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夢幻の果て  作者: 大田牛二
第二章 諸子百家鳴動
29/186

傾く

 蛇足伝の方をさっさと書けと言われそうな今日この頃ですが、申し訳ありません。中々上手く書く時間が取れず、どうにも劉邦が便利過ぎて、コントロールが効かなくなったりと未だに書けていません。もしかしたら薄姫伝 その二を書かずに別の話しを書くかもしれません。

 桂陵の戦いは孫臏そんぴんの初陣であり、後の戦の前哨戦のような評価を受ける戦ではあるものの、魏にとってこの敗戦は想像以上に打撃を受けたと言えた。


 この敗戦を知ると宋、衛も魏へと侵攻を始め、斉も再び攻め込んだ。更に楚も侵攻した。魏は韓軍と共に魏の恵王けいおう自ら軍を率いて、襄陵でこれを迎え撃ち何とか退けることができた。


 だが、この隙を突いて趙が魏へと侵攻、魏の領地を削った。この敗北により、何とか陥落させた邯鄲を維持するのも難しくなった。


 魏は桂陵の戦いの前後によって四方八方から攻められ続けるというかつてならば、あり得なかったほどに追い込まれることになった。


 斉の威王いおうは楚の景舍けいしゃを通じて、魏へ講話を申し込んだ。もちろん斉側有利の講話である。魏はこれを飲むしかなく、魏は同意した。


 ある意味、この段階で魏は時代の主導者足る地位から引き摺り下ろされたと見ることもできるかもしれない。









 韓が東周を攻めて陵観と廩丘(または「邢丘」)を取った頃、楚では昭奚恤が宰相になった。彼は宰相になると自分の地位を脅かしかねないものたちへ圧力をかけるようになった。

 

 昭奚恤を嫌っていた江乙こういつという男が楚の宣王せんおうに言った。


「ある人が狗を飼っておりました。彼はその狗の責任感が強いと信じており、狗をとても愛しました。しかしある日、狗が井戸に小便を致しました。それを見た隣人が飼い主に教えようとしましたが、狗は隣人を嫌い、門前で噛みついたため、恐れた隣人は忠告をあきらめました。邯鄲の難(魏が趙の邯鄲を包囲した戦い)において、楚は大梁に兵を進めてこれを取りました(魏が邯鄲を包囲した時、楚は兵を北上させて魏を攻撃しました。但し、魏の大梁を占領したという記述はない)。あの時、昭奚恤は魏の宝器を奪っております。私は魏にいたため、そのことをよく知っています。昭奚恤はそのため私が王に会うことを嫌うのです」

 

 江乙はこう続けた。


「下の者が徒党を組めば、上が危うくなり、下の者が分かれて争えば、上は安定するものです。王はこの道理をご存知でしょうか。これを忘れてはなりません。ところで、ある人が他の人の善いところを好んで宣伝した時、王はどう思いますか?」

 

 宣王は、


「それは君子だ。近くに置くだろう」


 と答えた。江乙が再び問うた。


「ある人が人の悪いところを好んで宣伝した時、王はどう思いますか?」

 

 宣王は、


「それは小人だ。遠ざけるだろう」


 と答えた。すると江乙は首を振り言った。


「そのようでは、ある家の子が父を殺し、ある国の臣下が主を弑殺したとしても、王は知ることができないでしょう。それはなぜでしょうか。王は人の美を聞くことを好み、人の悪を聞くことを嫌うからです」

 

 宣王は頷き、


「わかった。私は両方の意見を聞くことにしよう」


 と言った。こうして、江乙は昭奚恤を批難できる環境を作った。それによって度々、一部の臣下が昭奚恤のことについて進言した。


 数日後、宣王は群臣に問うた。


「北方の諸侯は昭奚恤を恐れていると聞くが、本当だろうか?」

 

 群臣が答えられない中、江乙が言った。


「百獣を食べる虎が、ある日、狐を捕まえました。すると狐がその虎にこう言いました。『あなたは私を食べることができません。なぜならば天帝が私を百獣の長にしたからです。あなたが私を食べれば、それは天帝の命に逆らうことになります。もし信じられないと言うのであれば、私の後について来てください。百獣は私を恐れて近寄ろうとしないはずです』虎はこの狐の言うとおり、狐の後について歩きました。すると近くにいた獣達は皆恐れて逃げ出していきました。実際には、獣達は狐の後ろにいる虎を恐れたのですが、虎はそれに気がつかず、狐が恐れられていると信じたのです」


 さて、これがどういう意味の話しなのかを話し始めた。

 

「今、王は五千里の土地を持ち、百万の帯甲(兵)を養っておりますが、それらは昭奚恤に管理されています。北方の諸侯は昭奚恤を恐れているように見えますが、本当に恐れているのは王の甲兵なのです。百獣が虎を恐れたのと同じ道理と言えましょう」


 これを聞いた宣王は昭奚恤に疑いの目を向けるようになり、やがて彼は失脚することになった。

 

 この故事から「虎の威を借る狐」という言葉が生まれた。本当に虎の威を借りた狐は昭奚恤だったのか?











 紀元前352年


 秦の公孫鞅こうそんおうが大良造に任命された。


 その後、公孫鞅は自ら軍を率いて、魏の固陽に攻め込んだ。


 法改革を行い、秦を強国にした彼だが、戦に関してはあまり得意ではないようである。


 紀元前361年


 年が明けて、公孫鞅は固陽を降した。


「戦は私の専門ではないな」


 彼はそう呟きながら退却した。


 秦からの再びの侵攻を受けたこともあり、もはや邯鄲を維持するのは不可能と判断した魏は邯鄲を趙に返還し、趙と漳水の上で盟を結んだ。


 かつてあれほど強かった魏がこれほど他国に良い様に扱われることになるとは、魏だけでなく他国の者たちにとっても同じ思いであっただろう。


 ここまで魏を追い込んだのが、目の前の男かと田忌でんきは見て思う。


 孫臏は相変わらず、不気味な絵を描いている。


「この前、淳于髠じゅうこん殿に会ったぞ」


「何か仰られていましたか?」


「『人使いが荒すぎる』とのことだ」


 淳于髠は短期間に秦、衛、宋、趙、楚と渡り歩き、魏への侵攻を願い、魏との講話の際は楚の景舍と共に交渉に当たった。


 対魏との戦いでもっとも働いたのが彼であるとも言えるだろう。


 二人は笑った。


「これは悪いことをしまいた。どうにも頼ってしまいますね」


 孫臏は肩をすくませる。


「魏がこれほど難しい状況になるとはな」


「魏は他国との関係を小手先だけで乗り切ろうとしてしまったのが痛かったですね。先の戦いも秦、楚の二カ国が自国に侵攻した時点で趙を攻めるべきではありませんでした。あそこで無理に侵攻を行われなければ、私たちが手を出す隙はできなかったでしょう」


 彼は絵を描き終わった。その絵には多くの将兵らしき者たちが剣や矢に刺さっている絵である。


「ほんの小さな選択の差によって人の生き死の量は大きく変わるものです」


 孫臏は絵を撫でながら微笑んだ。


「たくさんの者が死ぬか……」


「でも、斉の人々は死んでいませんよ」


 彼はにっこりと笑った。

 

 


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