己が己、足り得るために
紀元前386年
周の安王が斉の大夫・田和に命を下して諸侯にした。
これによって斉は姜姓の斉(姜斉)と田氏の斉(田斉)が併存することになり、田和は田斉の太公と呼ばれることになる。
趙の武公の息子であった趙の公子・朝が乱を起こした。しかしながら破れると魏に奔った。
魏の武公は彼を擁立することで、趙を間接的に支配できると考え、公子・朝を援助し、彼と共に趙の都・邯鄲を攻めたが、勝利することはできなかった。
前紀元前385年
秦でも内乱が起きた。秦の庶長(爵位)・改が河西で霊公の太子にあたる師隰を迎え入れて擁立し、出公とその母を殺して淵に棄てた。
即位した師隰は献公という。
当時の秦はこのような内乱は早世の君主などで、しばしば国君を換えており、君臣の秩序が乱れていた。それによって魏など他国の台頭を許すようになっていたのである。
しかしながらそんな秦が台頭するきっかけの一つとなる人物がこの年即位した献公の子である。
因みに秦の官位は以下のとおりである。
一級は公士、二級は上造、三級は簪褭(または「簪裊」)、四級は不更、五級は大夫、六級は官大夫、七級は公大夫、八級は公乗、九級は五大夫、十級は左庶長、十一級は右庶長、十二級は左更、十三級は中更、十四級は右更、十五級は少上造、十六級は大上造、十七級は駟車庶長、十八級は大庶長、十九級は関内侯、二十級は徹侯。
韓は鄭を攻めて陽城を取った。更に宋を攻めて彭城に至り、宋の休公を捕えた。しかしながら彼を処刑することはなく、直ぐに開放した。
韓の矛先は主に鄭に向けられており、これを攻略することが一番としていた。そのためにも他国から攻められるという状況を無くさなければならない。
この年、田斉の太公(田和)が死に、子の桓公が立った。
韓は趙へ使者を出し、斉を攻め込むように煽った。その結果、趙は斉に攻め込み、霊丘の地で斉を破った。
紀元前384年
太公が死んだばかりにも関わらず、攻められた斉は、趙と同盟国である魏に侵攻した。趙はこれを受け、廩丘で魏を援けて斉に大勝した。
紀元前383年
韓としては自分に兵を向けられていないことは良いことであったが、それでも斉が負けすぎるのも問題であった。
そこで魏の宰相になっている公叔を通じて、趙が衛に攻め込んだ時に、魏に趙を攻めさせ、兔台(または「菟台」)で趙軍を破ってみせた。
紀元前382年
魏の衛のために趙を攻めたことは斉にとっても良いことであるため、斉は魏と共に衛のために趙を攻め、趙が昨年、衛攻略のために築城した剛平を取った。
紀元前381年
諸国は楚へ矛先を向けることがあまりなかったため、呉起による改革は順調に行っていた。
更には趙が楚に兵を借りて魏を討ち、棘蒲を取るなど、その兵の強さは他国にも認められていた。
結果、楚は名実共に強国へと一気に成長していったのだが、しかし彼の後ろ盾を担ってきた楚の悼王が急死してしまった。
楚の国を大きく変えようとした先進的な王の死はあまりに早すぎたと言えよう。
「王、あれほどお元気でございましたのに……」
呉起は悲しんだ。
これは呉起の改革によって官職を失った貴戚(貴族・公族)や大臣たちを押し付けていたものが取り除かれたことを意味する。
彼等はついに彼に対して、乱を起こしたのである。
「愚かな連中だ」
自分が死ねば、先君が何のために改革を推し進めたのか。未来を見通せないこの連中に改革を任せなかった先君の思いがわかると思いながら彼は走って乱から逃げ、悼王の死体が安置されている場所に逃れた。
「呉起。こちらへ」
髪の長い男がそう言ったのが聞こえた。
(誰だろうか)
呉起はその言葉がした方へ行こうとした。しかし、彼は足を止め、悼王の死体を見た。悲しみがこみ上げていく。
「どうしたのです」
髪の長い男が言う。
「あなたが誰かは知らんが感謝する。だが……」
呉起は悼王の近づいた。
「私にとって最高の主の元で死ねるならば、本望である」
彼は悼王の死体の上に伏せた。髪の長い男は驚きつつも霧のように消えた。そこに乱を起こした者達が現れ、呉起を見つけると彼に向けて矢を放った。
その矢によって呉起は死んだ。
戦の天才にして、生涯、不敗を誇った男の死は乱によって死ぬという結果に終わった。
されど彼の最後の一手が放たれた。彼を殺した者たちの多数の矢が王の死体にも刺さっていたのである。
悼王の葬儀が終わって子の粛王が即位した。
粛王は令尹に命じて乱を起こした者達を誅滅した。王の死体に矢を放つという行為は王を神聖視する楚においては許されることではなかったからである。
これにより、夷宗(同族を皆殺しにすること)の者は七十余家に上った。
しかしながら呉起の変法改革は楚を一時的に強大国にしたものの、旧体制派の反動が強かったために呉起の死と共に改革も頓挫した。
結果、楚は時代に取り残され、歴史の主導者となる最高の機会を失うことになったのである。
荘周はある場所を訪ねていた。盗跖の根城である。
「糞餓鬼、何の用だ」
盗跖は彼をそう呼びながらそう言った。
「なぜあのようなことを?」
荘周はそう言った。
「さて、なんのことかな」
盗跖は目の前の男が真っ直ぐに見てくるのを見て、
(こんな目をする餓鬼だったか)
可笑しさが襲ってくるのを感じる。
「楚王を殺したのはあなたでしょう」
盗跖は吹き出した。荘周は更に彼を睨みつける。
「そうだ。それが見たかった」
彼は笑う。これほど愉快な気持ちになったのはいつぶりだろうか。
「天意ではない」
「天意を成すことが天を盗むことか。だとすれば、俺はそんなことはしねぇ」
笑いが止まらない。
「初めておめぇに会った時、おめぇの言葉は天の言葉に聞こえた」
『大盗賊は天を盗む』
あの言葉に突き動かされるように楚の声王を殺した。その結果、悼王が即位した。
彼と彼に用いられた呉起によって楚は強くなった状況を見て、天の意思がこれだったのかと盗跖は思った。楚という国が良くなっていく。その有様を見て、彼はこう思った。
「これが俺のやりたいことか?」
盗跖はかつて儒教を学んだ。しかし、それを学んで下らないと思って、飛び出し自由にありたいと思って盗賊となった。
しかし、自由とはなんだ?
彼は今回のことにそんなことを思うようになった。だが、次第に馬鹿らしく思い始めた。
「天に俺のやることが縛られるのか……」
にやりと笑った。
「そんな天に縛られるなんてのは、この俺、盗跖様の生き方じゃねぇのさ」
天意の元に生きる。そんな気難しい生き方をしたくて、盗賊になったわけじゃない。盗賊は自由に人を殺し、奪う悪だ。
「俺は悪人なのさ。悪人の生き方は天とやらに縛られて生きるんじゃねんだよ」
彼は荘周に顔を近づける。
「俺はどこまでも好き勝手に悪の限りを悪でなければ、盗跖じゃねぇ」
盗跖が盗跖足りうる存在であるために天意に背く。それが彼の答えであった。
「己が己足り得るために天に背く……」
荘周の中で何か動かされるものを感じる。
「そうさ。悪人ってやつは、生きる時は悪の限りを尽くし、死ぬときは大地に前のめりで死に、天を拝まずに死ぬ。それが悪人さ」
盗跖は手を振った。去れということである。荘周はまるで霧が消えるように消えた。
「天の使者か鬼神の子か……」
盗跖はそう呟いた。ふっと笑った。
「己が己、足り得るために悪の限りを尽くす……」
荘周は一人、呟く。そこに青い牛に乗った老人がやってくる。
「荘周よ。いつまで浮世に関わろうとする」
「おじいさん。天意とは何でしょう」
老人は目を細め、牛から降りると彼の傍で屈むと小石を取った。
「天意とはこれよ」
老人は小石を上に向かって投げた。
「この小石にも宝石にも、人の言葉にも、この世に存在するありとあらゆるものに存在するものだ。天意とは、天とはその全ての中にある」
「天とは、これほどに……」
盗跖の生き方にも天意があるのだろうか……
「私には天というものがわからなくなりつつあります」
「なれば、私の元で奥義を学べ、そうすればわかる」
老人は自分がそのために特訓してやると言う。しかし、荘周は思う。
(人を見ぬことに天を知ることはできるのだろうか?)
それでも彼は老人の言葉に頷いた。
荘周が歴史上の人物に向けて言う言葉は悪魔の囁きに近いものだと思ってください。良い方に作用するか。悪い方に作用するかは聞いた者次第です。