そのための準備を始めよ」


「ははあ」


 太子・平は目を細め、指示を出した。

 

 斉の協力を得た後、党を組んで衆を集めた。


「太子はここで指示をお出しください」


 市被はそう言った。


「しかし、それでは」


「太子は大将なのです。大将は本陣にいるべきなのです」


「そうか……」


 自らの手で正義を成したかったそう思いながらも確かにそのとおりだと思い、頷いた。


「では」


 市被は軍を率いて、子之のいる公宮を包囲した。


「おのれ、市被め太子を誑かしおって」


 子之は公宮を包囲する市被の軍を眺めながら、そう言うと何とか兵に指示を出して守備を固めた。


 市被は相手は所詮は文官であることからこの戦は勝てると思っていた。


(太子は花畑だ。例え、王を殺したとしても子之が殺したと言えば、信じるだろう)


 そして、その後は自分が政治の実権を握るのだ。それが彼が太子を担ぎ上げた理由であった。


 だが、彼は公宮に篭る子之に勝てなかった。


「どういうことか」


 市被は激怒し、兵に八つ当たりを行う。


 このことから兵士たちは彼に不満を持つようになった。更に国民は子之を支持するようになり、彼等を子之が率いて市被の軍に襲いかかった。


 市被の兵は横暴な彼に愛想を尽かし、まともに戦わなかった。そのため市被は戦死してしまった。


(民が子之の軍と共に襲いかかっている)


 彼はその光景を見て、何故そのような光景が見えるのだろうと彼は思った。正義無き者に何故、民は従うのだろうか。子之の無茶な政治によって民を苦しめているのではなかったのか。


(民を苦しめるのは悪のはずだ)


 市被から子之が民を虐げると言われ、そう思ったからこそ、こうして兵を率いて……


「太子。将軍が戦死しました」


 その時、そのような報告がもたらされた。


「何、おのれぇ子之め」


 彼はすぐさまに怒りの感情でいっぱいになり、剣を抜くと全軍で公宮を攻めるように指示を出した。この時には先ほどまで考えていたことを忘れた。いや、忘れることにしたと言った方が良いかもしれない。


「太子が攻めてきたのならば、仕方ない。太子の軍を打ち破れ」


 子之は市被の死体を晒してからそう指示を出した。


 両軍は数カ月にわたって戦いを続け、都の民衆をも巻き込み、数万の死者が出した。国民は怒りと悲しみにこの自体を嘆き、人心は彼等から離れていった。


 その様子を見ながらも太子・平は、


(これは、正義を成すためだ。そう正義のためなのだ)


 彼は必死に目を逸らした。民がこちらに向ける怒りの目を向けることに、正義という言葉に縋るために。


「報告します。斉軍が参りました」


「おお、そうか。門を開け、迎え入れよ」


 太子・平は斉軍の到来に喜び、そう指示を出した。


 開けてはいけない門を彼は開けてしまった。

 

「おお、開いたか」


 斉軍を率いるは、章子(匡章)である彼は湣王の命令によって五都(五つの大邑)と北地(斉の北境)の衆を集めさせ、燕討伐を命じられていた。


「さて、楽な戦になりそうだ」


 彼は一気に突撃をかけるように指示を出すと斉軍は一気に燕の都になだれ込み、燕の人々を虐殺し始め、そのまま公宮に向かっていった。









「斉軍だと、太子が援軍として招いたのか」


 だが、報告によれば、斉軍は燕の関係無い民衆を虐殺しているという。


(明らかに太子のためではない)


 子之はそう考えると兵に指示を出した。


「公宮の守備を固めよ。他の者は王の逃走を助けよ」


 彼はある部屋に向かうとそこにいた者たちに言った。


「流石にもう用意しているか」


 部屋の中には逃げ出す準備を完了されていた二人の男がいた。蘇代そだい蘇厲それいである。


「叔父上、もうここは無理でしょう」


「そうそう。もう終わり~」


 二人はけらけらと笑う。


「お前たちに頼みがある」


 それを気にせず、子之は言う。


「お前たちは太子の元に行き、太子を助けよ」


「なんでぇ?」


「太子は今回の騒動を起こした馬鹿でしょう?」


 二人はそう言って、太子・平を批難する。


「太子はお若いのだ。お若いために失敗されただけだ」


 この失敗は大きなものである。しかし、それを彼は責めなかった。


「頼むこのとおりだ」


 二人に対して、子之は頭を下げる。蘇代と蘇厲は互いに顔を見合わせる。そして、頷くと言った。


「いいよ。どうせここを逃げたら暇だし」


「まあ、力を貸すかは別ですが、会いましょう」


 そう言うと蘇代と蘇厲は部屋を出ていった。


「改革で燕をこの国を変えたかったが……」


 その結果はこの様である。


「ああ、良い国にしたかった」


 そのために強い権力が欲しかった。民を国をより良くするために。その時、斉の兵が部屋になだれ込んだ。


(願わくば、この国に良き未来があらんことを……)


 部屋一面に血が飛び散った。











「どういうことだ」


 太子・平は目の前に広がる光景が信じられなかった。


 至るところから火が上がり、民の叫び声が鳴り響く。


「何故、こんなことに……」


 呆然としながらも目の前にある光景は変わらない。


「民を救わねばならない。そうだ。民を守らなければならない」


 そこに兵が駆け込んできた。


「太子。斉軍によって王と宰相が殺されました」


「父上が……」


 燕王・噲が、父が殺された。


「おのれ、斉め」


 彼は兵に斉軍へ襲いかるように指示を出した。。だが、斉の兵は強く彼の兵は蹴散らされていく。


「太子。ここはお逃げください」


「ならぬ。父上の敵を取らねばならんのだ」


 それでも斉と戦おうとする太子・平を周りの者たちが必死に止める。


「なりません太子。お逃げになられるべきです」


「斉を討たねば、討たねば、父上に、民にどう詫びれば良いのか」


 太子・平は涙を流し、叫びながら暴れる。しかし、家臣たちはそんな彼を必死に押さえつけながら都からの脱出した。


 都の傍にある山から太子・平は斉軍に占領されつつある。都を眺める。


「なんということか。なんという……」


 自分が斉を招いたために父だけでなく多くの民までも死なせてしまっている。


「私は正義を成すために……」


 その結果がこれである。


 斉軍が次々と民を殺してく老若男女関係なくである。


「もうやめてくれ、もうやめてくれよ」


(正義のためにやった。正義のために……あれ、正義ってなんだっけ?)


 涙を流しながら縋るべきものを見失い始めると、彼はふと、自分の剣を見た。そして、そのまま剣を取るとそのまま自分の首に当てようとしたその時、


「お逃げになってはなりません」


 怒声がその場に鳴り響いた。現れたのは一人の男であった。郭隗かくかいである。


「国を継ぐべき方がそう簡単に死ぬことが許されると思っておいでか」


 彼は太子・平に近づきながらそう言う。


「貴様、無礼であるぞ」


「無礼、大いに結構、愚者に礼など必要ではない」


 郭隗はそう言ってその家臣を叱りつけると太子・平に向かって言った。


「たんと見なされよ。あれがあなたがしでかした結果だ」


 彼は燃え盛る都を指差す。太子・平は剣を落とし、顔を手で覆う。


「逃げてはなりません。自分の守れなかった者を、傷つけてしまった者ををしっかりと見なされよ」


 郭隗は叱りつけるように言う。


「あなたは太子でしょう。国君無き後は王になれるべき方でしょう」


 そこまで言っても太子・平は顔を手で覆って泣くばかりであった。


(ああ、この人はダメだ)


 もう立ち上がることはできないそう郭隗は思った。その時、けらけらとした笑い声が響いた。


「わあ、怒られている」


「本当だねぇ」


 郭隗は笑い声の主である二人を見て、驚く。


「蘇代、蘇厲」


「久しぶり~」


田文でんぶんの元に居られた食客ですね」


 二人は顔を見合わせながら笑う。


 彼らの声を聞き、太子・平は生気の失ったような目で彼等を見る。


「確か、子之のところにいた……」


「そうだよ太子さん」


「子之は私たちにとって叔父にあたるのです」


 二人はそう言う。


「だが、何故お前たちがいるのだ?」


 郭隗がそう聞くと二人は答えた。


「叔父上に太子を助けて欲しいってさ」


「言われたのです」


 その言葉に太子・平は驚く。


「何故?」


「さあ、知らない」


「ですが、これだけは知っていただきたい」


 蘇厲は首を振り、蘇代は太子・平を見据え言った。


「叔父上は強引ではありましたが、この国をあの人なりに何とかしようとしたのだと思いますよ」


 子之は国を良くしようとした。それは太子・平には驚きだった。


(ならば私のしたことはなんだ)


 もはや彼の心の中には粉々に砕けた正義だけであった。それでも彼は、その砕けてしまった正義を拾う。


「子之の思いを無駄にするわけにはいかない」


 そう呟いたその時、ふとあることが過ぎった。しかし、それは正義を信奉していた彼からすると許されざるべき行為であった。正しいことではない。そう思いながらも彼は、


(やらなければ、国は、祖国が滅んでしまう)


「蘇代殿、蘇厲殿、二人に頼みたいことがある」


「何?」


「何でしょうか?」


 太子・平は二人を見据えながら言った。


「趙に援軍を求める使者となって欲しい」


 彼の言葉に二人は言う。


「また、失敗するだけじゃないの?」


「斉だけでなく趙までも招けばどうなるでしょうなあ」


 そう言う二人に太子・平は言った。


「趙としても斉が燕を占領されることを好まないであろうし、趙には弟の職がいる。職を立てる名目で来るであろう。そして、燕に職を座らせようとするであろう」


 その言葉に二人は顔を見合わせる。そして二人は言った。


「それだけじゃないでしょ」


「ええ、何か他にお考えがあるのではありませんか?」


 二人の言葉に太子・平は頷いた。そして、二人に近づくように手招きし、二人に耳打ちした。すると二人はけらけらと笑いだした。


「狡いなあ。最高に狡いなあ」


「何ということをお考えでしょうか」


 批難しながらも二人は笑う。


「確かに批難されるべきことだ。だが」


「いいじゃん」


 太子・平の言葉に蘇厲がそう言うと蘇代が言った。


「ええ、それでもやらなければならないとお考えになったのでしょう。ならば後は覚悟だけですよ」


 その言葉に太子・平は頷いた。


「覚悟はある」


「では、行くとするか厲よ」


「うん、そうだね代」


 二人は笑い合うと早速、趙に向かった。


「彼等が戻るまでに多少なりとも斉と戦おうと思う」


 太子・平は家臣たちにそう言う。


「兵を集めてもらいたい」


 家臣たちは頷く。


 太子・平は郭隗に拝礼した。


「私のような者を叱ってくださり感謝します。もしよろしければ今後もご助言いただけないでしょうか?」


「あなた様がお望みとあれば」


 郭隗はそう答え、拝礼した。


「感謝します」


 太子・平は再び、燃える都を見る。


「泣くのは、今ではない。民を、国を守らなければ……」


 それが最後に子之が託したものだと言うのならば、答えなければならない。正義を語る資格の無い男ではあるが、それだけにはどうしても答えなければならないと思うから……


 その思いを杖にし、太子・平は再び立ち上がった。

 


 


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