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夢幻の果て  作者: 大田牛二
第四章 天秤傾く
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無知なる正義

大変遅くなりました

 紀元前314年


 先の五国合従軍に通じた義渠を秦は侵攻し、二十五城を取った。

 

 そして、魏が秦に背いたため樗里疾が魏を攻めて焦を降し、更に援軍としてやって来た韓軍を岸門で破り、一万を斬首した。その韓軍を率いていた公孫衍は敗走した。

 

 この年、斉の宣王せんおうが死に、子の湣王びんおうが即位した。

 

 この頃、燕の子之が燕の政治を握ってから三年が経ち、国内は乱れた。燕の百姓(民衆)が子之の政治に苦しんだ。


「もはやあの者に正義は無い」


 燕の太子・へいはそう言った。


「それにあの者は父の思いを蔑ろにした。これこそがやつの最大の罪である」


 燕王・噲は堯のような君主になりたいと思い、子之が舜になれると思ったために彼に政治を譲ったのである。それを彼は蔑ろにした。そのことが彼には許せなかった。


(父上はお優しい方なのだ。その優しさに付け込むとは、なんという男か)


「そのとおりでございます。正当な太子であるあなた様を差し置いて、王になろうなどあってはなりません」


 燕の将軍・市被がそう言った。


「そうだ。正当性は私にあるのだ」


 太子・平は平凡な人物である。普通に教育を受け、普通に武術を習った。普通の王族としての教育を受けた彼は自分が太子であり、正当性があるのだから当然なことだと彼は考えていた。


「太子、子之を討つには武力が要ります」


「武力か……父上が説得することができていれば……」


 彼は子之に国を譲ると言った父に何度も諫言を行った。だが、燕王・噲はそれを聞き入れなかった。


「武力で訴えれば、傷つく者が出るぞ」


「しかし、これしかもはや手段がございません。正義を成すにはこれしかありません」


 太子・平は正義という言葉が幼い頃から好きであった。教師から正義とは何かということを聞くことが好きであった。


(正義とは、国のため民のために戦うことだ)


「そうだな。正義を成そう」


(子之は無茶な政治を行って、民を虐げている。その民を救うのが正義だ)


 市被から聞いた訴えを聞いた時から彼は正義を成すために動いてきた。


「そこで斉の力も借りるべきです」


「他国を介入させるのか……」


 これはあくまでも自国内での問題である。それに他国を介入させるのはどうなのかと流石に彼は思った。


「武力によって生じる犠牲を少なくするには大国の力を借りるべきなのです」


「そうだな。その通りだ。斉の助けを借りるとしよう」


 民に犠牲がたくさん出てはならない。それが彼の思いであった。しかし、この時の彼は思わなかった。本当に犠牲を少なくするというのならば、暗殺といった手を使えば良いのである。しかし、彼は正義を成すという言葉に目を奪われ、そのことに気づくことがなかった。


 彼は平凡な太子であった。平凡に人の意見を聞き、決断をする。本来であれば、国を継いだ時に行うことにしては何の問題も無い。しかし、彼の生きている世は乱世である。人を人と思わず、簡単に人を騙す時代なのである。










 

 燕の太子から政治を専横する子之を討つために力を借りたい。そのような書簡が届き、斉の朝廷では、これについて話し合いが行われた。


 斉の諸将は湣王に言った。


「今、燕に向かえば、必ずや燕を破ることができましょう」


 今の斉の諸将は若い人物が多かった。既に老将と言っても良かった田忌でんきは引退している。そんな彼等は若い故に武名を欲していた。


 そんな中、田文でんぶんは反対した。


「なりません。今、王は位を受け継いだばかりであり、それにも関わらず、軍を動かすなどもってのほかです」


 だが、湣王も若かった。若い故に武名を欲した。


「燕の混乱は我が国が領地を拡大する絶好の機会である。今を逃しては何時このような好機が訪れようか」


 彼はそう言って、燕に軍を派遣することを決定した。それでも田文はこの出兵に反対の意見を出し続けた。


 田文は名声を得ており、そのため信望があつい。彼の反対を無碍にできない。だが、湣王は自尊心が強い。そのため彼の意見など聞き入れずに燕への出兵を正式に決定した。


「斉は燕を攻めると聞きました」


 田文が屋敷に戻ると郭隗かくかいがそう言った。


「先生の祖国故、何とかしたかったのだが……」


 郭隗はそう言う田文をじっと見た後に言った。


「何故、斉王は燕をお攻めになられるのですか?」


「燕の太子が位を取り戻すために宰相の子之を討つ強力をして欲しいと行ってきました。それに王は飛びつかれたのです」


 田文の言葉に郭隗は怪訝な表情を浮かべる。


「何故、燕の太子はそのようなことを?」


「今の燕が混乱をしているのは事実ではあるのです。何せ国君が宰相である子之に位を譲ってしまいましたから」


 田文はそう言ってから続けてこう言った。


「宰相である子之の法政改革もあるでしょう。しかし、改革の内容は決して悪いものではないというのが私の感想です」


 子之は確かに臣下の身分で、王位を得ている。そのことは問題であるとは田文とて思う。しかし、今の燕の混乱はそれ以上に彼の法政改革である。


 彼の法政改革によって民の生活が激動しようとしているために民は反発しているのである。


(だが、改革の内容は悪くない。数年経てば、良い結果が出るだろう)


 それが田文の見方であった。


「それでも斉王は燕を攻めようとされている」


「そうです」


 郭隗の言葉に田文が頷くと郭隗は拝礼した。


「本日を持って、去らしていただきます。今までお世話になりました」


 彼はそのまま去ろうとするのを田文が止めた。


「先生、祖国にお戻りになるのですか」


「そうです」


「先ほど、聞いたはずです。燕は我が国と戦争になるのです。そんな危ない時に戻らなくとも……」


 郭隗は振り向き言った。


「それでも祖国が危機にある時にここにいるのは私には耐えられません」


 決心が固いと見た田文は、


「旅費を出します」


 と言った。田文は前から食客が去る時に旅費を渡すようにしている。


「いりません」


 郭隗は首を振った。


「何故です?」


 理由を問うた田文に対して、彼は目を伏せる。そして。こう答えた。


「これを受け取ってしまえば、私は貴方の元に戻りたくなる。貴方は偉大な人だ。多くの多種多様な者たちをまとめ活かそうとしている。だが、あなたは斉の人だ。斉の名臣になり、斉の人々を救っていくことでしょう。故に他国の者は救えない」


 そのまま郭隗は去ってしまった。


 田文は決して間違っていない。斉の人であり、自国を思いやるのは普通なことなのである。


 だが、郭隗の言葉に対して、田文は辛そうな表情を浮かべた。そして、胸元を掴んだ。悲しかった。辛かった。


(どこかで多くの食客を抱えることが多くの人を救っているのだと思っていたのかもしれない)


 それだけが人を救う道ではない。そのことをわかっていたはずなのに、それを自分は理解していなかった。そう思った田文は何とかこの出兵を止めたいと思い、宮中に出向き説得を行った。


 ここまでの様子を見ていた者がいた。孟軻もうかである。彼は田文の様子を見て、一言呟いた。


「傲慢過ぎる」





 


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