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夢幻の果て  作者: 大田牛二
第二章 諸子百家鳴動

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弁士

 色んなやつを関わらせようとすると話しが長くなってしまいますね

 魏にいる孫臏そんぴんは滞在中、何度か田嬰と書簡をやり取りをしていた。


 内容は魏で見たある少年のことである。


 彼はその少年を見て、田嬰に似ていることに気づいた。そこでからかうつもりで田嬰に隠し子がいないかと訪ねた。すると田嬰は馬鹿正直に捨て子がいることを教えてきた。


 孫臏はそれを知ると、彼に訪ねた。


「その捨て子が生きていた場合、あなたはその子と会いたいですか?」


 と、すると田嬰はこう返答した。


「あなた様が優秀と判断されたのであれば、会ってみたい」


 変わった人だと思いながらも孫臏は孟軻もうかの元に出向き、少年・田文でんぶんに会った。











「私の父が斉の宰相だと言うのですか?」


 田文は自分の父が田嬰かもしれないと言われ、驚きながらそう言った。


「そうだよ。君のお父上は斉の宰相さ」


 孫臏はくすくすと笑う。


「証拠はあるのですか?」


 捨て子など、この乱世では珍しくないはずである。


「君の名さ。田嬰殿は君の名を私に教えてくれてね。教えてくれた名と君の名が一致したのさ」


「同じ名でも赤の他人の可能性もありますよ」


 孫臏は孟軻を見た。


「あなたが田文を拾われた時、彼が包まれていた布に田文という名があったはずです。どうですか?」


「私が拾ったわけではないが、布にその名があったのは事実だ」


 孟軻は隠しだてすることなくそう言った。それに意外そうな表情で孫臏は言った。


「おや、あなたが拾ったわけではなかったのですか」


「ああ、田文を拾ってきたのは荘周そうしゅうだ」


 意外な名が出てきたため、孫臏は驚く。


「ほう、あの荘周ですか。意外ですね。捨て子を拾うような人には見えませんでしたが……」


「だが、事実だ。荘周に頼まれて田文を預かったのだ」


「そうでしたか。で、あなたとしては田文をどうしたいですか?」


 孟軻は田文を方を見る。田文は首を振った。


「田嬰殿という方は田文をどのような理由かは存じ上げないが、捨てられた。それにも関わらず、お話によれば優秀であれば、会いたいと申されている。人としての道理に反しておられるように思える」


「確かにあの方はどうにも人の心というものをよく見ようとされない方であり、人としての道理が外れているということも同意は致します」


(よくよく考えれば、何故、田嬰殿のためにこのようなことをしているのだろうか?)


 孫臏としてはそうは思わなくはないが、どうにも田嬰という人には人としての可笑しさを感じており、嫌いではない。


「しかしながら儒教は孝を重視されているとか。ならば、親である田嬰殿に孝を尽くすべきではありませんか?」


 それは孟軻の元で儒教を学んだ田文としては痛い部分があった。


「まあ急かしたりはしませんよ」


 孫臏は優しく田文に言った。


「もし君が田嬰殿に会いたいと思ったのであれば、私に言ってくれれば会わせてあげるということさ。しばらく魏にいることになるだろうからいつでもおいで、歓迎するよ」


 彼は笑みを浮かべながらそう言った。


(父に会いたいのだろうか。会いたくないのだろうか)


 自分の気持ちにどこか整理がつかないでいたため、彼の言葉はありがたかった。


「では、これで一先ず去らしてもらいます」


 そう言って、孫臏は去っていった。


「先生、荘周という方はどういう方ですか?」


 自分を拾ってくれた人、もしかすれば夢に出てくる人なのではないかと彼は思い、孟軻に訪ねた。


「あれは人でありながら人の世の中で生きることを望まないでいる賢人であり、愚者だ。ただあの者と関わるのであれば、強い信念を持たねばならない」


 彼の言葉に田文は理解できなかった。


「どうしてですか?」


「信念を持たず、あの男と対峙すれば、呑まれてしまうからだ」


 孟軻はそれだけを言って、その後は何も言わなかった。














 田文は一人、考え込んでいた。


「父に会うべきなのか。合わないべきなのか」


 自分を捨てたはずの父が自分と会っても良いと言っている。


「優秀だからか……」


 捨てたにも関わらず、会おうとするのが優秀だからという理由である。捨てておいて、そんな理由で会おうとする無神経さは正直、頭に来るものがあった。


「でも、それでも父だ。親だ」


 儒教で学んだ孝の考えが彼を悩ましていた。


 子は親に対して、孝を尽くさなければならない。これは儒教だけの概念ではなく古代中国における根幹の部分であり、それを怠ることは許されないものであった。


 彼は一人、孫臏の元を訪れた。


「やあ、よく来たね」


 孫臏は田文を快く迎え入れた。


「父に会うことを決めたわけではないのですが……」


 田文はそう言いながら、孫臏の手元にある骸骨を見る。不気味であるそれに目を離せないでいながらも言った。


「母はどういう人だったのかなと思いまして」


「亡くなっているそうだよ」


 孫臏は骸骨を撫でながらそう言った。


「そうですか……」


 田文は悲しんだ。会った記憶も無い母であるが、それでも母であることは変わりはない。


「田嬰殿に会うかはともかく斉に行くというのはどうだい?」


 孫臏はそう提案した。


「斉に……ですか」


「そう君の母親の墓もあるし、それに今、斉には色んな人が集まっている。彼等に会ってみたいと思わないかい。もしかすれば、君を拾ったという荘周殿にも会えるかもしれないよ」


「荘周……」


 自分を拾ったという人、もし会えるのであればお礼を言いたい。


「斉に行けば、会えるのですか?」


「本当に会えるかはわからないけどね。ただ彼と同じ道家の者たちも集まっている。彼等ならば荘周殿とも知り合いだろうから会えやすいかもよ」


 孫臏はくすくすと笑う。


「決めるのは君だよ」


「斉に連れて行ってくれますか」


「良いよ」


 田文は斉に行くことを決めると孟軻の元にこのことを伝えた。


「斉に行くのか」


 孟軻は残念そうにしながらも彼の決めたことに何ら言うつもりはなかった。


「斉には多くの人材が集まっているとも言う。色んな者たちと会って学ぶのも良いことであろう」


 彼は田文に優しく言った。


「大志を抱き、大いに学ぶと良い」


「はい」


 こうして孫臏の元に身を寄せることになり、斉に向かおうとしたが、


「魏からの出国を許さないか」


 魏が孫臏たちの出国を許さなかった。












 紀元前333年


 魏と斉による称王は楚にとっては許せないことであった。


 本来であれば、王号を持っていたのは、周、楚、呉、越である。それにも関わらず、勝手に王号を使った魏と斉に怒りを覚えた。特に主導して行ったであろう斉は一番許せなかった。


 だからと言って、いたずらに戦を仕掛けるほど楚の威王いおうは短気ではなかった。しかし、越が斉の宰相・田嬰でんえいによって侵攻してきたことを知ると彼は激怒し、越を平定すると斉に侵攻した。


 田嬰は魏にいる孫臏を帰国させて、これと対峙させようとしたが、魏が彼の帰国を許さなかった。一種の意趣返しをされたのだが、同時に楚による謀略でもあった。


 結果、田嬰は申紀しんきに軍を率いさせて、徐州で楚軍と激突した。


 結果は惨敗を喫した。


 勝利を収めた威王は斉に対して、田嬰の追放を要求した。宰相である彼を他国からの脅しで追放などさせれば、屈辱を与えることができると考えたのである。


 田嬰が憂慮した。宰相の地位などは惜しくはないが、他国の脅しで宰相が追放されてしまえば、国家の威信が揺らぐ可能性がある。しかし、このまま宰相の座から降りず、国を出なければ、楚からの侵攻は続くことだろう。


 そんな時、彼の危機を救うために動いた者たちがいた。


 彼が養っていた食客たちである。その中の一人、張丑が進み出ると、


「旦那様。あなた様が私らに行ってくださった恩義、今こそお返しする時です。どうか私どもにおまかせくださいませ」


 彼を始めとした食客たちは田嬰のために遊説し、楚の威王に謁見することに成功すると張丑は言った。


「王が徐州で勝利することができましたのは、斉が田盼(田嬰の同族)を用いなかったからです。彼は斉において功があり、百姓(民衆)も彼に帰心しております。今は田嬰が無能であり、申紀を用いておりますが、申紀は大臣も百姓も服していません。だから王は勝てたのです。王は田嬰を駆逐させようとしておりますが、彼が追放されれば、必ずや田盼が用いられることでしょう。その結果、斉は士卒を整えて再び王に対抗することになります。これは王にとって利になりません」


 威王は彼の言葉を聞いても田嬰への怒りを消すことはできなかったが、実はこの時、ある報告が臣下からもたらされた。


 孫臏が斉に帰国を果たしたというのである。


(あの孫臏と対峙するのは……)


 威王は孫臏と戦をすることと、田嬰を許すことを天秤にかけ、田嬰を許すことにした。


「良かろう。要求を止めるとしよう」


 こうして、楚の要求は取り下げられた。










「楚は引いたようですなあ」


 淳于髡じゅうこんはそう言った。


「ええ、何とかなったようです。田嬰殿の食客たちの努力によるものですね」


 孫臏は田文の方を向いて言った。


「君のお父上は運が良いようです」


「そうみたいですね」


 自分にとっては自分を捨てた男である。しかし、そんな彼を救うために動いた人たちがいる。


(自分にとって嫌いな人であっても助けようとする人はいる)


 そのことは忘れてはいけないことに思えた。


「何とか帰国もできましたし、本当に良かった。君たちのおかげだ」


 二人の青年が一斉に手を振る。


「いやいや、旦那様方のおかげで助かったのは私たちの方です」


「そのとおり、私どもは何も、皆様のおかげですよ」


 この二人の青年の名は蘇代そだい蘇厲それいという。彼等と関わることになったのは、田文がきっかけである。


 ある時、田文が魏の都で物乞いをしている彼らを見つけたのが始まりであり、彼らがどうにも腹を空かせていたために同情した田文は彼らに飯を食べさせるため、孫臏の屋敷に引き取った。


 孫臏は二人を見て、驚いた。


「君たちは蘇代と蘇厲だね」


「「良くご存知で」」


「君たちは悪い意味で評判だからね」


 実はこの時、ある噂が流れていた。盗跖とうせきを騙して、金を掠め取った二人組の男がいるというものである。


「「いやあ、あの盗跖の一味だと知らなかったので」」


 二人は手を頭の後ろにやりながら笑ってそう言った。


「あの盗跖から金をかすめ取るとは……」


 淳于髡は唖然としながらも、二人は、


「結構簡単でしたよ」


「ええ」


 あっけらかんと答えるだけであった。


「取り敢えず、君たち。ここで飯を食べたのだからその分、やってもらいたいことがあるんだけど」


 孫臏の言葉に二人は頷く。


「こう見えまして、恩義を感じるたちでして」


「受けたものは必ずや返しますよ」


 その言葉に孫臏はくすくすと笑う。


「では、あなた方には盗跖をおびき出す餌になってもらいましょう」












 夜の屋敷。


「ここにあいつらいるんだろうね」


 盗跖は手下たちにそう言った。


「ええ、調べに調べましたから」


 鶏鳴けいめい狗盗くとうの二人がそう言った。


「あいつら絶対に許さん」


 盗跖たちに蘇代と蘇厲はある悪徳領主の隠している裏金の保管場所を教えた。それを盗むためにそこに向かったのだが、そこには多くの罠が仕掛けられており、やっとの思いで罠を解除し、手に入れた。


 それによって宴を開いた時に彼等の舌先三寸によって手に入れた金を奪われたのである。


「顔の皮を剥いでやる」


 眼帯を触りながら盗跖は侵入した。


 彼等が入るとそこにもぬけの殻であった。


「どういうこと」


 その時、屋敷から火が上がった。


「逃げろ」


 彼等が急いで屋敷を出るとそこに屋敷が燃えていることを知って駆けつけた魏の兵たちがいた。


「きさまらが放火魔か」


 魏兵が彼等に襲いかかった。


「また、あいつらに騙されたのか」


 盗跖らは魏兵と戦いながら逃走した。









 この混乱の隙に孫臏たちは魏を脱出したのである。


「君たちが関所での交渉を買って出てくれたので、安全な道を取ることができました」


「いやいや旦那方の策のおかげです。私たちなど大したことありませんよ」


 謙遜する蘇代と蘇厲に田文は言った。


「二人の弁術はすごいのは確かだと思います」


「坊ちゃん。私たちよりも凄い人がおりますよ」


「そう私たちの兄上とかね」


 二人は笑う。


「ほう、君たちほどの弁士以上とはその兄の名はなんというのかね」


 淳于髡が聞くと二人は答えた。


「兄の名は蘇秦そしんって言います」





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