崩壊
大変、遅れました。
張儀は魏の庶民出身で、かつて蘇秦と共に鬼谷子から術を授かった。その後、張儀は諸侯を遊説した。
ある時、楚の宰相に従って酒宴に同席したことがあった。酒がまわってから、宰相が玉璧を失ったことに気づき、大騒ぎになった。
犯人探しが始まると門下(宰相の門客)が身分の低い張儀を疑った。
「張儀は貧しくて品行も劣るので、宰相の璧を盗んだのは彼に違いありません」
門客達は張儀を捕らえて数百回も笞で打った。しかし張儀は最後まで認めることはなく、やがて釈放した。
しかし、その体は数百回も笞によって受けた傷は痛々しく大した治療も受けることはなかった。張儀が家に帰るとその姿に驚いた妻が悲しみながら言った。
「あなたが読書や遊説を棄てれば、このような屈辱を得る必要はなかったでしょう」
すると張儀は妻にこう言った。
「私の舌はまだあるか?」
彼は舌を出してみせる。
(こういう人よね)
涙を指で拭いながら妻は笑って言った。
「舌はまだありますわ」
張儀はにっこりと笑い、
「それで充分だ」
と言った。そして、そのまま気絶するように倒れた。
数日の間、意識が戻らない危険な状態となっていたものの、妻の献身的な看病のおかげもあり、張儀は目を覚ました。
「秦に行こうと思う」
「秦にですか。あそこは法が厳しいと聞きますわよ」
妻は法が厳しいところで生活できるかしらと生活のことを心配する。
「真面目なお前ならば、大丈夫だ」
張儀はそう言って、秦に移住することにした。
(楚を滅ぼせるのは秦だ)
あの時、受けた屈辱を晴らすためにも秦の力が必要であると彼は考えたのである。
秦に入った時、秦の国君は秦の恵文王の時代となった。彼は様々なやり方で、恵文王のことを調べ上げた。
彼には一種の慎重さがあったと言える。まあ、ここで失敗すれば楚への復讐は果たせないという考えがあり、心配できないとして慎重になっているだけとも言えるかもしれない。
しかし、蘇秦はどうだろうか。彼は説得する相手のことを知ろうとすることに欠けている。そのことを思うと張儀には慎重さがある。
調べ上げてみて、彼の恵文王の評価は信頼を得るのは難しいというものであった。
恵文王はそもそも人を信用しないたちであり、口先だけのやつを信頼しない。だが、彼は商鞅を処刑したにも関わらず、彼の行った変法改革は残した。このことからどんな憎いものであろうともその者の残した物が有効ならば、使うということがわかる。
彼が人を信頼するということがあるとすれば、結果を出す者だけであろう。
つまり張儀が結果を出せば、信頼を勝ち取ることができる可能性があるということである。
しかしながら彼はすぐさま、動かなかった。じっと待った。自分が結果を示すその瞬間を、蘇秦が来た時も彼は出ようとはしなかった。
蘇秦が六国合従を行いつつあった時、秦が魏へと侵攻しているときも彼は黙っていた。
魏への侵攻を行っていた時の恵文王は天下で六国合従が行っていることを理解できていなかった。この時にそのことを指摘することもできたが、張儀はそれを行わなかった。
六国合従が出来上がった頃に恵文王は国際情勢で不利になりつつあることを理解することができたが、それでも張儀は何も言わなかった。
理由は単純である彼は劇的な結果を出したかったのである。それまではじっと慎重な目で国際情勢を見ていた。
その彼があることを知った。斉の威王が死んだのである。そして、その後を息子の斉の宣王が継いだ。
その情報を握った張儀はにやりと笑いながら屋敷に戻ると妻が出迎えた。
「まあ、嬉しそうな顔をされておりますね。良い女でも見つけましたか?」
張儀は彼女の言葉に笑いながら言った。
「そうだと言ったらどうする」
「嫉妬してしまいますわ」
張儀は笑いながら昔よりふくよかになった妻の頬を撫でる。
「嫉妬してくれるとは愛らしいことだ」
「相変わらず、変わったお人なこと嫉妬深い女は男は嫌うのではありませんか?」
ころころと笑う妻に張儀は言った。
「全く世の男どもというものはわからず屋ばかりなものだ。嫉妬深いということは男のことを四六時中考えてくれている愛らしい女だと言うのにな」
彼は妻を抱き寄せながら言った。
「いい感じに肉がついてきたな。もっとふくよかになれるようにするからな」
「ほどほどで言うのですよ」
「もっと良い女になって欲しいのさ」
紀元前332年
斉に秦の犀首こと公孫衍がやって来た。同盟を結ぶためである。
これは張儀の策である。彼は六国合従を崩す策があるとして、恵文王に謁見し、彼の派遣を提案したのである。
確かにこれは六国合従を崩す策であると同時に、彼には別の思惑がある。
(さあ、鬼の居ぬ間に信用を稼がねば)
蘇秦が恵文王に謁見できても信頼を勝ち得なかった理由の一つには公孫衍が近くにいたことも関係しているはずである。
そのため彼を恵文王から離すことの必要性を考えた。そこで斉の国君が代替わりするという隙を持って、合従崩しを行うと同時にそれを餌に恵文王から遠ざけた。
張儀の策は当たった。
斉が秦との同盟に同意したのである。
これは斉の宰相・田嬰の意向ではなく、宣王の意向である。
田嬰は斉を時代の主導者であるべきと考えており、強国になりつつある秦を叩きたいとは考えていた。そんな時に蘇秦による五国合従が行われる流れに乗ったのであった。
だが、威王はそれに同意していたが、息子の宣王は別の考えがあった。そもそも五国合従を行い、秦と対決するというのは聞こえこそは良いが、見返りはほとんどないと言えた。
秦との間には他国があり、彼等と合従を結べば、彼等を守る軍を派遣することになる。遠方であり、秦を攻めるとなっても軍を派遣するだけで、領地は得るのは難しく得ても遠い。
それならば合従など組まずに秦と組んで領地を得るべきであろうというのが、彼の考えであった。また、国君になったばかりで早く成果を出したかったというのもあるだろう。
斉との同盟がなったと聞くと、張儀は次に公孫衍を魏に派遣するべきと進言、恵文王は同意した。これによって斉、魏が合従から離脱した。そして、そのまま秦、魏、斉による蘇秦のいる趙への侵攻が行われた。
蘇秦の従約(合従の盟約)が破られたことになる。
趙の粛公はこれに激怒し、蘇秦を譴責した。恐れた蘇秦は裏切った斉に報復するためという理由で、使者として燕に行くことを希望した。
彼の弁舌に期待した粛公は彼を燕に派遣した。こうして蘇秦が趙を去ったため、従約は完全に壊滅した。
さて、趙は迫ってくる三カ国に対して、は河水(黄河)を決壊させて水攻めにした。魏と斉の軍は多くの兵が巻き込まれた。そのため両軍共に退却を行った。
魏軍はともかく斉軍がこれほど簡単に破れたのは何故であろうか。
これも宣王の将軍の人事によるものである。彼は先君の重用していた将軍たちを使わなかったのである。先君の頃の者たちは使いづらいということもあったのだろう。
斉と魏は大きな被害を出して、兵を還したが、一方、秦軍は大した被害が出ることはなかった。
最初は真面目に戦わなかったと恵文王は思ったが、張儀が言った。
「素晴らしいことです。彼等のいる位置で土地を得ることができます」
趙を攻めていた秦軍はなんと魏軍の国境沿いに陣取っていったのである。これによって魏への圧力を強めていた。
たまらず、魏は秦との国境沿いにある陰晋の地を割いて秦と講和した。
この時、この秦軍を率いていたのは司馬錯と言う。戦国時代に入り、初めて秦に現れた名将である。
斉の宣王は燕を攻めた。宰相の田嬰の反対を押し切ってである。先の趙を攻めた時の失敗を取り返したいと宣王は考えたのであろう。
宣王は位を継いでから日が浅く。偉大な先君を越えようという若さと焦りがあった。田嬰はその焦りをなんとか止めようとした。
だが、燕との戦いで勝利し十城を取ったという事実が、宣王の自尊心を満たし、この口喧しい叔父への反感へと発展した。
早くも斉の国君と宰相の間に亀裂が入ってしまったのである。
こういった事態の燕に蘇秦は帰国したのである。前年、彼を信頼した燕の文公は彼が趙へと向かってからしばらくして世を去っており、太子であった燕の易王が後を継いでいた。
そのためちょうど燕は喪に服している時であり、この時に宣王は燕を攻めて勝利を得ることができたのである。
帰ってきた蘇秦に対して易王は言った。
「かつて先生が燕に来た時、先君は先生を援けて趙に行かせ、六国に合従を約束させました。しかし斉は趙を攻め、今回、燕にも至っております。燕は先生のために天下の笑い者になっているのです。先生は燕のために侵された地を取り返すことができるでしょうか?」
口調こそ丁寧だが、できなければ殺すという節の意味が含まれている。
蘇秦は恐怖し、
「主のために取り返してきます」
と答え、斉に向かった。
蘇秦が来たことを知ると宣王は彼に会おうとした。それを田嬰は止めた。しかし、喧しく感じる叔父の言葉を彼は聞こうとしない。
宣王は蘇秦とあった。蘇秦は再拝してから腰を曲げて祝賀し、顔を上げて哀悼した。
その行動に疑問を覚えた宣王は言った。
「なぜ慶弔(祝賀と哀悼)の入れ替わりがそのように速いのか?」
さあ、このように蘇秦の言葉を聞こうという意思を宣王が見せれば、あとは蘇秦のものである。
「飢人はたとえ飢えようとも烏喙(毒のある植物)を食べないといいます。それを食べて腹を満たせば、餓死と同じ患(禍)を招くためです。今の燕は弱小ですが、秦の国君の少壻(婿)にあたります。王は十城を奪って利を得られましたが、秦との間に長久の怨仇を作ろうとされています。弱小の燕が雁行していますが(雁の群れが飛んでいるように燕は恰好の獲物となっていますが)、その後ろには秦が隠れているのです。もし秦が天下の精兵を集めれば、烏喙を食べるのと同じことになるでしょう」
確かに今の燕君の妻は恵文王の娘である。
宣王は、
「それではどうするべきだ?」
と問うた。
蘇秦は言った。
「古でうまく事を制した者は、禍を転じて福となし、失敗を通して功をなしたものです。王が私の計を聞くおつもりがあるのであれば、燕に十城を還すべきです。理由もなく十城を得た燕は必ず感謝することでしょう。秦も自分のおかげで十城が燕に返されたと知れば、必ずや喜ぶことでしょう。これこそ仇讎を棄てて石交(固い友誼)を得るというものなのです。このおかげで燕と秦が斉に帰心すれば、王が天下に号令した時、逆らう者は誰もいません。王は虚辞(実体のない言葉)によって秦に附く形を見せ、実際には十城によって天下を取ることができるのです。これが霸王の業です」
宣王はもし秦が本当に攻めてきたことを思った。それによって破れることはあってはならない。そう考えた宣王は、
「善し」
と言って十城を燕に還した。そして、そのことを秦に伝えることにした。
「なんという詐欺師か」
田嬰はこれを聞くと激怒した。蘇秦は秦を叩くために六国合従を行ったにも関わらず、秦の立場を高めることを斉にさせた。
蘇秦の言うようにやると斉が慈悲深い行動をしているように見えるか?
そうではない。斉が秦を恐れて、燕に返したと思うだけである。天下の覇権を争っているはずなのに、その相手に頭を下げているようなものではないか。
一方、高笑いをしたのは恵文王である。
「斉が燕に十城返したことを伝えてきたわ」
恵文王は張儀に向かってそう言った。
「おめでとうございます。これによって秦の強さに他国は恐れることでしょう」
最初、斉が燕を攻めた時、恵文王は斉が勝ちすぎるのは拙いと言ったが、張儀は逆に祝辞を述べた。恵文王が理由を尋ねると彼は燕に蘇秦がいるためだと言った。
「蘇秦がいるため、大丈夫だと汝は言った。確かに斉がこのことを伝えてきたことは面白かったが、蘇秦のおかげというのはどうかと思うぞ」
「蘇秦は燕が斉に攻められたことで、自分の身の危険を感じたのです。それをなんとかしようと蘇秦が動いたのがこの結果なのです。これによって斉が勝ったことによる物理的利益だけでなく、天下を号令する地位さえも揺らいだのです」
斉が秦に配慮したという事実がこれによってもたらされた。これは対秦の考えにあった六国の間に亀裂を入れることができたことになる。
(弁士というものは人を利用することを好みながら、自分は利用されていないと思うものばかりだ)
蘇秦は自分の身を守るために自慢の弁術で括り抜けただけに思っているだろうか。彼の行動によって築いた六国合従に亀裂をもたらしてしまったのである。
そして、この一連の流れを尽く当ててきた張儀に対して、恵文王は多大なる信頼を寄せるようになった。
(感謝するよ。蘇秦、お前のおかげで私はここまで来たぞ)
舌なめずりする彼は楚の宰相に書簡を出した。内容はこうである。
「私が汝に従って酒を飲んだ時、汝は私を璧を盗んだ賊と見なし、私を鞭打った。汝はしっかり汝の国を守れ。私は汝の城を盗みに行くだろう」
楚の宰相はあの時の庶民に何ができようかと笑って相手にしなかった。
そうここまでの一連の流れで張儀は天下の表舞台にほとんど出ていない。合従を崩壊させたのも一見、公孫衍が行っているように見えるのである。
だが、楚の宰相のこの油断が楚という国が天下の笑い者としてしまうのである。
まだ、怪物の本領はこれからなのである。