易水寒く
荊軻が太子・丹に招かれて、席に座ると、太子・丹は自分の席から降りて頓首した。
「田光先生は私を不肖とみなさず、私をあなたの前に至らせ、あなたと話をする機会を与えてくれました。これは天が燕を哀憐し、私を棄てていないからです。今の秦には貪利の心があり、その欲が満足することはなく、天下の地を奪い尽くし、海内の王を全て臣従させなければ、その意思は止まることはないでしょう。秦は既に韓王、趙王を虜にしてその地を全て併呑しました。韓、趙が秦の臣になった以上、禍は燕に至ることは必死です。燕は弱小であるにも関わらず、繰り返される戦のために困窮していますので、国を挙げても秦に抵抗することはできないでしょう。また、諸侯は秦に服しており、敢えて合従を称える者もいません。そこで私は私計を考えました。もしも天下の勇士を得て秦に派遣し、重利を示して誘い出せば、秦王は貪婪であるため必ずや我々の願いを叶えることができましょう。秦王を脅迫して諸侯を侵して奪った地を全て返還させることができれば、曹沫が斉の桓公を脅かした時と同じであり、大善(大功)となることでしょう。もしうまくいかなければ、機に乗じて秦王を刺殺します。秦の大将はそれぞれ自ら兵を率いて国外にいるため、国内で乱があれば君臣が互いに猜疑します。その隙に諸侯が合従すれば、必ず秦を破ることができます。これは私の上願ではありますが、誰に命を委ねるべきかわかりません。荊軻殿の留意を願います」
荊軻は太子・丹の言葉を聞き、すぐには答えなかった。田光の死に対しての言葉が彼への信頼を失わせている。
(もし、田光先生の死に、見事に死んだなどと言えば、男の矜持がわかると喜んで太子のために死のうと思ったが……)
男の矜持がわかる者のために己の剣を活かしたいのである。久しく考えてからこう言った。
「これは国の大事です。私は駑下(才能がないこと)ですので、恐らく任務を全うできることはないでしょう」
しかし太子・丹は前に進み出て頓首し、頑なに懇願した。
(田光先生の矜持を無駄にするわけにはいかないか……)
正直、太子・丹の計に従うのは不穏いなところが多い。しかし、田光の矜持には答えなければならない。
荊軻はついに同意した。
太子・丹は喜び、彼を尊んで上卿とし、上舍に住ませた。また、太子は毎日、荊軻の門下を訪問して太牢具(牛・羊・馬をそろえた食事)を進め、珍宝異物を贈り、車騎も美女も荊軻が望むものを全て与えて満足させた。
しかし、荊軻は動かず、ただただ時が過ぎた。それに焦れた太子・丹は荊軻に言った。
「秦兵は旦暮(朝晩)にも易水を渡ろうとしております。そうなれば、久しく足下を遇したいと思ってもできなくなりましょう」
「太子の言がなくても、私の方から実行の許可を得ようと思っていましたが、今、行動しようとも信用される物がないため、秦王は私を近づけることはなかったでしょう。そこでお願いがあります。燕に亡命している樊将軍に対して秦王は金千斤、邑万家を懸けています。樊将軍の首と燕の督亢の地図を得て秦王に献上すると言えば、秦王は必ず私との接見を許すことでしょう。太子に報いることができます」
しかし太子・丹は、
「樊将軍は窮困して私を頼って参りました。私には自分のために長者の意(心)を傷つけるようなことはできません。足下が考え直すことを願います」
話にならないと荊軻は首を振った。
(大事を成すのであれば、それほどの覚悟も準備も必要がある)
荊軻は太子・丹では話しにならないと思い、自ら樊於期に会いに行った。
「秦による将軍の遇し方はひどいものであると聞いています。父母宗族が全て戮没され、今も将軍の首に金千斤と邑万家が懸けられています。将軍はどうなさるおつもりでしょうか?」
樊於期は天を仰いで嘆息し、涙を流しながら言った。
「私はいつもこのことを考え、悲痛は骨髓まで達しています。しかしながら私にはいい考えが浮かばないのです」
その姿に、
(秦の恨みは強いな。では)
荊軻は言った。
「今、一言(一策)によって燕の憂患を解き、将軍の仇にも報いることができましょう。如何でしょうぁ?」
それを聞き、樊於期は前に乗り出して、
「どうするのですか?」
と問うた。
「将軍の首を頂き、秦王に献上すれば、秦王は必ず喜んで私に会います。私が左手でその袖をつかみ、右手でその胸を突けば、将軍の仇に報い、燕も虐げられている愧(恥)を除くことができるのです。将軍の意見は如何でしょうか?」
樊於期は身体を震わせ、片腕を袖から出してもう片方の腕をつかんだ。
これは勇者が奮激した時に左手で右腕をつかむという姿を表している。
「私が日夜、切歯腐心していた怨みです。今やっと教えを聞くことができました」
(男よ)
荊軻は静かに拝礼を行うと、樊於期は自剄した。
この事を知った太子・丹は急いで駆けつけ、死体に伏せて哀哭した。
「これであなたの策は成すことができますな」
彼の言葉に荊軻は頷き、樊於期の首を函(箱)に入れて密封した。
太子・丹はこれまでに天下で最も鋭利な匕首を探しており、趙人・徐夫人の匕首を得た。「徐夫人」は「陳夫人」と書かれることもあり、徐が姓、夫人が名で、男の姓名であるという説もある。
彼は百金で匕首を買い取り、工人に命じて毒薬を染み込ませた。試しに人を切るとわずか一筋の血が出る程度の傷だけで、皆、すぐに命を落としたという。
それをこうして荊軻の出発の準備が進められたのだが、実は彼の策を行う上では同行者が一人必要であった。その同行者として太子・丹は秦舞陽という勇士を推挙した。
秦舞陽は十三歳で人を殺したことがあり、その風貌から直視できる者は誰もいないという人である。
そんな彼を見た荊軻は、
(殺意が溢れすぎる)
刺客に向いていない人物である。しかもそれは自分の強さを見せつけて強く見せているだけに過ぎず、本当に強い存在を前に同じようになれるとは思えなかった。
(同行させるなら……)
そう思い、彼はある人物の元へ書簡を送った。
それからしばらく待ったが中々やってこない。出発の準備が出来ているにも関わらず、荊軻が出発しないため、焦れた太子・丹は彼が後悔して時間稼ぎをしているのではないかと疑った。
「残された日は多くありません。あなたには行動する意思があるのでしょうか。秦舞陽を先に行かせてください」
荊軻は激怒した。
「太子はなぜこのように送り出そうとするのでしょうか。去ることだけを考え、使命を全うして帰ることを考えないのは豎子(不才の者)の者のこと。そもそも匕首一つで測り難い強秦に入るのは極めて困難なのです。私がここに留まっているのは客(友)を待って一緒に出発しようと思っていたためです。しかしながら私が時間稼ぎをしていると疑うのであるのなら、決別を請うまでです」
こうして荊軻は出発することになった。
太子・丹と太子の賓客で計画を知っている者は皆、白い衣冠を身に着けて荊軻一行を送った。荊軻は彼らをしっかりとは見ない。
荊軻は易水の辺で別れを告げ、秦に向かう道に就いた。見送りに来た高漸離は筑を演奏し、荊軻が和して歌った。変徵(古代の音階。悲壮の音)の声を聞いた人々は皆、涙を流した。
荊軻が前に進みながら歌った。
「風、蕭々として易水寒く、壮士、一度去りて還ることなく」
二度と戻ることの無い覚悟の歌である。
続けて、荊軻が激昂した羽声(古代の音階の一つ)に変えて歌うと、人々は皆憤って目を見張り、逆立った髪が冠を衝くほど憤激した。
荊軻はそのまま車に乗って去り、二度と振り返ることはなかった。
それから数日後、一人の男が燕に到着した。
「荊軻殿はいらっしゃいますかな?」
男はとても丁寧な言葉を使いながら荊軻の屋敷を訪ねて言った。
たまたま屋敷の近くを通りかかっていた高漸離が荊軻はもうすでに出発したことを伝えると、男は首を振りため息をついた。
「それはそれは実に、実に残念ですねぇ」
「あなたが荊軻殿が待っていたという客ですかな?」
高漸離がそう問いかけると男は笑い頷いた。
「ええ、そうです。しかし、本当に残念です」
男はそのままどこかへと去って行った。
「せっかく、秦王の首を取れると思ったのですがねぇ」
男……盗跖はそう呟いた。
その頃、荊軻は秦の都に到着していた。歴史の閃光が煌めこうとしていた。