李悝
男が一人、自室で書簡を書いていた。彼の名は李悝(または「李克」。但し、「李悝」と「李克」は別人という説もある)という。
彼は子夏の下、学んだ弟子ではあるが、儒家ではなく法家の思想に近い人物である。
そんな彼の元にある男が訪ねて来た。
「よお、久しいなあ」
男の声に李悝は眉を顰める。彼としてはこの男とは一言たりとも言葉を交わしたくないという相手だからだ。
「相変わらず、つれない男だなあ」
男はそんな彼の態度などは気にしない。
「同じ師の下で学んだ仲ではないか」
「黙れ、盗賊崩れが」
「おお、怖い怖い」
彼は笑った。男の名は盗跖という。
「恥知らずが何しに参った。ここで貴様を捕らえても良いのだぞ」
「その前にお前の首が飛ぶだろうがな」
盗跖はからからと笑う。
「それで何の用だ?」
李悝が聞くと彼は答えた。
「実はよ。面白い話がある」
「面白い話?」
「晋君が外で女と密会していると殺されてしまったというものさ」
盗跖はけらけらと笑う。それを聞いた李悝は顎を撫で、考え込んだ。この話が本当だとすれば、あまりにも外聞が悪い。しかし、この話を伝えてきたのは盗賊。信用できるだろうか?
「嘘か本当か。信じるのは思え次第さ。だが、お前の主にとってはどうかな?」
彼はそう言うと李悝の屋敷をそのまま出て行った。
「さて、どうしたものか……」
李悝は悩んだものの、そのまま宮中に向かった。
「李悝様が謁見を求めております」
臣下が魏の文公に対して、そう言った。
「李悝……上地の守(郡の長官)の李悝か」
李悝が魏に仕えた頃、彼は上地の守を勤めた。
彼は民の射術の腕を上げさせるため、こう宣言した。
「今後、狐疑(疑惑。疑問)を訴訟する者がいれば、矢を射るように命じる。的に中ったら勝訴とし、外れたら敗訴とする」
人々はすぐさま、射術の練習を始めて日夜休むことはなかった。
その後、彼等の射術の腕は上がり、秦が攻めてきた時にはこれと戦って大勝したという。
これを聞いた時、文公は面白いやり方であると思って、彼には注目していた。
「ここに案内せよ」
文公は李悝を招いた。
「先生、さあこちらへ」
文公は臣下の中で有能な者に対しては先生と呼び、大いに尊重した。李悝は座ると文公に言った。
「主公、晋の国君の件について知っておりますか?」
「箝口令が敷かれているが、行方不明であると聞いている」
晋の幽公が突然、いなくなったとして、晋の宮中は混乱していた。
「実は私の聞いたところ、既に晋君は亡くなられております。しかもその死に方が……」
李悝は幽公がどのようにして死んでしまったのかを言った。
「それは誠か」
「はい」
晋君が既に死んでいる。それも外聞の悪い内容の死に方である。
「そうだとして、先生は私に何をせよと」
彼は正直、晋の宮中の問題としか思えなかったのである。
「あなた様はこれを利用なさるべきです」
「どのように?」
「宮中に乗り込み、この混乱を武力に解決することです」
文公は顎に手を当てて、考え込んだ。それを見た李悝は続けた。
「宮中の混乱を治めることで、主公の晋における発言力は高まります。また、下手に政治的能力のある晋君が立てば、中々に難しいかと思われます。その前に手を打つべきです」
(なるほど……)
文公は彼の言葉に納得しつつも未だに決断できなかった。まだ、若く魏の臣下たちが自分の言うことを聞くだろうかという疑問があったためである。
「趙氏も韓氏も若い当主に代替わりしているこの時こそが、魏が先手を取れる好機なのです。ご決断を」
李悝が決断を迫り、遂に文公は決断した。
「直ぐに兵を率い、晋都に向かう」
彼は晋都を目指した。
「良くぞ参られました」
晋の大夫・秦嬴はにこやかに文公を迎え入れながら、内心では渋い顔をしている。
(くそ、魏氏の当主は何をしに参ったのか)
彼は晋の立場を回復するため、有能な者を立てようとしていた。
(何とかしなければ……)
秦嬴は文公と部屋に入った。
「晋君の捜索に協力したく参りました」
文公がそう言うと彼は頷き言った。
「左様でございましたか。しかし、実は主公は見つかりました」
「そうでしたか。で、様子は?」
秦嬴は首を振った。
「大変、外聞の悪いことでございますが、外で女と密会中に賊に殺されたそうです」
「なんと、それは確かに外聞の悪いことでございます」
文公は悲しそうな表情を浮かべた。
「このことはどうなさるおつもりか」
「主公の死は病死とし、後継については」
「主公の死に方はもっとふさわしいものがございます」
「ほう、それは?」
秦嬴がそう聞いた瞬間、文公が手を挙げるとそこに魏の兵士がなだれ込む。
「何を」
「あなたには恨みはないが、ここで死んでもらう」
文公が手で支持を出すと兵士は一斉に秦嬴へと襲い掛かり、これを殺した。
「良し、皆の者にこう伝えよ。晋の大夫・秦嬴は主公を高寝の上で害したと」
彼は主公の死を秦嬴によるものであるとし、文公は幽公の子・止を擁立した。これを晋の烈公という。
結果、晋における文公の発言力は高まることになり、魏氏の中でも彼への信望は厚くなった。
「先生のおかげです」
文公は全て上手くいったことを李悝のおかげであるとして、彼を大いに尊重した。
「主公、国を強くするためには国を豊かにするべきです」
「そのとおりだ。先生にはそのための術があるのでしょうか」
「ございます」
「わかった。では、先生にこの国における改革を担っていただきましょう」
「承知しました」
李悝の活用によって魏は大きく発展することになる。