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夢幻の果て  作者: 大田牛二
第三章 合従連衡
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大志

燕の国使として蘇秦そしんが来ると趙の粛公しゅくこう謁見することができた。彼は言った。


「今の世において、山東(崤山以東)に建つ国では趙より強い国はなく、秦が最も警戒している国も趙の他にございません。しかしながら秦が兵を挙げて趙を攻撃しようとしないのは、韓と魏が背後を襲う恐れがあるからです。秦が韓と魏を攻めれば、両国には名山大川の守りがないため、蚕食(少しずつ侵食すること)して国都に至ることでしょう。韓と魏は秦を支えることができず、必ずや秦に臣従することになります。秦に韓と魏の規(制限。脅威)がなくなれば、禍は趙に至ります。私が天下の地図を見たところ、諸侯の地を合わせれば秦の五倍もあり、諸侯の士卒を合わせれば秦の十倍にもなるのです。六国が一つになり、力を合わせて西の秦を攻めれば、秦は必ずや敗れることになります。衡人(連衡を主張する説客)は諸侯の地を割いて秦に与えようとしていますが(秦に土地を譲ることで秦と講和するように勧めていますが)、そう主張するのは秦の覇業が完成した時に彼等は富栄を手にできるためです。諸国が秦の禍患を受けようとも、彼等はそれを憂いとすることはないのです。だから衡人は日夜秦の権勢を利用して諸侯を脅し、地を割くように求めているのです。これらの事をふまえて、国君の熟考を期待します。私が国君のために計るとすれば、韓、魏、斉、楚、燕、趙が和親して秦に対抗するべきです。天下の将相を洹水の上に集めて会し、質(人質)を交換して盟を結び、こう約束します。『秦が一国を攻めれば、五国がそれぞれ鋭師を動員し、あるいは秦を攻め、あるいは他国を救うこと。もし盟約に背く者がいたら、五国が共に伐たん』諸侯が和親して秦に対抗すれば、秦甲(秦兵)が函谷関を出て山東を害すことはできなくなりましょう」

 

 喜んだ粛公は蘇秦を厚遇し、豊富な賞賜を与えて諸侯との盟約を手配させた。








 

 ちょうどこの頃、秦が犀首こと公孫衍に魏を攻撃させた。


 四万余の魏軍が大敗し、魏将・龍賈が捕らえられ、雕陰が占領されてしまった。

 

 秦は更に東進しようとした。

 

 蘇秦は秦軍が趙に迫って合従の盟約を妨害され、秦が趙を撃破して、趙と秦が講和してしまっては全ては水の泡である。


(いや、これによって秦の驚異が強くなったと思うべきだ)


 今、諸国はまさに秦の驚異が迫っているという事実をこれによって痛感することだろう。


 この綱渡りに近いこの状況を敢えて彼は進むことにした。

 

 蘇秦は韓の宣恵王せんけいおうに会ってこう言った。


「韓の地は四方九百余里に及び、甲士は数十万を擁し、天下の強弓、勁弩、利剣は全て韓から出ております。韓卒が足で弩を踏んで弦を引き、矢を射れば、百発続けて射ても止むことはありません。韓卒の勇をもって堅甲を身に着け、勁弩を踏み、利剣を帯びれば、一人で百人の敵に匹敵することは言うまでもありません。国君が秦に仕えれば(秦と講和すれば)、秦は必ずや宜陽(秦と接しており、秦が函谷関を出た時の妨げ)と成皋(虎牢関がある場所)を要求し、今回それを満足させれば、翌年にはまた他の地の割譲を要求することでしょう。これを繰り返せば、与えられる土地がなくなり、与えるのをやめれば、前功を棄てて後禍を受けることになります。韓の地には限りがあるものの、秦の要求には限りがありません。限りがある地で限りがない要求に対応していれば、怨を買って禍を招き、戦わずに地を削ることになるのです。こういう鄙諺(俗語)があります。『鶏の口になることはあろうとも、牛の尻尾にならず』と、国君の賢があり、強韓の兵を擁しているにも関わらず、牛後(牛の尻尾)の名を得なければならないと言うのであれば、私は国君のために恥ずかしく思います」

 

 これほど韓を強いと言われたことがあまりないために彼は蘇秦の言に従うことにした。

 

(さあ、次は正念場だ)


 蘇秦は魏の恵王けいおうに会った。


 秦に負けたばかりの魏を説得することは難しい。だが、秦の驚異を間近に感じている魏を引き入れることができることは大きいはずである。

 

 蘇秦は恵王に言った。


「王の地は四方千里であり、表面上は大きくはございません。しかしながら田舍廬廡(村落の家屋)の数は芻牧(芻は草を刈ること。牧は放牧)の場所もないほど豊富です。多数の人民と車馬は日夜道に絶えることがなく、三軍の大衆がいるようににぎやかです。私が王の国を量ったところ、国力は楚にも劣りません。また、王の兵卒は武士二十万、蒼頭(青い頭巾を被った兵。恐らく奴隷のこと)二十万、奮撃(精鋭)二十万、廝徒(雑役・苦力の兵)十万がおり、車六百乗、騎(馬)五千頭を擁しております。それにも関わらず、群臣たちの意見を聴き、王は秦に臣事しようとされております。趙の国君が盟約を結ぶために私を派遣して愚計を献上させました。王の決断にかかっています」

 

 恵王は群臣たちの意見を聞き、秦への臣従を考えていたが、内心では不満であった。かつての栄光を忘れなかったとも言うべきであろう。


 彼は蘇秦の言葉に同意した。







 

(さあ次は本当の大国だ)

 

 蘇秦は次に斉に向かい、斉の威王いおうに謁見した。

 

「斉は四塞の国(四方が険阻な地形で守られた国)で、その地は四方二千余里に及び、甲兵は数十万を数え、粟(食料)は丘山のように積まれております。三軍の良(精鋭)と五家(五都。五つの大きな県邑)の兵は鋒矢(鋭い矢)のように進み、雷霆のように戦い、風雨のように解散できます。たとえ軍役(戦)があろうとも彼らがいるため泰山、清河、渤海まで兵を集めに行く必要はありません。臨淄(斉都)の中には七万戸があり、私が見たところ、一戸あたりの男子は三人を下らないため、遠県の兵を徴収しなくても臨淄の卒だけで二十一万人が集められることでしょう。また、臨淄は豊かに繁栄しており、民は皆、闘鶏、走狗、六博(将棋のような駒を使った局戯)、闒鞠(蹴鞠)を楽しんでおります。臨淄の道では、車轂(車輪の中央についた車軸をはめる部分)がぶつかり合い、人々の肩がこすれ、袵(襟。服)を連ねれば帷幕となり、汗を振り払えば雨になるほどです(人口が多い喩え)」


「我が国の強さを大いに湛えてくれることは大いに感謝する。だが、合従しようとしている魏と韓は秦との戦いに消極的だ。それにも関わらず、合従せよというのは図々しいのではないか?」


「韓と魏が秦を畏れて慎重であるのは、両国が秦と国境を接しており、兵を出しても対立すれば、十日も経たずに戦いが始まり、勝敗存亡の機が決してしまうからです。韓と魏が秦と戦って勝ったとしても、兵の半数は損ない、四境の守りが難しくなることでしょう。もし戦って勝てなければ、すぐさま国に危亡の禍が訪れてしまします。そのため韓と魏は秦との戦いを重く視て慎重になり、軽率に臣従してしますのです。しかしながら秦が斉を攻める場合は異なります。秦は韓と魏の地を後ろにし、衛の陽晋の道を通り、険要な亢父を経由しなければなりません。そこは車が方軌(並行)できず、騎(馬)も比行(並行)できない場所であるため、百人が険を守っていれば千人の兵力があっても通れません。秦は斉に深入りしようにも狼顧(狼のように後ろを警戒すること)しなければならず、韓と魏に後ろを衝かれることを警戒する必要があるため、斉に対して恫疑、虚喝、驕矜(脅したり強がること)したとしても、斉の本土に進行しようとすることはありません。秦に斉を害す力がないのは明らかです。それにも関わらず、秦が斉に手を出せない状況を深く考えず、西を向いて秦に仕えようとするのは、群臣の計の過ちと言えましょう。秦に臣事するという不名誉な名をこうむることなく、強国の実態を保つために、私は王にささやかな計を残そうと思います」


 威王は宰相の田嬰でんえいを見た。彼は静かに頷いた。それを見た威王は蘇秦の合従に同意した。


(さて、次は楚だ)


 彼が楚に向かおうとすると、


「兄上」


 二人の青年の声が聞こえてきた。


「おお代、厲」


 蘇秦は弟の蘇代そだい蘇厲それいを見つけると二人を抱き寄せた。自分がこの天下に名を残そうと遊学に出ると言った時、家族は皆、反対し彼を罵った。


 しかし、二人だけは自分を尊敬し、尊重してくれた。


 この二人がいたからこそ、自分は夢を捨てることなくここまで来れたのだ。


「兄上、凄い高貴な格好をされています」


「夢を叶えられたのですね」


 二人のきらきらした目を受けて彼は微笑む。


「まだだ。まだ夢の途中さ。だが……」


「「信じ続ければ夢は必ず叶う。そうですよね。兄上」」


 二人は一斉にそう言った。


「そうだ。自分を信じ続ければ、きっと夢は必ず叶うんだ」









 ついてくるかと聞いたが、兄のようになりたいそのためにももっと色んなところで学びたいと言う二人を置いて、蘇秦は楚に向かった。

 

 彼は楚の威王いおうに謁見し言った。


「楚は天下の強国であり、その地は四方六千余里に及び、甲兵は百万、車は千乗、騎(馬)は万頭を擁し、粟(食糧)は十年を支える蓄えがございます。これはまさに覇王の資(資本)というべきものであり、秦が楚以上に畏れる国はありません。楚が強くなれば秦が弱くなり、秦が強くなれば楚が弱くなりますので、二国は両立できない形勢にあるのです。よって王のために計を献上します。楚は各国と親しくして秦を孤立させるべきです。私は山東の国に命じ、四時(四季)の献(貢物)を納めさせ、王の明詔(秦と対抗する命令)を受けさせることができます。また、各国が王に社稷と宗廟を委ね、士兵を鍛えて王の指揮下に入るようにすることもできます。諸侯と親しくすることで諸侯が楚に地を割いて仕えるのと、秦と衡合(横と結ぶこと。連衡)することで楚が地を割いて秦に仕えるのとでは、両策の間に大きな差があります。王はどちらを選ぶつもりでしょうか?」

 

 威王はそのとおりだと言って、彼も蘇秦の計に同意した。

 

 こうして蘇秦は従約(合従の盟約)の長となり、六国の相を兼務することになった。

 

 北の趙に帰る時、蘇秦に従う車騎や輜重は国君に匹敵するほどの数になっていた。


 蘇秦は趙に向かって北上して、途中で雒陽を通った。多数の車騎が輜重を運び、諸侯が派遣した使者も次々に駆けつけ、王者の行列のようであった。

 

 それを聞いた周の顕王は恐れて道を清め、郊外に人を送ってねぎらい、蘇秦の兄たちや妻、嫂は蘇秦を正視できず、地に伏して食事を共にした。蘇秦が笑って嫂に言った。


「以前はあのように驕慢であったにも関わらず、今はなぜ卑屈になっているのでしょうか?」

 

 嫂は蛇のように地を這って前に進み、顔を地につけて謝罪しながら言った。


「あなた様の位が高く、財産が多いからです」

 

 蘇秦は嘆息してこう言った。


「一人の身において、富貴であれば親戚でも畏懼し、貧賎であれば親戚でも軽視するものだ。衆人(他の者。親戚以外の者)ならばなおさらだろう。当初もし私が雒陽近郊に二頃の田をもっていれば、六国の相印を身に着けることができただろうか」

 

 蘇秦は千金を宗族や朋友に分け与えた。

 

 以前、蘇秦が燕に行った時、ある人から資金として百銭を借りた。富貴を得た蘇秦は百金にしてそれを返した。

 

 蘇秦は恩がある者には必ず報いたが、一人の従者だけは報酬を得なかった。従者がそれを蘇秦に訴えると、彼はこう言った。


「汝を忘れたわけではないのだ。あなたは私と燕に至った時、易水の上で再三去ろうとした。あの時の私はとても窮乏していたから、あなたに対して深い恨みをもったのだ。そのためあなたを最後にしていた。今からあなたも報酬を得ることができる」


 遥か高みまで登った蘇秦はまさに黄金の輝きの中にいるような気持ちであっただろう。


「だが、まだだ。まだ夢は終わっていない」


 更なる栄光を自分は掴むのだ。彼はそう思いながらこれから訪れるであろう幸福に胸を踊らした。








 五つの国が合従し、自分たちに対抗しようとしている。


 秦にとってまさに驚異であると言えた。


 秦の恵文王けいぶんおうはそれを主導したのが蘇秦であるということも知り、苛立ちを顕にしていた。しかし、この自体をどう打開すれば良いのかと、考えていると、一人の男が密かに会いに来てこう言った。


「王は五国合従を憂慮されておりますが、心配はございません。お心を強く持たれ、計略を進めるべきです」


「汝はそう言うが」


「大丈夫です。このような合従など直ぐに崩壊させることができます」


 男は両手を前で組み、拝礼をする。そして、手によって見えないが、長い舌を伸ばし、口元を舐める。


 この男の名は張儀ちょうぎという。


(蘇秦、お前の夢、しゃぶり尽くしてやる)


 乱世という混沌の時代が生み出した怪物である。
















 「夢は叶うんだ」この節のセリフをラスボスに言わせるセンスに一体どうやれば届くのだろう。

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