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夢幻の果て  作者: 大田牛二
第一章 戦国開幕
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彗星に願いを

 紀元前361年


 秦に彗星が見えた。それを眺めているのは、秦の孝公こうこうである。


「美しい彗星だ。だが、秦にはその美しさを受け入れるほどのものがない」


 秦は中原諸国に比べ、文化や制度において劣っていた。


 そのことに孝公は大いに憤っていた。かつて秦の穆公ぼくこうという偉大な人物がおり、彼は覇者と呼ばれるほどであった。しかし、今の秦にはそのような輝きを放つことはない。


「この私がかつての栄光を取り戻す」


 孝公はそう考えた。このような考えを持つ者は大抵、戦でどうにかしようとするのだが、彼の場合は徳を布いて政治を改め、孤寡(身寄りがない者)を救済し、戦士を招き、功賞を明らかにするなど、政治改革から行った。


 本当の意味で自国を強くするのはどうすれば良いのか。そのことは彼は理解していたと言えるだろう。


 だからこそ彼は今の秦の限界を誰よりも理解していた。


 孝公は国中に令を発した。


「昔、我が国の先君・穆公は岐山から雍の地の間で徳を修めて武を行い、東は晋の乱を平定し、河(黄河)を界(国境)とし、西は戎翟に覇を称えて千里の地を拡げた。そのおかげで天子が伯(覇者)の任務を与えて諸侯が祝賀に来たのである。穆公が後世のために開いた業は甚だしく光美なものであった。しかし後に厲公れいこう躁公そうこう簡公かんこう出子しゅつしの代になって安定を失い、国家は内憂のため外事を解決できなくなってしまった。その結果、三晋(魏)によって我が先君が開いた河西の地を奪われ、諸侯が秦を卑下するようになった。これほど大きな醜(屈辱)はない。献公けんこうは卽位してから辺境を鎮撫して都を櫟陽に遷し、東伐を試みた。穆公の故地を奪還し、穆公の政令を修復するためである。私は先君(献公)の意志を思うと常に心が痛くなる。賓客群臣の中で秦を強国にする奇計を出す者がいれば、私は尊官に任じて封土を分け与えることである」


 共に国を変えてくれる人材が欲しい。彼はそう彗星を見ながら願った。














 魏に公孫鞅こうそんおう衛鞅えいおう)という男がいる。彼は衛君の庶孫であると言われているがどの衛君かははっきりしない。


 彼は刑名の学(刑法によって上下の名分秩序を明らかにするという学問。諸子百家の法家の学説)を好んで学んだ。


 そんな公孫鞅は魏の宰相・公叔痤こうしゅくざに仕えていた。公叔痤は公孫鞅の賢才を理解していたが、国君には中々推挙しようとはしなかった。


 恐らく彼が宰相に任命された時、魏の恵王けいおうは若く彼を使いこなすのは難しいだろうという判断だったのであろう。

 

 そんな時、公叔痤は病に倒れた。


 恵王は公叔痤の元を訪ねてこう聞いた。


「汝が病のために死から避けられなくなれば、社稷をどうすれば良いだろうか?」


 つまり次の宰相は誰とするべきかということである。公叔痤はこう答えた。


「私の中庶子(大夫に仕える者)に公孫鞅という者がおります。彼はまだ若いとはいえ奇才をもっています。主公は国を挙げて彼の意見を聴くべきです」

 

 恵王はそれに対して何も言わないでいると、公叔痤は目を細めて言った。


「主公が彼を用いないというのであれば、必ず殺すべきです。国から出してはなりません」

 

 恵王は同意して去っていった。

 

 すると公叔痤は公孫鞅を召して言った。


「私にとって、先に国君がおり、その後に臣下がいる。そのため先ず、国君のために謀り、それから汝に伝えることにした。汝は速やかに去れ」

 

 しかし公孫鞅は肩をすくませ、


「国君があなた様の言を聞いて私を任用するつもりがないのなら、あなた様の言を用いて私を殺すこともないでしょう」

 

 と言って彼は魏にとどまった。

 

 一方、退出した恵王は左右の者にこう言った。


「宰相の病は重いようだ。悲しいことである。私に国を挙げて公孫鞅とやらに従わせようとしながら、更に私に彼を殺すよう要求するとは、おかしなことではないか」


 惚けた老人の言動だと恵王は一笑に伏したのである。

 

(やっぱりな)


 公孫鞅はなおも魏にとどまり続けた。

 

 その後、公叔痤は病によって世を去った。


「さてと、行くか」


 公叔痤の死を知った公孫鞅は魏を離れることにした。後に秦であれほどの冷酷な法を作り上げ、秦を血も涙もない国に変えることになる彼の中に他者からの恩を思い、その人の死ぬまで魏を離れなかったところにこの男の人間らしさを感じることができる。


 公孫鞅が魏を出ようとすると公叔痤に仕えていた者がやって来た。


「これを主があなたにと」


 男が渡したのは、旅をする旅費や食費、そして、書簡であった。その書簡にはこう書かれていた。


「若き者の大志が叶うことを願う」


「ああ、私を知ってくれる人がいることはなんと嬉しきことか」


 それを読んだ彼は感動し、地面に膝を落とし、頭を下げた。魏で唯一、自分を知ってくれた者への感謝の礼である。


(どこかで必ず自分を知ってくれる者はいるだろう)


 心の中でそんな希望に似た者を感じることができる。公叔痤が自分に示す徳の大きさに彼はただただ感謝した。


 彼は秦に向かうことにした。秦君が賢者を集めていると聞いたためである。


 魏を出ると道端に髪の長い男が座っていた。


「あなたは西に行き、栄光を得るだろう。されど、最後は自らの業に喰われるであろう」


 その男は公孫鞅に言った。すると公孫鞅はこう答えた。


「己の業に喰らわれて死ぬのは、男の本懐ではないか」


 そのまま公孫鞅は西へ向かった。


 秦に入った公孫鞅は孝公の嬖臣(寵臣)・景監けいかん(宦官)を通して、孝公に謁見した。


 彼は法を運用した富国強兵策を献じた。


 公孫鞅の富国強兵策を聞いた孝公は大いに喜び、すぐさま彼を国事に参与させることにした。


 秦の富国強兵はここから始まるのである。










「自分の業に喰われることを良しとするか……」


 髪の長い男、荘周そうしゅうは呟く。


「つくづく人とは度し難いものだ。それとも天が度し難いのか……」


 天の意思が秦の孝公と公孫鞅を会わせたのだろうか。それとも偶然か。その答えたは誰も知らない。ただただこの後の歴史の事実のみを私たちは知るだけである。





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